寝転んで、お腹を掻きながら
「おとな学」なんていうタイトルで、原稿を書いているわけですが、じっさいのところ「おとな」を定義するものなどはないのです。
まさに、ヘーゲルがいうように「王が王であるためには、家臣がいるから」というほかはありません。「おとながおとなであるためには、こどもがいるから」ということですね。では、こどもとは何かということになりますが、こちらの方も定義することなどはできません。「こどもがこどもであるためには、おとながいるから」という他はないのです。
現代という時代は、このこどもとおとなの境界線があいまいになった時代だといえるだろうと思います。その理由は様々あるのでしょうが、わたしは市場経済の隆盛というものが、大きな理由のひとつではないかと考えています。
今回はそのことをご説明しましょう。
もともと、定義も公準もない「おとな」とか、「こども」といった言葉をめぐっての考察ですので、科学的な根拠のある話ではありませんし、何か答えが出てくるような問題でもありませんので、寝転んで、お腹でも掻きながら、お読みいただければ結構です。
寝転んで、お腹を掻きながら、書物を読むというのは、実はわたしが描いているおとなのイメージでもあるわけです。こどもはそんなことしませんからね。
その他の記事
|
追悼・鶴ひろみさん/再生の水の秘密を知る少女=ブルマとともに(武田梵声) |
|
見捨てられる子供の安全(小寺信良) |
|
宇野常寛特別インタビュー第6回「インターネット的知性の基本精神を取り戻せ!」(宇野常寛) |
|
重要な衆院三補選、戦いが終わって思うこと(やまもといちろう) |
|
なぜ人は、がんばっている人の邪魔をしたくなるのか(名越康文) |
|
捨てることのむつかしさ?(やまもといちろう) |
|
Spotifyでジョギングするとめっちゃ捗る件(小寺信良) |
|
政争と政局と政治(やまもといちろう) |
|
睡眠スタイルを見直す(高城剛) |
|
日本が地震大国であるという現実(高城剛) |
|
観光バブル真っ直中の石垣島から(高城剛) |
|
「日本版DBS」今国会での成立見送りと関連議論の踏み外し感の怖さ(やまもといちろう) |
|
『「赤毛のアン」で英語づけ』(1) つらい現実を超える〝想像〟の力(茂木健一郎) |
|
「定額制コンテンツサービス」での収益還元はどうなっているのか(西田宗千佳) |
|
想像以上に脆い世界で生き残るための条件(高城剛) |










