自分の思いを否定することはできない
さて、今回の場合はなかなか渡部翁の時のようにはいかないだろう。確かにある人物を特別なものだと思って尊敬するということが、いわば「生き神信仰」に繋がりやすく、そうなれば、それがいろいろな間違いの元になるという事は、良く分かる。生き神信仰といえば大袈裟だが、上に立つ者が権力をもって他の者を強制するということは、それがはっきりと権力と分かる形でなかったとしても、確かにその人を縛ってしまう。いや、強制的な権力なら反感を持ちつつも服従という形で、まだその人の意見も残っているが、その人物に推服してしまう、という事は、強制的ではないだけに、より一層その人の心を奪ってしまうといえる。
たとえば幕末の傑物といわれた西郷隆盛の人格的魅力は、個人の思考力も奪ってしまうほど凄まじいものであったらしい。そういう人間的魅力で人を縛ってしまうという事の問題点にも城先生は気づかれているのではないかと思う。
したがって、「炭素循環農法」が優れた方法であればあるほど、その「炭素循環農法」に付随して、それを紹介している御自身に目が向いてしまうことを危惧されているのではないだろうか。つまり、そこまで深く読まれて「自分を先生などとは呼ばないで欲しい」という事になると、ますます私は困ることになる。なぜならそこまで深く読まれている方となれば、一層尊敬の念が募り、私の美学のなかで、その方を「城さん」とはきわめて呼びにくいからである。こうなると私もいろいろと考えざるを得ない。
自分の深く尊敬する人物をある特別な思いを持って見ないでほしいという事を少し違った形で考えてみると、例えば、ある男の子がその子にとって大変心を動かされた女の子に出会い、その女の子を深く恋慕うようになった時、その女の子に「私だけ特別な思いで見ずに、周りの女性に対しても同じような思いで接してほしい」と言われても、それはまず不可能であろう。家族の成り立ちは、家族であるがゆえに他の人達よりもその家族に特別な思いを持つ事で成り立っているのであり、(もちろん中にはただ習慣的に続いている家族もあるだろうし、それどころか、出来ればそこから自由になりたいと思っている場合もあるかもしれないが)、とにかく人間というのは、特定の個人に思い入れをする事によって、さまざまなことが成り立っている事は確かだからである。その思いを意識で否定しようとしても、これはまず成功することはない。なぜなら、それは人間の本能の中に刷り込まれているからである。

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