※「競争考」はメルマガ「ハックルベリーに会いに行く」で連載中です!
岩崎夏海の競争考(その18)夕陽的とは何か?(前編)
「絶対的な価値」
自然と怒れるようになるためには、物事の正誤の判断が必要だ。しかし、正誤の判断を誤ると、重大な禍を招く危険性がある。そこで、正しく正誤を判断しなければならないのだが、このとき、物差しとなるのは「絶対的な価値」だ。
では、「絶対的な価値」とは何か?――といえば、いくつかあるが、そのうちの重大な一つが「夕陽」である。夕陽の美しさは絶対的な価値なのだ。だから、夕陽の美しさに鑑みて正誤の正しさを判断すれば、誤りが少なくなる。ある事象を見て「夕陽的か否か」が分かれば、その判断がつくのである。
では、「夕陽的」とは何か? 今回は、そのことについて考えてみたい。
「夕陽的」とは何か?
「夕陽的」とは何か? それは、言い換えれば「夕陽はなぜ美しいのか?」ということになる。では、なぜ夕陽は美しいのか? なぜ、誰も夕陽の美しさを否定できないのか? その答えの一つは、夕陽が「昼」と「夜」の両方をはらんでいる――ということだろう。
夕陽は、昼と夜の両方をはらんでいる。そして昼と夜は、「ポジティブとネガティブ」といった二元論の象徴的存在でもある。人間は二元論が好きだ。だから、すぐ「昼と夜のどちらが好きか」といった話になる。多くの人は昼が好きだろうが、しかし夜が好きという人もけっして少なくない。このバランスが、どちらかに完全に傾くということは永遠にないだろう。人類が存続する限り、昼が好きな人と夜が好きな人は、両方存在し続ける。
夕陽は、そのどちらをもはらんでいるのである。夕陽は、昼でもあれば夜でもある。いやむしろ、昼より昼っぽい側面があり、夜より夜らしい側面がある。これは、昼好きも夜好きも否定できないのである。夕陽を否定すると、自分が好きな昼や夜までをも否定することになるからだ。はっきり言って、夕陽はずるい。両者のいいとこ取りだからだ。
しかしそれゆえ、夕陽は強い。二元論の両方をいいとこ取りしているところが、夕陽の美しさの一つの理由――つまり夕陽的であるということだ。
その他の記事
ネット時代に習近平が呼びかける「群衆闘争」(ふるまいよしこ) | |
ZOZOSUITのビジネススーツ仕上がりが予想以上に残念だった理由を考える(本田雅一) | |
俺たちのSBIグループと再生エネルギーを巡る華麗なる一族小泉家を繋ぐ点と線(やまもといちろう) | |
パッキングの軽量化について(高城剛) | |
「本質を学ぶ場所」を作る(西條剛央) | |
老舗江戸前寿司店の流儀(高城剛) | |
心身や人生の不調対策は自分を知ることから(高城剛) | |
週刊金融日記 第271号 <美術館での素敵な出会い 傾向と対策 他>(藤沢数希) | |
地域住民の生活が奪われるオーバーツーリズム問題(高城剛) | |
今の京都のリアルから近い将来起きるであろう観光パニックについて考える(高城剛) | |
人間関係は人生の目的ではない <つながり至上社会>の逆説的生き残り戦略「ひとりぼっちの時間(ソロタイム)」(名越康文) | |
終わらない「大学生の奨学金論争」と疲弊する学びの現場(やまもといちろう) | |
睡眠時間を削ってまで散歩がしたくなる、位置情報ゲームIngress(イングレス)って何?(宇野常寛) | |
コンデンサーブームが来る? Shureの新イヤホン「KSE1500」(小寺信良) | |
なぜ昔の絵本はロングセラーであり続けるのか?(岩崎夏海) |