【不定期連載】編集のトリーさんの事件簿(3)

39歳の私が「人生の復路」に備えて考えた3つのこと

人生の折り返しに

復路の哲学帯211月28日、平川克美さんの『復路の哲学 されど、語るに足る人生』(以下、『復路の哲学』)が店頭に並ぶ。

復路の哲学』は、「大人とは何か」「人としてどう生きていけばいいのか」といった、すべての人が避けて通れない問いについて、<復路の人生を歩む者の視点>から解きほぐしていこうという平川さんの試みである。

少しだけ個人的な話を。わたしは今39歳で、平均余命の約1/2を生きた計算になる。そして編集者として15年目を迎えた。定年という概念がぼんやりとしつつある時代だけれど、それでも「仕事人生」としてのひとつの区切りが30年だとすれば、やはりその1/2を過ごした計算になる。その年の瀬に、この本を担当できたことに、不思議なご縁を感じている。

復路の人生をどう生きるかという課題については、「そんなのは個人的な問題じゃないか」と考える人もいるだろう。これまでの人生=往路の人生が人によってさまざまであるのと同様に、復路の人生だって人それぞれ、でいいのかもしれない。しかし、編集の過程で何度となく本書を読み返していてわたしが感じたことは、ここには多くの人に共通する課題が少なくない、ということだ。

平川さんの『復路の哲学』には、それぞれの人に、それぞれの人生の復路を考えさせる、喚起力に満ちている。ここでは3つほど、本書の編集に携わる中で、わたし自身が考えさせられた人生の復路にまつわる課題について述べてみたい。

 

1.もう読むことがない本について

編集者というのは職業柄、自分が担当した本を何度も何度も読むことになる。原稿段階から実際の本になるまでの間にどれだけの赤(修正)が入るかは本によってまちまちだけれど、少なくとも3回、あるいは4回ぐらいは通しで「同じ本」を読むことになる。

しかし仕事でなければ、同じ本を2回読むことはそう多くはない。よほど人生を決定づけるような本でなければ、私たちは一度読んだ本を再び開くことはない。というよりも、手持ちの本のほとんどは、ついには人生の終わるそのときまで、一度も読み通すことのない可能性が高いと思う。

平川さんはこう言っている。

ある年齢を過ぎると、生きている間に読める本の数が見えてきてしまう。意識の中に、「読むべき本の箱」と「読まなくてもよい本の箱」があって、本を手にした瞬間に、そのどちらかに振り分けるようになる。どれほど評判の本でも、「読まなくてもよい本の箱」に投げ入れることに躊躇しなくなる。
(『復路の哲学』より)

残された人生の中で、果たして何冊の本が読めるのだろう? 最後まできちんと読み通す本ですら限られた数なのに、何度も何度も、読み返す本は何冊あるのだろう?

39歳のわたしにはまだ「2つの箱」の輪郭線はおぼろげである。また、「読まなくてもよい本の箱」に蔵書を投げ入れることには、大きな躊躇いを伴う。それはおそらく、わたしがまだまだ「若い」ということなのだと思う。

ただ、それでもやはり、その2つの箱は確かに存在している。「お役御免」の本やCDといったものは間違いなくある。自分の手元にあるものが「手放すべきもの」であることに気づくということは、寂しいことかもしれないが、そう悪いことばかりでもないのかもしれない。

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