やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

友人知人との別れと世迷いごとの類


 すでに既報になりましたが、経済評論家でぐっちーさんの名前で愛された山口正洋さんが先日旅立たれました。非常に残念なことですが、長らくの闘病を拝見していた側としましては、まずは何よりの心穏やかな旅路であってほしいと願うのみです。神に召された山口さんの魂が平安のうちにあることを心より祈っています。

 また、長らく不動産投資でご一緒していた後輩投資家も、10年近い闘病の果てに亡くなられまして、非常にショックが大きいです。家族ぐるみで三世代の付き合いをさせていただいていて、まだ中学校の制服を着たご息女が涙をこらえて喪主として立派に務めておられたのは印象的です。それを追うように、不動産管理をしてくれていた老投資家も亡くなられ、さすがにちょっと怖い。

 このところ、歳も歳だからか、私も身の回りに幸せなことと不幸なことが交互にやってくるようになりました。悲しいなあと思いつつ、来し方の想いを抱くにあたり、みな、やりたいことはやり遂げられたのだろうか、思い残すとしたら何だろうかと思わざるを得ません。

 今年はとにかく私は呪われているのではないかと思うぐらい身の回りに物故が多く困っています。特に、私より若くして亡くなる人は、訃報に接して「えっ、マジか」と思いつつ、一瞬後で「ああ、そういうことなのかなあ」と思い当たったりもします。まあ、気のせいかもしれませんけれども、運不運というのはまったく予測不能な割に、意外と忠実に人を選んでいるのではないかとすら感じてしまうことがあります。

 良くも悪くもやりたい放題やったうえで不摂生がたたって早逝をしてしまった友人は、最期を悟って世迷いごとのような相談を持ちかけてきて、こちらが鼻白みました。おまえ、いままで好き放題生きてきて最期に人としてそれは無いだろうと思いつつも、でも、どうせもう死ぬのだとなれば、何とでも言って思い通りの人生の幕引きを考えると言っても恨みようがありません。一番苦しいのは本人であって、闘病の果てに理性を保つ意味も無くなったのであれば、遺していく人に最後のわがままを聞かせるのもまた浮き世の習いなのかも知れず。

 嫌いになれないなあと思う反面、人生で「好きに生きる苦労」ってのは意外とあるんじゃないかと思うのです。人間、良かれと思って調子に乗っても、いずれどこかで報いを受ける、というのは日本人的な人間観・人生観なのかもしれませんが、楽しいこと、面白いことを目いっぱいやり続けてストレスの無さそうな図太い人であっても、最後は最後で実に寂しく、残念な最期を迎えることになりかねない。たとえ、好かれて愛されて、みんな賑やかに彼らの周りを巡っていたとしても、ひとたび不調に陥り半年、一年と闘病するごとに楽しく過ごしていた仲間は見舞いに来なくなり、家庭からすでに見放されていると看病してくれる愛する人もなく、冷たく寂しく辛い末路を辿ることもあるのだと思うと「これは、何のための人生であったろう」と思い返すこともあるのではないかと感じます。

 投資家や事業家として、女子アナウンサーや女性芸能人・タレントらと楽しくやるのはどうも定番であるようですが、いまでいうパパ活というのはお互いに先があって、若い女性の時間とそれを買う資産家男性の資金とがトレードされるというのはあるんですけれども、実際には双方健康で、先があるからこそ関わり合えるのであって、どちらかの未来が断絶されるぞとなれば、それは引退であり、また、相続であるわけです。男としては、妻と別れ、また娘が不幸にして先立ってしまって孤独をかこつとき、元気だったころ繋がりのあった女性にカネをやるから俺の最期を看取ってくれといい、女性の側はもう連絡してこないでという。人として辛い瞬間です。これがおとぎ話の世界なら、割り切ってではなく真の愛を抱いた女性が忌わの男性の枕元で手を握ってやる純愛もあるかもしれないが、現実は冷酷でありまして。

 また、別の案件では愛人として囲ってやっていたマンションをお前にくれてやるという遺言を遺したにもかかわらず、女性の側が「そんな気持ちで彼と一緒にいたわけではない」と受け取りを拒否するという事例もあったりして、人間の関係は本当に分からんぞと思います。人の数だけ生き死にがあり、関わりの絆ごとにドラマがあるのかもしれませんが、ほんと、人生って何だろうと思います。いまでこそ、気軽に「終活」と言ってジジイに死ぬ準備を奨励しますけど、しぶといジジイに共通する自己節制の巧みさを見るに、サバイバルって本当にゲーム要素そのものであって、見えないリスクに備えられる人が勝ちやすいのが神の司る人生ゲーム不動のルールなんじゃないかと。

 「死ぬとは思っていなかったから、対策らしきことは何もしていなかった」と言われた側の気持ちをもう少し考えて欲しいなあ、送る側は送る側で辛いんだよと思いつつ、死が肉体からの精神の開放だとするならば、少しは救いもあるのでしょうか。
 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.275 友人知人との別れ、「あいちトリエンナーレ」の顛末、コンテンツビジネスの行方などについて思うことを語る回
2019年9月30日発行号 目次
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【0. 序文】友人知人との別れと世迷いごとの類
【1. インシデント1】「あいちトリエンナーレ」の文化庁補助金不交付の異様
【2. インシデント2】音楽ビジネスで感じた未来予測のむつかしさ
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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