それは科学でもあるし、宗教でもある
さて、このデイヴィネーション(マンテイケとかマンシー)という言葉は実に由緒正しいもので、その営みはどんなものか、ということが古典古代からずっと真剣に討議されてきました。
占いは占い、深く考えなくていいじゃん、などといって彼らはすませていなかったのであります。
古代の人々にとっては、デヴィネーションとしての占い術は、神々とのコミュニケーションであり、そしてそれは単に当てものであるばかりではなく、この世界そのもののなりたちや法則を知ることにつながっていたのだ。
つまるところ、それは科学でもあるし、宗教でもあるし、哲学でもあるし、霊的修行といった側面もあり、そのすべての総合だったといっていい。
たとえばローマ時代の哲人であり、ラテン語の模範たる文章を残したことで知られるかのキケロも、ずばり、『De divinatione』という本を残しているほどだ。キケロは占い術についてさまざまな考えを巡らせているのだ。
キケロは、当時知られていた占いを網羅し、哲学者らしい懐疑主義をもちこみながらもローマの政治については決断が占い術によって行われていたことも記している。キケロは最初、占いの信奉者であったがのちには占いに対しての痛烈な批判者となってゆく。
この本は、占い術の擁護者であるキケロの兄弟クィントウスとキケロ自身の対話というかたちで展開してゆく。クィントウスは、過去の占いの的中例をあげ、さらには神々が存在するのであるから、そのメッセージを受け取る方法もあるはずだ、という推論も展開してゆく。
一方、キケロは合理的精神、懐疑主義にのっとって完膚なきまでに占いの根拠を論破してゆくことになる。その口調たるや、反オカルトの大槻教授や現在の占星術批判者の模範となるであろうものではあるが……。占いを愛するぼくたちは、いったん、当たる当たらないの議論はここではおいておくことにしよう。
その他の記事
|
寂しい気持ちとの付き合い方(家入一真) |
|
電気の「自炊」が当たり前の時代へむけて(高城剛) |
|
安倍晋三さんの総理辞任と国難級のあれこれ(やまもといちろう) |
|
Yahoo! JAPAN「爆速」の終わり(やまもといちろう) |
|
ネット時代に習近平が呼びかける「群衆闘争」(ふるまいよしこ) |
|
レストランからバルへ、大きくかわりつつある美食世界一の街(高城剛) |
|
「新聞を読んでいる人は、政治的、社会的に先鋭化された人」という状況について(やまもといちろう) |
|
日印デジタル・パートナーシップの裏にある各国の思惑を考える(高城剛) |
|
ハロウィン:あの世とこの世の境界線が曖昧になるとき(鏡リュウジ) |
|
ひとりで「意識のレベル」を測る方法(高城剛) |
|
ワタミ的企業との付き合い方(城繁幸) |
|
年内に来る? Wi-Fi Awareとは(小寺信良) |
|
怒りを動機にした分析は必ず失敗する(名越康文) |
|
Tカードは個人情報保護法違反に該当するのか?(津田大介) |
|
豚だらけの南の島、ババウ島に隠された奥深くも驚くべき秘密(高城剛) |











