批評性が俗化してしまった
平川:実感という言葉を使うと誤解される可能性があるんだけど、経験主義や実感とは違うんだよね。自分が署名しているかどうかという話でね。小林秀雄が書いたものに力があったのは、そこのところだね。
内田:一貫しているね。小林秀雄の署名性は徹底しているよね。
平川:他者について言う時もそうなんだよね。三島由紀夫が死んだときにいろいろな人がいろいろなことを言ったわけだ。あのときに小林秀雄がどこかに「擬似的なクーデターで自衛隊に乗り込んでいって最期は割腹して死んだ。いろいろなことをみんな言っているけれど、三島由紀夫の精神までだれも下りていっていないところで、みんな発言をしている」ということを書いていた。そういうことをちゃんと言えるかどうかが批評性だと思うんだよね。今の時代の問題は、批評性のものすごい欠如なんだよ。批評性が欠如すると、批評が蔓延するんだよね。
内田:「一億総批評家時代」だからね。「総批評精神時代」というか。
平川:なるほどね。それにはインターネットが手を貸したね。
内田:ここまで批評性が俗化してしまった、空疎になってしまった時代はかつてないんじゃないかな。凡庸な批評性なんてありえないはずなんだけれど、現在の批評は凡庸なんだよね。読んでいても個体識別ができないんだよ。今40歳くらいの社会学者はいっぱいいるけれども、彼らの書いたものは、名前を隠しちゃうと誰が書いたのか分からなくない。
平川:この間AV監督の村西さんと話して、これがとても面白かったんです。(※5)一般的に言われているのと本人と話すのではまったく違う迫力があるわけで、彼の面白さというのは、あれだけキワキワなところを生きていると、自分の意思にかかわらず署名しないわけにはいかないところにあるんだよね。出てくる言葉は、下世話なことばかりなんだけど、説得性がすごい。この人は本当のことを言っているな、と感じを自然と受けてしまうんだ。
※5 村西とおる・釈徹宗・平川克美によるラジオデイズ対談コンテンツ「色即是空」
http://www.radiodays.jp/series/show/22
「僕が本当のことを言うと世界が凍りつく」と吉本隆明(※6)が言ったような意味での本当のことなんだよね。村西さんは存在自体がタブーなわけです。出版社は誰も受けなかったんだから。危ないから。出版社は自主規制しちゃうから。彼のエロのところは全然オッケーなんだけれど。
※6 吉本の初期詩集『転位のための十篇』(1953)の中の一篇「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつてぼくは廃人であるさうだ」(「廃人の歌」)『吉本隆明詩全集〈5〉』所収。
内田:政治の方でしょ。
平川:そっち関係に関してはだれも引き受けられない。そこでラジオデイズが引き受けようと(笑)。検閲しましたけども。
内田:それは恐いもんね(笑)。だけどヤクザの人は、ラジオなんて聴いていないよ。
平川:ヤクザじゃないんだよ、政治なんだよ。小沢一郎への批判はすごかったね。直観的に何かあるんだね。小沢さんに対して、鳩山さんに対して、あるいは姜尚中に対して。この三人に対する舌鋒がものすごいのよ。
内田:なんとなく分かるような気はするけれどね。どういう立ち位置からそういう批判をするんだろう?
平川:簡単に言うと、何かに依拠しててめえの足で立ってない、ということだと思う。出てくる話は全部下世話な話ですよ、親からお金もらっているとか、小沢さんにしても女房に逃げられた、とか。そんな話なんだけれども、根本にあるのは、語っている言葉と自分とが乖離しているのではないか、ということだと思うんですよね。
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