体験こそが重要
“13.写真やビデオを膨大に撮らないこと。すべてを収録する必要はありません。人生経験を肌身で体験してください。すべてはあなたの記憶に収録されます。”
これはどちらかと言えば、テクノロジー依存に対する警告のように読める。僕も何度かコラムに書いたことがあるが、親が子どもの運動会をビデオに収めるのに必死になるあまり、一度も肉眼で子どもの運動会を見たことがないという悲しい状況が起こりうることを知った。それ以降、僕は運動会をビデオで撮りましょう的な記事を書くことを辞めた。
人はなんのために映像で記録するのか。それは、記憶を呼び覚ますためのトリガーにするためだと思う。最終的には、記憶にたどり着くことが重要なのだ。記憶の中には、その対象だけではなく、その時の季節感や時代背景、匂いなど、様々な情報が折り畳まれている。そこにアクセスできるというのは、幸せなことだ。記録だけが存在して、記憶がないのでは意味がない。
最近の運動会は、写真を撮るだけの人が増えているが、これは人生としてトータルで見れば、いい傾向ではないかと思っている。僕が先頭切ってこんなことを言うと、ビデオカメラメーカーにとっては苦虫をかみつぶす思いかもしれないが。
ネット依存への警鐘
“14.ときどき家に携帯を置いて出かけてください。そしてその選択に自信を持ってください。携帯は生きものじゃないし、あなたの一部でもありません。携帯なしで生活することを覚えてください。流行に流されない、FOMO(自分だけが取り残されるていると思ってしまう不安感)を気にしない器の男になってください。”
“17.上を向いて歩いてください。あなたの周りの世界を良く見てください。窓から外を覗いてください。鳥の鳴き声を聞いてください。知らない人と会話をもってみてください。グーグル検索なしで考えてみてください。”
FOMOは本文にもちょっとした注釈が付いているが、2年ほど前から米国で問題視されている青少年のネット依存を象徴する現象で、Fear of Missing Outの略である。これはMTVが中心となって青少年を中心に調査した結果がベースになっている。
FOMOに代表される脅迫行動としての特徴は、これらの行動が自分でも不合理であるということをわかっており、それが自分でコントロールできないことである。
これに対処する方法としては、次の4つのステップが提唱されている。
1. テクノロジーの使用時間を計算する
2. テクノロジーの使用を一定期間絶つ
3. 再びテクノロジーを徐々に取り入れていく
4. できるだけ多くの人との直接的なふれあいを優先する
この方法論からすれば、一定時間、自分の判断でネットから離れる選択をするということは、理に適っている。実際には大人でも、いや大人だからこそ難しいのだが、完全に依存状態に陥る前に、ネットがない状態でもなんとかやっていくスキルを身につけることは、重要である。
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