※このインタビューの収録は2012年9月に行われました
ゲスト:石井裕(マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ副所長・教授)
聞き手:小山龍介
長期的なスパンで物事を考える
小山:先生のツイートを以前から読ませていただいています。読んでいると、先生は、直感的に、しかも瞬時にアイデアを発信されていますよね。拝見していて、非常に「即興性」を感じます。
石井さん:ええ。確かに「即興性」は僕の日々の活動の中ではクリティカル(不可欠)な要素ですね。
[caption id="attachment_2545" align="alignright" width="252"] 「ツイッターを即興的な発信の訓練の場として使っています」と語る石井MITメディアラボ教授[/caption]
小山:石井先生はそうした即興的な発信をしながら、一方では、自分の人生のライフスパンを超えてコンセプトを作っていくことも重視されていらっしゃいますよね。「即興」と「長いスパンでの構想を作っていく」ということは、時間軸からすると一見相反するものですが、先生はそのふたつを両立されています。しかし今の日本には、どうも「両方の視点が欠けている」ように思うのです。長い構想もなければ、瞬時の即興も生まれていない。
石井さん:ああ、それは小山さんのおっしゃる通りだと思いますよ。
小山:今回の取材では、石井先生が知的創造の活動の中で、普段どういうことを心がけているのか。また、どういうときにアイデアを紡がれているのかをぜひお伺いできればと思います。
石井さん:まず、長期的なビジョンを持つということについてですが、これはこれからの時代を生きていく上で本当に重要なものだと思います。
僕はよく葛飾北斎の浮世絵、『富嶽三十六景』の中のひとつ「神奈川沖浪裏」[1*]に喩えて説明しています。あの絵をどこかでご覧になったことはありますか?
[1*]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:The_Great_Wave_off_Kanagawa.jpg
小山:以前、石井先生の講演で拝見したことがあります。
石井さん:「神奈川沖浪裏」は、巨大な波にのまれそうになっている舟が描かれていて、遠くに富士山が見える非常に有名な絵ですね。あの絵に描かれたモチーフに喩えると「波にもまれながらも、舟にしがみついている船頭たち」が、いわば現在の日本の家電産業やテレビ産業などに当たります。一方で、波の向こうに普遍的で不動の存在として、富士山が描かれてもいる。あの富士山が、我々が持たなければいけない「長期的な視座」のイメージです。長期的な視座を持つためには、自分の中にしっかりとした基軸がなければいけない。
そのためには、自分の存在意義をはっきりとさせておくということだと思います。「自分は何のために存在しているか」を突き詰めて考えていくことで、自分の中に基軸が作られるのではないでしょうか。
お互いに「前陣速攻」の議論が知性を鍛えていく
石井さん:次に、「即興性」についてですね。知を鍛える方法はたくさんありますが、他者との議論においては「前陣速攻」の姿勢が大事だと思います。これは、僕が日々の議論で心がけていることです。
「前陣速攻」というのは卓球における戦術を指す言葉です。つねに卓球台に体をぴったりとくっつけるように立って、球がピークに届く前に叩く、攻めの戦術です。
つまり、一瞬の間に相手の球(=メッセージ)のスピンとコースを読みつつ、さらにそれに対して自分なりの知的スピンをかけて、相手が予想しなかったコースに球を打ち返すということです。
意表をついた球が返ってくることで、相手はさらに意欲を燃やし、議論の質が上がっていく。瞬間を意識したそういうやりとりこそが「知の格闘技」と言えるのではないかと思います。
スピード感を持って反射的に打ち返すことは、知的議論においては非常に重要です。僕はとくに「500ms(ミリセカンド)」(0.5秒)の単位レベルでの反射が大事だということをよく言っています。
例えば僕の講演を聞いてくれた人に「今日は何を学びましたか?」と尋ねたときに、その人が500ms以上答えに詰まったら、もう駄目だと思うんです。それは聞いた側だけでなく、発信した側の僕の責任でもある。瞬間的な反応は、鏡のように本質を映し出してくれます。
時間を超えて「言葉」がもたらすもの
石井さん:僕は、ツイッターを即興的な発信の訓練の場として使っています。
中原中也、宮澤賢治、ウィンストン・チャーチルなど亡くなられた詩人や哲学者のTwitter BOTをたくさんフォローしているのですが、彼らのツイートは、突然空から降ってくるように、ランダムにタイムライン上に現れます。
それらの言葉は、一見、偶然そこに現れたように見えます。しかし、僕はそこに何らかの「必然性」を見出し、その意味をディコード(解読)し、ツイートで自分の解釈を返すよう心がけています。
「なぜ、今、僕はこの瞬間にこの言葉に向き合っているのか、必ず深い理由があるはず」という視点で彼らの言葉をディコードして、BOTに返信する。もちろん、まだ500msで返せるほど熟達していませんが、ある言葉を瞬時に咀嚼して自分なりの言葉を返す、非常によい訓練になっています。
福島第一原発で事故が起こった後に「想定外」「未曾有」「前代未聞」などという言葉が頻繁に使われましたが、そういうエクスキューズは非常にナンセンスだと思いました。
津波にしても、過去の地震を経験した先人たちが「ここより下に家を建てるな」という石碑を建てていた。つまり、決して想定外ではなかった。しかし、我々はそれらの警告や教訓を無視してしまった。なぜこういうことが起きるのか。
僕自身、震災の後にそうしたことを考えて悶々としていたときに、タイムライン上のウィンストン・チャーチル BOTの言葉が目に飛び込んで来ました。
「人類が歴史から学んだことは、人類は歴史から何も学んでないということだ」。
僕はこの言葉を見て「まさに、これが自分の求めていたメッセージだ」と思いました。そこに、僕が考えていたことが、見事に逆説的に凝縮されていて、感動しました。
これはツイッターに限りませんが、知の触発は、必ずしも今生きている人からだけからもたらされるわけではないということです。
新しいメディアにはまだ見ぬ可能性が眠っている
石井さん:僕は文学者ではないですけれども、ツイッターを使って140文字以内で発信するときに、ある意味では俳人や歌人になったつもりでメッセージの本質を短い言葉の中に「凝縮する」ことを心がけています。
ただ、実際は、ツイッターをそんなふうに使っている人は少ないですよね。「中目黒なう」とか「ラーメンが食べたい」など、日常のことをさりげなくつぶやいている方が多いと思います。しかし、僕は「メディアとして使い倒し、新しい可能性を開拓したい」と思っています。
例えば、あなた(編集担当)が今持っているペンがありますね。そのペンは、あなたがクリエイティブな志と技術を持っていれば、素晴らしい思想表現の道具に変わる。
何でもないような落書きを描くこともできるけれども、もしかしたら、ノーベル賞を受賞するような文学作品を書くことだってできる。使い手次第なんです。
ツイッターは、普及したとはいえ、まだ十分に定義されていないメディアです。新しく生まれたメディアに対して、使う側はいろんな実験ができます。とくに僕はメディアを研究している立場ですから、みなさんが考えるソーシャルメディアのイメージの枠を超えるようなさまざまな方法を試しています。
ツイッター上に、僕が作った母親のお墓があります。それは地上ではなく、雲(クラウド)の上にあります。ツイッター上に母のアカウントを作り、母が作った短歌をそこからツイートしていた。そうしたら、母の命日にお花が届いたんですよ。
この出来事に、僕は本当に心を動かされました。亡くなったはずの母がよみがえったような気がしたからです。
僕はあと20年くらいでこの世からいなくなるでしょう。しかし、僕の言葉を僕のBOTがつぶやいてくれれば、僕はそこで永遠に生きられるというわけです。今私@ishii_mit は私のBOT @ishii_mit_BOT とツイッター世界でコラボしています。
「コンパス」と直感
小山:今、石井先生がおっしゃったように「電子データ」というのは、ずっと残っていくものであるゆえに、ある種の永遠性を持っていますよね。
石井さん:そうですね。電気が供給されていて、サーバーとネットがある限り、ということですけれども。
小山:そのデータは、自分にやってくる瞬間に、よみがえってくるような感覚があるなと僕は思うんです。
石井さん:そうですね。そこで重要なのはBOTというエンジンを使うことにより、「向こうからやってくる」ということですね。
ランダムにメッセージが天から降ってくるからこそ、自分の中に眠っていた記憶がよみがえってくる、インスパイアされるということがあります。
突然、中原中也のBOTから「私はその日人生に、椅子を失くした」という言葉が降ってくる。突然謎めいた言葉を投げつけられる。もちろん、すべてが心に刺さらないかもしれない。“はずれ”もあるかもしれないけれども、いくつかは僕の心に深く突き刺さる。そうすると、その刺激をエネルギーとして、次のアイデアが生まれてくる。
小山:瞬間的な刺激に反応していく中で、インスピレーションが生まれるということですね。ただ、そうした瞬間的な刺激は、一方で、均衡を崩すものでもあります。
そういう意味では、瞬間的な刺激を受け入れることはリスクを伴う。自分の安定を保つために、それらをプロテクトしようとしてしまう人もいるのではないでしょうか。
石井さん:僕は、そういう時代はもう終わっているのではないかと思います。
確かに、仕事中にインタラプション(割り込み/中断)が絶えず入り込むと、どうしても仕事に対する集中力が阻害されますよね。そういうマイナスの面もあると思います。
しかし現実として、今はビジネスにおいてもチャットやSNSを含めて、あらゆることをパラレルにこなしていく“超マルチタスキング”が通常の状態ではないかと思うんです。瞬間的な刺激に反応しながら、高速にタスクスイッチしながら、同時並行的に、たくさんの仕事をこなさざるを得ない。
いくつものタスクをジャグリングしているような感じです。そういう状況の中で、人間の処理能力も必然的に上がっている。
小山さんもおそらく、すでに1ダースくらいの仕事を同時にマネジメントできる能力をお持ちなのではないでしょうか。今、1ダースが当たり前だとすると、さらに次の世代は、20、30もの仕事を同時にやるのが当たり前になるのではないかと思うのです。
相手のメッセージに対してスピンをかけて打ち返す力が、自分自身にあって、そこによき対話が生まれるのであれば、瞬間的な刺激を受け入れていく方がメリットは大きいのではないかと思います。
小山:しかし、日本では企業においても個人においても、「計画性が重要である」とずっと言われてきたために、予想外の事態に対して、臨機応変に反応する姿勢を持つことがなかなかできない、という現実があるように思います。
瞬間的なもの、先が分からないものに心を開き、身を投じていくためには、何が必要なんでしょうか。知的体力なのか、勇気なのか、それとも直感なのか。
石井さん:そうですね……「直感」と「反射」が一番近いかもしれませんね。
みなさん、計画を立てることに非常にエネルギーを使いますよね。「10年、20年後の社会や文化、価値観はこうなる。そしてソーシャルメディアはこうなる」「だから我が社はこういう計画を立て事業を展開していきます」と、パワーポイントを使って立派な資料を作られます。
しかし、いくらそうした「時間軸でのマップ」を作っても、その通りにはいかないわけです。実際に我々の多くはWikipediaの成功以前に集合知の実現を、グーグルが登場する前にこのサーチ文化を、あるいはフェースブックやツイッターが登場する前に、現在のソーシャルメディア文化の到来を予見できなかった。
逆に言えば、予想外の革新的飛躍が次々と起きるからこそ、世の中は面白いのだし、だからこそ未来に向けた跳躍のための研究が成り立つ。
そもそも、計画経済の時代であれば話は別ですが、自由主義経済の中では「勝ったもの勝ち」、勝者標準ですよね。
遡れば、アドビシステムのPDFが電子文書の標準規格の地位におさまるまでには、さまざまな規格が登場しました。しかし、結局はPDFが勝った。近年成功しているネットサービスのほとんどは、きちんと設計仕様書を書いて合意をとってからコードを書くのではなく、いきなりコードを書き、走っているコードが仕様なのだというやり方で世界標準の座を勝ち取りました。インターネットの世界には「ラフ・コンセンサス(大まかな了解)を得られればランニング・コード(動いているプログラム)が優先される」という考えがありますが、世界全体がそういう価値観になってきていると思います。
これはメディアラボの所長である伊藤穣一氏の言葉ですが「地図ではなく、コンパスを持つことが大事だ」ということです。地図を一生懸命作るのではなくて、自分は北へ行くのか、それとも南へ行くのかという方向感覚(基軸)をしっかりと持つこと。メディアラボでの研究活動では、そういう志を大事にしています。
その方向感覚は、本能的なものであり、直感的なものです。「理屈では説明できないけれど、この方向が正しいんだ」という自分の直感を信じて、リスクをとってどんどん進んでいくということです。
<後編につづく>
【プロフィール】
石井裕(いしい・ひろし)
1956年生まれ。1995年MITメディアラボ教授に就任し、タンジブルユーザーインターフェースの研究で世界的な評価を得る。2001年にはMITからテニュア(終身在職権)を授与され、09年からメディアラボ副所長も務める。著書に『タンジブル・ビット/情報の感触 情報の気配』、『CSCWとグループウェア』、『グループウェアのデザイン』ほか多数。ツイッターアカウントは@ishii_mit。
https://plus.google.com/+HiroshiISHII/about
<この文章は小山龍介メルマガ『ライフハック・ストリート』から抜粋したものです。もしご興味を持っていただけましたら、ご購読をお願いします>
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