運命的な出会いを演出するか、腐れ縁から恋に発展させるか
でき上がった作品の書き出しと、小説の書き始め方はイコールではないのだから、どこから書き始めようと作者の自由である。二行目からであろうと、あるいは最後の一行からであろうと、書き手の書きやすいところから入ればよい。
ちなみに私は、起承転結なら、転とか結から書き始めることがままある。と言えばおわかりのように、私の場合は書き始めるときには全体のプロット(筋立て)がおおよそできている場合が多い。
と言ってしまうと安易にとられがちだか、それを書き進めながらプロットが大きく変わったりしてしまうから、小説を書くということはやっかいで面白いのだ。結論さえもひっくり返ったりして、活字になってから当初のメモなどと照合して、自分であらためて驚いたりする。
こんなふうに、書き始め方と書き出しが違うということをまずはご理解いただき、論の運びを簡略化するために、小説は恋愛と同じように起承転結、あるいは春夏秋冬であると仮定しよう。
起あるいは春には衝撃的な出会いもあるし、さりげない始まりもある。第五交響曲のように、オーケストラのほとんどすべての楽器が、同じキーで、ジャジャジャジャーーンとやるような、運命的なプロローグもあるし、気がついたらぐちゃぐちゃっと取り込まれていたというような、腐れ縁に近い恋もある。どちらがよい展開をみて、すばらしい結末に繋がっていくかは、だれにもわからない。
問題はそのプロローグなのだけれど、恋愛もその出会いが大切なように、書き出しの一行が小説作品全体のたたずまいを決定してしまう場合が多いので、きわめて重要な要素になる。
これについては前にも書いたが、必ずしも一番最初に書き記さなければいけないという法律も規定も内規もない。一等最初に書ければそれにこしたことはないけれど、後で考えて加筆すれば、それでもよいのだ。
だがここではどこから書くかではなく、結果として完成品となった小説作品の書き出しについて、書いてみよう。
新人賞の選者をうならせる「書き出し」とは
さて実際の完成品小説の書き出しの一行目。
有名なところでは、本書の書き出しに借用した
「おい地獄さ行ぐんだで!」(『蟹工船』小林多喜二)とか、「国境の長いトンネルを抜けると、雪国だった。」(『雪国』川端康成)とか、
「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変わっているのを発見した。」(『変身』カフカ)とか、
私が一番気に入っているのは、「彼は歳をとっていた」で始まって、「メキシコ湾に小舟を浮かべ、ひとりで魚をとって日をおくっていたが、一匹も釣れない日が八十四日もつづいた。」(『老人と海』ヘミングウェイ)
と続いていく書き出しだ。
いきなりその小説世界に引きずり込まれるようでわくわくする。その他、私が気に入っている書き出しを挙げてみよう。
僕が芝生を刈っていたのは十八か十九のころだから、もう十四年か十五年前のことになる。けっこう昔だ。
ーー『午後の最後の芝生』村上春樹
作品全体のたたずまいを表象するよい書き出しだ。
さりげなさの中に、読者をもって「んッ?」と感じさせるしっかりとしたヒキ(芝を刈っていたのは)を持たせている。さらに、けっこう昔だ……という短い括りかたに、文章のリズムも含めての味がある。
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
ーー『草枕』夏目漱石
いきなり大きな結論から入るようで読者を唸らせる。書き出しだけで比べると、我輩は猫である……のインパクトには負けるけれど、私としてはこっちのほうが好みだ。写生こそ至上の表現方法とした正岡子規が読んだらきっと激怒したかもしれないが、百パーセント理屈のこの書き出しこそ、散文としての文芸(文章の芸)を感じさせてくれる。
で、スズキさんはその日、生れて始めて有給休暇をとった。
(*「で」は原典では赤の大文字)
ーー『スズキさんの休息と遍歴』矢作俊彦
出足の表記のあざとさはすさまじいのだけれど、この人の作品にちりばめられた粋が(多少スベッているものも含めて)、読者の怒りを静めてくれる。いかにも小説は自由だ……という書き出しだ。
三月のある日のことだった。
だが、小説を書くときには、決してこんな風に始めてはいけない。おそらく、これほどまずい書き出しはないだろうからだ。想像力に乏しく、平凡で、無味乾燥で、ただ意味のない言葉を並べただけのものになるおそれがある。だが、この場合は許されるべきであろう。なぜなら、本来この話の書き出しとなるべきつぎの一句を、前ぶれもなく読者の前にいきなりつきつけるのは、あまりにも乱暴かつ非常識すぎるからだ。
サラーは献立表を前にして泣いていた。
ーー『アラカルトの春』O・ヘンリー
なんともこの項に相応しい書き出しである。
何十年も前にこれを読んだ私の記憶では、前半部分があっさりと消滅していて、いきなり「サラーは献立表を前にして泣いていた」が書き出しだと思い込んでいた。
バーンとしたそんな書き出しを、いつかやってみたいとずっと思っていたが、いま読み返してみるとこんなに長いエクスキューズが前置きされていたとは、人間の記憶など(人間じゃなくて、私の問題なのだけれど)いい加減なものだ。
その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、まったく、住む建物も各々の食物も殆ど変わっていやしない。物置のようなひん曲った建物があって、階下には主人夫婦、天井裏には母と娘が間借りしていて、この娘は相手の分らぬ子供を孕んでいる。
ーー『白痴』坂口安吾
安吾はすごい。まさに畳み掛けるような文体の書き出しは、このテンションのまま、延々と最後まで行く。作品全体の異様な状況が、的確に集約されている。
この書き出しをここに提示したのは、みなさんがおそらくは新人賞などへの応募を目論んでいると思うからで、つまりこういう(これをそっくり真似ろというのではなく)、他の何者でもないという書き出しは、第一次選考の選者をうならせるという例示のつもりなのだ。もちろん作品の中身が重要なのだが、淡々とした凡百の書き出しよりは、これは違う……と感じさせる書き出しを各人工夫して欲しい。
キリマンジャロは、高さ一万九七一〇フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ大陸の最高峰と言われている。西側の頂はマサイ語で『Ngaje Ngai』(神の家)と呼ばれている。この西側の頂上に近く、ひからびて凍りついた一頭の豹の死体が横たわっている。こんな高いところまで豹が何を求めてやってきたのか、だれも説明したものはいない。
ーー『キリマンジャロの雪』ヘミングウェイ
救助飛行機を待つ、壊疽に罹った男の回想という形のこの短編に、有名なこの書き出しが後から付け足したものか、ここから書き始めたものか私は知らない。だがこの作品が彼の代表作とまで評価されたのは、やはりこの書き出しがあったからだろうと思う。
前半の旅行ガイドのようなそっけない文章に、後半の暗喩をかぶせているところが何とも効果的なのだ。
だがこれはヘミングウェイだから許されるわけで、何処かの新人賞に応募を考えている人は真似してはいけない。
幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。
オブロンスキー家ではなにもかも混乱してしまっていた。
ーー『アンナ・カレーニナ』トルストイ
中原中也ならトルちゃんのアンカレね、とでも言うのかもしれないが、新潮文庫版ではこうなっている。が、私の記憶の中には「幸福な家庭は一様に幸福であるが、不幸な家庭はさまざまに不幸である。オブロンスキー家では乱脈を極めていた」とファイルされている。
しつこいようだけれど、書き出しというものは小説作品を書き上げてから、後から付け加えたりすることもある。トルストイの有名なこの書き出しは、そのパターンだったと聞いた記憶がある。
アンダーライン部分は、翻訳こそ違え同じ意味合いで、作品の書き出しとしての掴みになっている。混乱とか乱脈とかって、なんだろうと読み始めると、主人のオブロンスキーが家庭教師と不倫して、それが妻にばれた……という、書き出しの力み具合にそぐわないものなのだが、この書き出しがあるからこそ、読者はすっと作品に取り込まれてしまう。
飼育室にはさまざまな小動物の発散するつよい匂いがただよっていた。その熱い悪臭はコンクリートの床や壁からにじみでて、部屋そのものがくさって呼吸をしているような気がした。
ーー『パニック』開高健
開高健の実質的デビュー作(これ以前に同人誌に『あかでみあめらんこりあ』を書いているが)で、異常繁殖した鼠の大群が大地を覆って、やがて……という衝撃作である。
静かだけれど何となくいやな気分にさせるこの書き出しが、この後を読み進める読者にある種の恐怖感を植え付けている。やはり初期の四つの短編に、開高健の全エキスが詰まっていると思う。
その朝のツトムはまだ何者でもなかった。十七歳の普通の高校生だったし、自分が何者かになれるなんて、とても思えなかった。
ーー『17歳のランナー』草薙渉
すみません、自作です。体育の体力測定で、いきなり百メートルを九秒台で走ってしまった高校生の話なのだが、けっこうわかりやすい書き出しだ、と思う。久しぶりにパラパラ捲って、ツトムの出した九秒六二が未だに更新されていないのを確認できてちょっと安心した。
と、九つを例示したが、その他にもここに挙げ損ねたよい書き出しはたくさんある。お暇なら、自分の気に入っている書き出しのリストなど作ってみると、よいかもしれない。そしてどうして自分がその書き出しに魅かれたのか考えてみることも、これから書く自分の作品の大いなる糧になるかもしれない。
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