やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

「いま評価されないから」といって、自分の価値に疑問を抱かないためには


 恥ずかしながら、私は低学歴であります。

 といっても、慶應義塾大学法学部政治学科を5年かけて卒業し、日本の世間的にはまあまあ以上の学歴を持っています。普通に勤め人としてお給料をもらって暮らしていくのであれば、あまり学歴についての問題を気にすることなくコンプレックスを抱く必要もないでしょう。

 作家としても、幸いにしていろいろとご相談をいただき、人様の作品作りのお手伝いをやるにあたり、学歴が障害になることはまずありません。投資活動は言わずもがな、実力がモノをいう世界であるならば、何も気にすることなくあれこれ考えたり、人と会って話を進めたりすることはできます。

 ところが、最近はいわゆるアカデミックな世界や、いろんな国の皆さんとの利害衝突の場に足を踏み入れることが多くなってきました。48年間生きてきて培ってきたことを、意味のある形で条件に落とし込み、相手方に提示し、信頼関係を築きながら問題解決でご一緒するという仕事は、個人的にやりたいことである反面、相手から信頼されるときどの面を強調しなければならないかという問題に直面することになりました。

 例えば、ワクチン関連で「お前しかできない」とまで言われてやってみたことが、実は私は医師でもないし、医学博士でもない、横にいるのは教授や大手シンクタンクの研究員ばかりで、論文を幾つも出している大御所ばかりが居並ぶ会議で次々と、刻々と変わる状況について説明しなければならなくなったら。

 あるいは、新しい事象について見解を求められ、回答するにあたり「お前、誰やねん」問題を突き付けられて、どのような資格でこの問題に関わっているのか私ではなく私に委嘱した人物が「彼しかできないことだから」と言っている場面に遭遇したら。

 別に恥じるような人生を送ってきたつもりはないが、自分なりに頑張って精いっぱいやってきたこととは違うことが求められたとき、いまさら軌道修正は効かないぞと思いつつもできることは全部やってやろうと思ったりもするわけです。

 他方、医師であったり、海外のPh.Dを取って帰ってきたはずなのに、いま与えられている役割に自分のやってきたことが必ずしもフィットしないからという理由で、可哀想なことに、まったく評価されない若者がいたりもします。

 もちろん、そういう場面に立ち会ったときの気持ちの半分は「若くて羨ましい、その博士の肩書を私に寄越せ」という黒い感情でありつつも、残りは「彼の人生はこれからだ。ここであまり期待されない仕事を振られて時間を潰すよりは、もう少し彼が主体的に取り組めるようなモノの頼み方をできないものだろうか?」と勝手ながら思案することになります。

 また、折の悪いことにしばらくオンラインでずっとみんな作業をすることが強いられていたため、人間同士の信頼関係を若い人と既存組織の間でうまく築くことができず、会って話したこともない人間をチームに入れて仕事を進めることにアレルギーを感じる大人たちや偉い人の問題というのもまた大きい。

 若い人に寄り添え、歓心を買えというつもりはまったくないのですが、彼らがなぜそこにいて、どうやって能力を発揮してもらって、設定されているゴールに向けてみんなで取り組んでいくにはどうすればいいかという考えが欠けている職場やチームだと、どうしても取り残されている人が取り残されたまま、できる人に仕事が集まって、全部おっかぶせて、潰れるまで走れという話になりがちです。

 私などは、まあ確かに忙しいし理不尽で不条理なことも多いけど、なんだよ馬鹿野郎と愚痴のひとつも言いつつ「まあだいたいこんなもんでしょ」と後から怒られが発生しない程度に詰めた対応をすることは可能です。まあそれもこれも私がジジイだからなんですが、そういう海千山千スキルを得たのも、いわゆるアカデミックな学歴を皆さんがしっかり積んでいく間、民間企業でゲーム制作などをやり、沢山の炎上プロジェクトを見て、それなりの解決をしてきたという「経験値」があるからなんですよね。

 それでも、学歴的には最下層であるから、まったく人権のないところで頑張らされるのはどうなのと思いつつもマズい状況を楽しめる余裕はあります。他の人たちはどんどん精神的にも肉体的にもきつくなって離脱していきますが、私が宙ぶらりんな立場ながら公務のど真ん中で立っていられる理由は「どうにかする力」と同時にどうやら「精神的にとてもタフだから」だったという結論になります。

 しかし、若い人はタフになりようがない。いつも怒られ、変わり続ける状況に翻弄され続け、全員に遺漏なく連絡をする過程で誰が誰より報告が先だった後だった、俺は聞いてない、そんなことばっかり起きるわけですよ。潰れないほうがおかしい。そういう人たちを、守ってあげる仕組みがない限り、我が国の危機対応の現場は回らないんじゃないか、短期決戦は我慢と残業と徹夜でどうにかなるとしても、一年、二年の長丁場になった途端に擦り切れて退場する人たちの墓標の山になると思うんです。

 この原稿を書いている3月末も、ひとりの秘書官が退任する話になりました。いや、あなたお越しになったの昨年の暮れぐらいですよね。もう少し踏ん張ったらどうですか、なんてとても言えないような状況です。いやー、辞めるんなら早いほうがいいよ。あなたの人生とご家庭のために。そう思います。

 チームにいた若い人も、ちょっと連絡が取れなくなった後で、メールで「大学に戻りたいので、一度相談に乗ってください」という話が来ました。おう、帰れ帰れ。こんなところにいないで、もっと給料のいいところを探して、好きな人と一緒になって、幸せな家庭を築いたほうがいいよ。

 そういう話になると、大抵出るのは「あいつは使えない」「低評価だ」「もっとまともな人を回してもらえるように頼む」「うちには人材がいない」という表現ばかりです。まあ、結果として一番機能的には使えないはずの民間協力者にすぎない私がいつまでも現場で温存されているのを見ると世の中の理不尽さも分かろうというものだと思いますけどね。

 まだ私に余力があるのは、人生が掛かってないからなんですよ。この界隈で出世なんて望まないし、クビになったところで喰えなくなるものではない。何があっても、笑ってみていられるのは余裕を生む、だからこそ、変な圧力がかかっても、あるいは理不尽が尽きなくても大丈夫なのです。

 でも、若い人や、先のある人はそうはいかない。どうせ人生を賭けて取り組んでいるのだから、もっと意味のある、役割に応じた地位と、然るべき報酬と、守るべき家庭とがしっかりと備わって、真の意味で日本を支える人物へと成長していってほしいと思います。

 なので、勝ち目のない仕事は私らどうでもいい人材に任せて、いくらいま評価されずとも将来自分はこれで身を立てるのだという夢と希望を抱いて新天地を目指していってほしいと思います。
 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.Vol.328 自分の価値に疑問を抱かないための提案、そして早期解散総選挙への疑義や簡単すぎるネットアクセスで生じるリスク問題などを語る回
2021年3月31日発行号 目次
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【0. 序文】「いま評価されないから」といって、自分の価値に疑問を抱かないためには
【1. インシデント1】本当に早期解散総選挙論?? の憂鬱
【2. インシデント2】ネットアクセスがあまりにも一般化したがゆえのツケみたいなもの
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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