※岩崎夏海のメルマガ「ハックルベリーに会いに行く」より
「言論の自由」を声高に叫ぶ人は、みんな、「言論の自由」を本当に信奉しているのだろうか? 「本当に信奉している」というか、本当にその意味するところが分かっているのだろうか?
分かっていない——というのが、ぼくの見たところである。多くの人が、「言論の自由」をだいじだといいながら、「何でもかんでも言っていいわけではない」と思っている。例えば、他者を差別したり、誹謗中傷したりする言論は、言ってはいけないと思っている。
これは、極めて純粋な意味での「ダブルバインド」だ。そして彼らは、それをほとんど無自覚にしていて、自分でダブルバインドだと気づいていない。だから、指摘されるとすぐに論破されてしまう。そうして、結局有益な話し合いにならない。そういう有益な話し合いにならない人の意見というのは、社会に何の益ももたらさない。
「言論の自由」を信奉することは、とても難しい。「言論の自由」についての有名な故事に、ユダヤ人に対する差別的な言論をした人が、差別的な言動をしたことで訴えられた裁判で、他ならぬユダヤ人の弁護士によって「言論の自由」による無罪を勝ち取った、という話がある。裁判後、ユダヤ人の弁護士は、「ユダヤ人に対する差別的な言論には反対するが、彼の差別的な言論をする自由は守る」と言ったのである。
「言論の自由」とは、それくらいにして守られるべきものという「原則」がある。これは極論ではなく、極めて一般的、かつ本質的な例である。その意味で、「言論の自由」というのは、主張するのがとても難しいのだ。
これと同じように、「暴力反対」も、主張するのが難しい。なぜなら、「暴力反対」とは、論理的に考えると、全ての暴力に対してコミットしないということで、当然、殴られても殴り返さないということだからだ。また、殺されそうになっても、逃げることはするが、反撃はしないということである。これが、純粋な意味での「暴力反対」である。
しかしながら、多くの人は「暴力反対」を、「言論の自由」と同じように、ダブルバインドとして使っている。例えば彼らは、「暴力反対」と声高に叫ぶことは、他者に対して「お互いに殴り合わないようにしましょうね」と約束し合うことだと考えている。
しかしそんなことなら、地球上のあらゆる国のあらゆる人が、そう思っているだろう。そしてそんな考えでは、もちろん暴力を止められない。世の中には、約束に関係なく勝手に攻めてくる人というのがいる。そして、自らの身を守るためにそれに反撃したら、それはもう、「こちらにとっての暴力」なのだ。それ以上でも、それ以下でもない。反撃は、純粋で、本質的な意味で「暴力」だ。
だから、「暴力反対」と言うならば、こちらは「非暴力」を貫かなければならない。攻撃されても、反撃してはならない。逃げるというのが、せいぜいできることだ。
その意味で、殺害予告をされたからといって、警察に通報して、積極的に探し出し、捕まえにいくというのは、けっして非暴力ではない。もし、警察に通報しながら「暴力反対」と言うのなら、それは純粋な意味での、そして単純な意味での「ダブルバインド」だ。それ以上でも、それ以下でもない。
今、ロシアがシリアに空爆をしている。そして、ロシアがシリアに空爆している理由は、シリアにあるISの基地を叩くためである。そしてロシアがなぜISの基地を叩くかといえば、ISがロシアに対しての敵意を鮮明にしており、ロシアに対してテロを行う可能性があるからだ。だからロシアは、ISのテロを未然に防ぐために空爆をしている。
つまりロシアがしていることは、殺害予告をした犯人の家に強制捜査に入って、彼らが予告を実行できないように先回りして逮捕すること——と構造的に同じなのである。ロシアは全く純粋に、そして極めて単純な意味で、自らの身を守るという名目でシリアを攻撃している。
つまり、ダブルバインドで「暴力反対」と言っている人たちの考え方を突き詰めることも、人を暴力で抑えることはおろか、殺すことも簡単なのである。今のロシアが、それを証明してくれている。
そして、そんな矛盾に満ちた論旨では、結局他者を説得できない。多くの人の賛同を得られず、やがては取るに足らないものと片づけられてしまう。
取るに足らないものと片付けられたのでは、結局世の中を良くできない。そういうふうに、ダブルバインドで「言論の自由」や「暴力反対」を声高に叫ぶ人は、結局、世の中になんの益ももたらさない。
※この記事は岩崎夏海のメールマガジン「ハックルベリーに会いに行く」からの抜粋です。
岩崎夏海メールマガジン「ハックルベリーに会いに行く」
『毎朝6時、スマホに2000字の「未来予測」が届きます。』 このメルマガは、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(通称『もしドラ』)作者の岩崎夏海が、長年コンテンツ業界で仕事をする中で培った「価値の読み解き方」を駆使し、混沌とした現代をどうとらえればいいのか?――また未来はどうなるのか?――を書き綴っていく社会評論コラムです。
【 料金(税込) 】 864円 / 月
【 発行周期 】 基本的に平日毎日
ご購読・詳細はこちら
http://yakan-hiko.com/huckleberry.html
その他の記事
AIと再生医療(高城剛) | |
怪しい南の島が目指す「金融立国」から「観光立国」への道(高城剛) | |
「群れない」生き方と「街の本屋」の行方(名越康文) | |
追悼・鶴ひろみさん/再生の水の秘密を知る少女=ブルマとともに(武田梵声) | |
復路の哲学–されど、語るに足る人生(平川克美) | |
“日本流”EV時代を考える(本田雅一) | |
「狭霧の彼方に」特別編 その3(甲野善紀) | |
人々が集まる場に必要なみっつの領域(高城剛) | |
5-10分の「忘れ物を取り戻る」程度の小走りが脳を変える(高城剛) | |
今の京都のリアルから近い将来起きるであろう観光パニックについて考える(高城剛) | |
「支持政党なし」の急増が示す政治不信の本質(やまもといちろう) | |
オランウータンの森を訪ねて~ボルネオ島ダナムバレイ(1)(川端裕人) | |
日大広報部が選んだ危機管理の方向性。“謝らない”という選択肢(本田雅一) | |
国が“氷河期世代”をなんとかしようと言い出した時に読む話(城繁幸) | |
あるといいよね「リモートプレゼンター」(小寺信良) |