甲野善紀
@shouseikan

対話・狭霧の彼方に--甲野善紀×田口慎也往復書簡集(14)

人間にとって自然な感情としての「差別」

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※甲野善紀氏からの第一信が読めるバックナンバーはこちらから →

第21号
第22号
第23号
第24号
第25号
第26号
第27号
第28号

 

甲野善紀氏から田口慎也氏への手紙>

今回の御手紙を拝見して、私はこの往復書簡を貴兄と行いたいと思った事が、私にとって本当に意味があったと、あらためて思いました。今回、貴兄が呈示された問題は、私がずっとライフワークとして抱えている「人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」という事とも共通する、論理的には相容れない事象を、どう自らの中で納得するかという事でもあるように思います。

確かに、「本当に、この教えこそ最もすぐれたもの」というか「自分にとって唯一の信ずべきものである」という確信を得てこそ、真の信仰といえると思います。それは「奇跡的に病気が治った」とか、「困難な問題を解決してもらった」といった事がキッカケでそれを信じる、といういわば経験によって得られる学習レベルの信頼とは次元が違うと思います。

いま例に出したような経験による学習レベルの信頼は、腕のいい医師に難病を治してもらった事とあまり変わらないでしょう。これは、その腕のいい医師に病気を治してもらった後に、また難病に罹り、再度診てもらっても、治癒が困難な事が起こった場合、さらに腕がいいといわれる医師なり療法なりを知って、それがいいと思えば、たちまちそちらの医師に乗り換えるのと殆ど変わらないレベルの信仰でしょう。

効き目や効率、技の完成度が第一の医療や他の技芸においては、そうした事がごく当たり前に行なわれています。ですから古来から武術においては、いままで学んでいた師よりも遥かに技倆が上の武術家に出会って流儀を変えた、という例は枚挙にいとまがありません。もちろん、様々な人間関係から、そうもならず、元の師の許にずっと就いているという例もありますが、それは真の信仰に目覚めた人が心の底から、その信仰に身も心も捧げて他の宗教の教えに変わることがないのとは全く違った姿だと思います。

ですから、宗教においても奇跡的な行いに驚いて入信する者は、入信するのも早いが、冷めるのも早いと言われるのだと思います。この事は大本教を描いた、あの実録大河小説『大地の母』に散々出てくる話で、田口さんもよく御承知だと思います。

確か出口王仁三郎の弟子で奇跡的事象に驚いたわけでもなく、その教義に心を動かされて入信したのは、湯浅仁斎が初めてだったように思います。もちろん、その後大本が広く世に知られるようになると、鎮魂などの奇跡的事柄と教養の両方から大本の信仰に深く打ち込む者も出て来ますが、出口王仁三郎に次ぐ実力者となった浅野和三郎にしても、このメールマガジンの22号から24号(※)で引用しました秋山真之の「東京大地震」の予言で、浅野自身も揺れたように、その教えそのものと一体化するというよりも、その教えで説かれている事が実際に起こるかどうかの実証で確認しつつ信じているという事で、やはり腕のいい医師を信じているレベルと似ているところが否めなかったと思います。

※ 第22号  第23号  第24号

開祖ですら、信仰に悩むことがあった

もっとも、そうした葛藤の果てに得られた出口直の信仰の深さは本当に見事なものであったと思います。その直の信仰の深さは、『大地の母』に出てくる直の葬儀の時、幹部の一人の田中善臣が次のように直(大神)の事を述懐する場面にも表われていると思います。

しんとした沈黙が通夜の席を支配し、虫のすだく声のみかしましい。田中はくぼんだ目をしばたたきながら、言葉を続ける。「ある時、ある人がとしとくけどな、大神さまのお傍へ来て言わはったんどすわ。『わたしは、この御神苑の掃除番でもしたいのどす』、『それは結構なお考えじゃ』と大神さまは答えなはった。けどどっせ、その人が帰りなはってから、大神さまは悲しげに洩らしてどした。『何というもったいないことを言うてん人じゃろ。なかなか見抜いた人でなけら、箒一本持たすことのでけぬ尊いところじゃのに……それでもそんなことを言うていては、誰も寄ってこんでのう』あてはこのお言葉を思い出すたびに、自分のことを言われているようで……」 田中はうつむき、涙をすする。(『大地の母』12巻より)

ここで興味深いのは、直がこの教えを本当に信仰出来る者は、ごくごく限られた者だという事をハッキリと自覚している事です。田口さんは「人は『本当に救われた』という確信を得た時、人に伝え、人をも『救う』行動を取らずにはいられなくなる存在でもあるということです」と書かれていましたが、この大本にせよ、禅にせよ、本当に深い信仰というか、悟りを得る者は才能と縁のある者であり、縁のない者は仕方がないし、縁の薄い者は、ある程度のところまで行ければ、それはそれでよしとするしかないという考えがあったように思うのです。(もっとも、大本はある程度であっても「この教えを広く多くの人に伝えなければならない」という使命感のようなものに、多くの人が突き動かされていた事も事実だと思いますが)

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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