小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ」より

「2分の1成人式」の是非を考える

※メールマガジン「小寺・西田の金曜ランチビュッフェ」2017年3月3日 Vol.118 <伝統を疑え号>より


皆さんは「2分の1成人式」というのをご存じだろうか。全国の多くの小学校で行なわれているであろう、一種の発表会のようなものである。毎年2月頃に行なわれるのだが、この時期にいつもこの行事の賛否を巡る議論が勃発する。

そもそも「2分の1成人式」とは何か。成人式は20歳、その半分の10歳を迎える年だから、「2分の1成人式」というわけだ。

行事の前には、子供が保護者に自分の名前の由来を聞いてくる、赤ちゃんの時の写真を持ってくるなどの宿題が出る。また保護者には、子供への思いを綴った手紙を書くという宿題が出る。

小学4年生の参観日に、子供たちが一人一人、自分の名前の由来や将来の夢などを発表し、最後に保護者への感謝の歌を歌って締めくくるといった具合だ。

この行事に出席し、感動したという人は多い。その一方で、過剰に感動的に仕上げすぎている、子供に感謝を強要しているといった意見もみられる。

 

マイノリティの立場

うちの娘が4年生の時も、この「2分の1成人式」があった。うちの小学校の場合は、子供が何をどのように発表するのか、実は事前に保護者には知らされる。プライバシーに触れる部分もあるので、発表されたくない事情が含まれていたら、その内容は外すように先生の方から指導してくれるようだった。

うちは父子家庭という特殊な家庭なわけだが、それをわざわざ人に発表するようなことではないと思っている。だから娘がその事を発表したいというなら、ちょっと困ったなと考えていた。だが娘の発表内容はそのことには触れていなかったので、安堵したのを覚えている。

子供達から発表される親への感謝の言葉は、まあみんながそう言うから、ということでリハーサルなどを通じてブラッシュアップされていったものなのだろう。どの子もいくつかのパターンの組み合わせで、来てくれている母親に感謝の言葉を述べる。まあうちの場合は僕が行っているので、父親への感謝の言葉となるわけだが。

確かにうちだけ、父親に対する感謝の気持ちを述べることで、親も多少居心地の悪い思いはする。だがそれはもう、シングルで子供を育てると決意した時点である程度は覚悟してきたことだし、実際そういう場面もすでに何度か通り過ぎてきたので、娘が4年生の頃には、ある程度の耐性が付いていた。

娘の方も、他の子が母親に対して、あるいは両親に対しての感謝を述べるシーンで、父親だけしかいないということは当然意識せざるを得ない。しかしそうだとしても、もう母親がいないのは事実として毎日暮らしている。多少何か居心地の悪い思いはするだろうが、どのみちこういうことは、これから事あるごとにずっとついて回る。それは子供のせいではなく親のせいなので、申し訳ないことではあるが、受け入れてもらわなければ人生の先へ進めない。

まあ、うちの場合は親が別れるという選択をしたわけだから、何かあったら親のせいである。それを誰かが責めるのであれば、甘んじて受け入れよう。だが、中には死別という形で別れざるを得なかった家庭もある。こうした不可抗力の別れ方をしたシングル家庭に対しても、こうした居心地の悪さ、もっと言えば一種の差別感を、自分たちの責任として受け入れろというのは、筋が違うはずだ。

もっとこのモヤッとした気持ちを詳しく言うならば、二親揃っている家庭の親は大変感動するようだが、その一方でそういう子の大半はこの行事に対して、特に何も思うところがないように見える。最後に歌う「十歳の記念日」という歌も、決して楽しそうに歌う曲ではない。特に何も感じていない子供達に混じって、少し寂しそうな顔をして歌う娘を見て、やんわりとした不公平感をこの行事から感じるところではある。

考えてみれば、小学校の行事で改めて親に対して感謝するというものは、他にないのも事実だ。幼稚園の頃はもっと沢山そうした行事があったような気がするが、子供の成長に合わせてだんだん減っていくものなのだろう。

そうした点では、小学4年生の時に差し込まれるようになったこの比較的新しい行事は、その辺のバランスを取ろうとした結果なのかもしれない。当然だが、行事というのは始まるときには悪気はないのだ。だから、あまりにも配慮配慮で何にもできなくなってしまうのはこちらとしても心苦しい。

この行事に反対する人からすれば、我々はもっと反対してもいい当事者なのだろう。だが、そういう立場の自分たちが不愉快だという理由で、多くの二親揃っている家庭が感動する行事を今すぐやめろというのも、いささか乱暴なように思う。

100%全員が納得できる行事というのはあり得ないわけだし、入学式卒業式のようなフォーマットの決まった式典ではないのだから、今のような演出過剰で感動を押し売りするようなスタイルではなく、少しずつでも形を変えながら、子供から親へ素直な気持ちを伝えるものになっていけばそれでいいんじゃないだろうか。

 

小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ

2017年3月3日 Vol.118 <伝統を疑え号> 目次

01 論壇【西田】
 「日本のビジネス文書作成」を真面目に考える
02 余談【小寺】
 「2分の1成人式」の是非を考える
03 対談【小寺・西田】
 ドワンゴ・岩城進之介さんに聞く「リアルとデジタル」のぼかし方(2)
04 過去記事【西田】
 「アナログ停波後」のテレビを巡る「汎用」と「高付加価値」の戦い
05 ニュースクリップ
06 今週のおたより
07 今週のおしごと

 
12コラムニスト小寺信良と、ジャーナリスト西田宗千佳がお送りする、業界俯瞰型メールマガジン。 家電、ガジェット、通信、放送、映像、オーディオ、IT教育など、2人が興味関心のおもむくまま縦横無尽に駆け巡り、「普通そんなこと知らないよね」という情報をお届けします。毎週金曜日12時丁度にお届け。1週ごとにメインパーソナリティを交代。   ご購読・詳細はこちらから!

その他の記事

41歳の山本さん、30代になりたての自分に3つアドバイスするとしたら何ですか(やまもといちろう)
ピクサーにみる「いま、物語を紡ぐ」ための第3の道(岩崎夏海)
「何をやっても達成感を感じられない時」にやっておくべきこと(名越康文)
お盆の時期に旧暦の由来を見つめ直す(高城剛)
週刊金融日記 第284号<ビットコインのおかげで生きたトレーディングの教科書ができました、安倍首相衆院解散か他>(藤沢数希)
21世紀の稼ぎ頭は世界中を飛び回るシェフ、DJ、作家の三業種(高城剛)
フィンテックとしての仮想通貨とイノベーションをどう培い社会を良くしていくべきか(やまもといちろう)
自分らしくない自分を、引き受けよう(家入一真)
週刊金融日記 第285号<暗号通貨トレーディング失敗記録もぜんぶメルマガ読者にお見せします、株式市場は日米の政策期待に期待他>(藤沢数希)
津田大介×石田衣良 対談<前編>:メルマガは「アナログ」なメディアである(津田大介)
高2だった僕はその文章に感情を強く揺さぶられた〜石牟礼道子さんの「ゆき女聞き書き」(川端裕人)
ワタミ的企業との付き合い方(城繁幸)
「ローリング・リリース」の苦悩(西田宗千佳)
週刊金融日記 第280号 <Instagramで女子と自然とつながる方法 〜旅行編、米朝核戦争に備えビットコインを保有するべきか他>(藤沢数希)
本当の「ひとりぼっち」になれる人だけが、誰とでもつながることができる(名越康文)

ページのトップへ