※高城未来研究所【Future Report】Vol.538(2021年10月8日発行)より
今週は、京都、滋賀、姫路、岡山、奈良と移動しています。
和牛の歴史を追いかけ戦国時代の戦跡を巡りながら旅をしていると、思わぬ興味深い史実と出会うことがあります。
奈良時代に仏教国となった日本では、長い間に渡って牛肉を食べることは禁忌とされていましたが、実はこっそり食べていた人たちがいました。
それが、キリシタン大名です。
キリシタン大名とは、戦国時代から江戸時代初期にかけてキリスト教に入信し洗礼を受けた大名のことで、ポルトガルから来た宣教師たちに域内で布教を認め、かわりに南蛮由来の武器やあたらしい文化を手に入れていました。
そのひとつが、牛肉を食することだったのです。
当時、牛肉を食べることは今日でいう大麻を吸うような行為で、人を惑わすと思われていました。
ところがポルトガルから来た宣教師たちは、栄養素となる豊富なタンパクを取れることから、牛肉は人間にとって大事な食材だと知っていました。
それを教えてもらったキリシタン大名たちは、戦下にこっそり食していたのです。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉小田原攻めの際、高山右近が蒲生氏郷と細川忠興に牛肉を振る舞ったとされる史実が残っており、この三名はすべてキリシタン大名です。
なかでも宣教師ルイス・フロスの影響を多大に受けた蒲生“レオン”氏郷は、領地である近江蒲生日野の地で内々に食肉牛を飼育し、これが今日まで続く近江牛で、その後、氏郷が松坂に封じられた際、近江から招き入れた多数の畜産技術者が寄与したことによって、松阪牛の歴史がはじまります。
氏郷が松坂へと移封された後の近江では、彦根藩が牛肉を食する文化を内々に引き継ぎます。
当時、彦根藩は幕府に太鼓を献上しており、その太鼓に使う牛革を確保するため牛の畜産を営み、その屠殺を許可されていました。
また、キリシタンも多かった事から、こっそりと牛肉を食べる文化が発達。今日へと連なる近江牛の礎を築きました。
戦国時代、牛肉は隠語のように「わか」と呼ばれていました。
これはポルトガル語で牛を意味する単語「vacca」やスペイン語の「vaca」にあたります。この「わか」を当時の秘密クラブ「茶会」で食し、最新の南蛮兵器「種子島」(鉄砲)を入手するのが、戦国武将のトレンドだったのです。
しかし、1613年(慶長18年)に特定の宗教を信仰し布教することを禁ずる「禁教令」が発令。
これは事実上のキリスト教禁止令で、棄教を拒んだ高山右近はマニラに追放されることになり、多数の隠れキリシタンが生まれます。
これ以降、日本人が再び牛肉をたべはじめるのは明治維新まで待たなくてはなりませんが、この間、まるで違法薬物のように牛肉は、アンダーグランドで食されていました。
宣教師ルイス・フロスは、自著に「私たちの食物も彼らの間ではとても望まれております。
とりわけ、これまで日本人が非常に嫌悪していました卵や牛肉料理がそうなのです。
太閤様(豊臣秀頼)までがそれらの食物をとても好んでいます」と書き記していますが、日本側の資料には秀吉が牛肉を好んで食べていた記載が一切ないことから、まだまだ公に出来なかった当時の様子が伺えます。
実際は日本を侵略するための密偵だった宣教師たちと、戦国武将の秘密の食事。
表層的なグルメ紀行より、歴史に根ざした食紀行ほど面白いものはないと感じる「食欲の秋」のはじまりです。
高城未来研究所「Future Report」
Vol.538 2021年10月8日発行
■目次
1. 近況
2. 世界の俯瞰図
3. デュアルライフ、ハイパーノマドのススメ
4. 「病」との対話
5. 身体と意識
6. Q&Aコーナー
7. 連載のお知らせ
高城未来研究所は、近未来を読み解く総合研究所です。実際に海外を飛び回って現場を見てまわる僕を中心に、世界情勢や経済だけではなく、移住や海外就職のプロフェッショナルなど、多岐にわたる多くの研究員が、企業と個人を顧客に未来を個別にコンサルティングをしていきます。毎週お届けする「FutureReport」は、この研究所の定期レポートで、今後世界はどのように変わっていくのか、そして、何に気をつけ、何をしなくてはいけないのか、をマスでは発言できない私見と俯瞰的視座をあわせてお届けします。