「共感」の前には「驚き」がある
社会がシステム化される中で「共感」から力が失われてしまうというのは、端的に言えばこういうことです。
「共感しましょう」「相手の立場になって考えましょう」
というときの「ルール」「ノウハウ」「正解/間違い」が、誰も気づかないうちに整備されていく。そして僕らはいつの間にか、そういった枠組みの範囲内でしか、「共感」できない生き物になっていく。
そうやってシステム化されればされるほど、「共感」はその本来の機能を失ってしまう。というのも「相手の立場になって考える」というルールに従うかぎり、僕らはどうしたって本当の意味で「相手の立場になって考える」ことができないからです。
システム化される以前の「共感」本来の力を取り戻すにはどうしたらいいか。それは僕にとって長年の問題意識でした。「共感」がなければ、暗く、淀んだ心を持つ人がもう一度前を向いたり、あるいは伸び悩んでいる人が次の世界に飛び立ったりするきっかけを得ることは非常に難しくなってしまう。それが僕の臨床的な実感でした。
しかし、「驚く力」は、その問題を解くひとつのカギとなると感じています。というのも、本来の意味での「共感」の前には、必ず心がハッと動き出すような「驚き」があるからです。
例えば「子供はほめて育てなければいけない」というのは、まったく正しい。ところが「ほめて育てなければならない」ということが「ルール」になった瞬間、「ほめること」が持つ本来の力が失われてしまう。
それは、「ほめること」がシステム化、ルール化された瞬間に「驚き」が失われるからです。子供が、自分たち大人が思ってもいないような成長を見せた。それに対する「うわ! すごい」という新鮮な驚きがあってはじめて、本当の「ほめ」が生じる。
そう考えると、「驚き」というものが人間の感覚世界に占めてきた役割の大きさがわかります。。「あなたの辛い気持ち、本当にわかるよ」という「共感」も、「すごい! よくできたね~」という「ほめ」も、いわば「驚きの名残」に過ぎないのです。
「ほめる」「共感する」といった感覚がシステム化され、ノウハウ化される中で失われていたのは実は「驚き」ではないか。これが、僕が本書をまとめる中で得た、大きな発見のひとつです。

その他の記事
![]() |
『「赤毛のアン」で英語づけ』(1) つらい現実を超える〝想像〟の力(茂木健一郎) |
![]() |
「疑う力」を失った現代人(名越康文) |
![]() |
「イクメン」が気持ち悪い理由(岩崎夏海) |
![]() |
梅雨時期に腸内環境の根本的な見直しを(高城剛) |
![]() |
人生に活力を呼び込む「午前中」の過ごし方(名越康文) |
![]() |
素晴らしい地中海食(高城剛) |
![]() |
何とかなった日韓GSOMIA「パーフェクトゲーム」の苦難(やまもといちろう) |
![]() |
「蓮舫代表辞任」後の民進党、野党、ひいては反自民について考える(やまもといちろう) |
![]() |
インターネットに期待されてきた理想と現実の落差(やまもといちろう) |
![]() |
「すぐやる自分」になるために必要なこと(名越康文) |
![]() |
21世紀の民族大移動:大きくリフォーム中にある移民大国の今(高城剛) |
![]() |
グローバル化にぶれないアフリカのエッジの象徴としてのエチオピア時間(高城剛) |
![]() |
英国のシリコンバレー、エジンバラでスコットランド独立の可能性を考える(高城剛) |
![]() |
怒りを動機にした分析は必ず失敗する(名越康文) |
![]() |
世界は本当に美しいのだろうか 〜 小林晋平×福岡要対談から(甲野善紀) |