元卓球世界王者・山中教子の必勝の方程式

ゲームを通じて知る「本当の自分」

5DM33930sm

人はなぜゲームに心惹かれ、ゲームに人生を見ようとするのか。「卓球王国」と呼ばれた時代に世界にその名を轟かせた元卓球世界王者・山中教子氏によるゲームと人生を巡る哲学、第3回はいよいよゲームと人生のつながりについて。

<第1回「負ける」とは「途中下車する」ということ>はこちら

<第2回 一流の戦い方>はこちら

【お知らせ】卓球世界王者のレッスンを自宅で受ける「アープ卓球通信」スタート!

小手先ではない、「本格的な卓球」を求めるあなたへ。

初心者からトッププレイヤー、指導者まで。アープ理論に基づく卓球の最先端を映像とテキストでお届けします。

banner

アープ卓球通信

 

ゲームは必ず緊張を伴うもの

ここまで大まかに「ゲームとは何か」ということをお話してきました。おおむね、「ゲームってこういうものなんだな」という認識を共有していただいたところで、ここからは少し、皆さん方の多くがゲームのときに経験してらっしゃるであろう、「緊張」についてお話したいと思います。

ゲームの世界には、必ず緊張があります。それは、ゲームでは必ず「勝ち負け」という結果が出るからです。

いくらゲームを楽しもうと思っていても、結果が出て、負けたら悔しいですよね。でも、「勝ちたい」「負けたくない」という緊張は自然と出てくるものですし、その緊張感があるからゲームは面白いんです。はじめから、「負けてもいいや」という姿勢では、ゲームは退屈なものになってしまいます。

「絶対に負けられない」真剣勝負であるほど、緊張感は増してきます。私の現役時代では、全日本選手権などの重要なゲームの一週間前くらいからだんだんと緊張が高まってきて、ご飯が食べられなくなったり、眠れなくなったりしたものです。

ゲームに限らず、大事な講演やイベントなど、あらゆる「本番」の場面では、緊張は必ずあります。ただ、講演やイベントは「勝ち負け」ではありませんから、結果を気にせず思い切り楽しむことだってできるんです。スポーツのゲームには「勝ち負け」があり、相手をやっつけるわけですから、どうしても楽しいことだけ、というわけにいきません。

ただ、ここで注意していただきたいのは、「勝ち負け」というのはあくまでゲームセットの瞬間、今日のお話でいえば「電車から降りたあと」になって初めてわかることなんです。

逆にいえば「電車に乗っている間」は「結果としての勝ち負け」のことを考えるべきではないんです。

 

勝ち負けがつくのは辛いこと

ゲームが終わって「現実の世界」に戻った時には、「勝ち負け」という白黒がはっきりとついてしまいます。これが私は嫌でした。

ゲームが終わる瞬間までは、私たちは一方向に流れる「時間」というレールの上で、同じ電車に乗っている。でも、ゲームが終わって電車を降りてしまえば、そこはもう「現実の世界」です。「現実の世界」に降りた時には、勝ち負けという結果だけが残っています。「勝ち負け」というのは本来、ゲームの中でつけられるものです。でも実際には、ゲームでの結果は、「現実の世界」に持ち込まれます。

たとえば「オリンピックの金メダリスト」というのは、ゲームという特殊な「時間」の中で、最後まで勝ち残った人です。ですが、「金メダルをとった」という結果は現実の世界に持ち込まれ、周囲から尊敬を集めます。もっと早くに負けてしまってオリンピックに出られなかった人、オリンピックに出たけれどもメダルを前に負けてしまった人、勝ってメダルを獲得した人。これらの人たちの差というのは、現実の世界ではっきりと、目に見える形に出てしまうんです。

私はよく、いつもゲーム中の時間のように、「相手と自分が対等の、同じ立場でいられたらいいのに」ということを思います。でも、ゲームが終わった後にはどうしても、勝者と敗者がくっきりと分かれてしまう。現役時代の私は勝つ方がずっと多かったので、ゲームが終わると、ついさっきまで一緒にゲームを楽しんできた相手が「負けた人」になってしまい、自分との間に壁ができてしまうことがとても残念でした。

私はたくさん勝ってきた分、勝つことによって、何度も辛い思いを経験してきました。だからもう、ゲームなんてやりたくない、と思ったこともありました。

でも、この辛さってなんだったんだろう、と思うと、それは結局、ゲームそのものではなく、ゲームの時間が終わったあとの「勝ち負け」という結果に目を向けていたからだ、と気付きました。

ゲームそのものをきちんと捉えてみると、私は決して、ゲームが嫌いだとは思わなくなりました。ゲームはあくまで「ゲーム」です。ゲームが終わったら、ゲームの結果ではなく、ゲームの時間の中で起きたことを、互いに讃え合えばいい。それはあくまで、ゲームの時間の中で起きたことであって、日常の時間とは別なんです。

ラグビーではゲームセットのときに「ノーサイド」という言い方をするそうですね。「ノーサイド」とは、勝ち負けに関係なく、自分も相手も、どちらも同じ立場ですよという意味だそうです。いい言葉だと思います。ゲームが終われば、ゲームの時間の中で起きたことはもう関係ない。だから勝った人も驕ってはいけないし、負けた人もみじめな思いをすることはないんです。

ところが多くの人は、「ノーサイド」という捉え方ができませんね。ゲームの「勝ち負け」を、日常の世界に引きずってしまう。確かに、誰だって負けるのは悔しいですし、ときには自分が惨めに思えることもあるでしょう。でも、ゲームの時間は、日常生活の「現実」とは違う、もうひとつの「現実」を流れる時間であることがわかれば、純粋にゲームの時間を楽しめるようになると思うんです。

 

「本当の自分を知る」のが本当の意味でのゲームの面白さ

私たちはどうしてゲームをやるのでしょう? この問いにはいろんな答えがあると思いますが、私は「ゲーム」というもうひとつの現実の中で、私たちは、普段知ることのできない自分に出会うことができるからじゃないか、と思うんです。

私たちが普段生きている、日常生活の「現実」は、人間関係や仕事関係などが邪魔をして、「本当の自分」がすごく見えにくい世界です。でも、ゲームというもうひとつの「現実」は、日常とは切り離されて、そこには相手と自分がいるだけです。だから、ゲームの中でしか見つからない「自分」に出逢うことができる。

それはある意味では、日常のしがらみとか、義理とか、責任から解放された本当の自分です。それに出会えたら、少しずつ、それを日常の「現実」に生かしていってみてください。自分にできないことがわかったら、少しずつできるように取り組んでいって下さい。自分の得意なところがわかったら、もっともっと磨いていって下さい。

たとえば、アープ理論を学んでゲームをされた方は、自分や相手の「姿勢」について発見があるかもしれません。超一流のパフォーマンスをする人は、必ず姿勢がきちんとしています。真っすぐに軸が立ち、運動中もバランスが崩れません。そういう人は心の軸、自分の軸もしっかりと持っていますから、ゲームの中で、緊張感に負けることもなく、素晴らしいパフォーマンスができる。

もし、上手な人とゲームをして、そういうことを感じたのなら、普段から姿勢を意識して練習に取り組んでほしい。ただ何となく、他人に流されて生きている自分に気が付いたなら、「自分の軸って何だろう」と少し考えて、目の前の選択を変えてみて下さい。そうして、ゲームを通じて自分を見つめ直すことができたら、ゲームは自分の卓球や生き方にとても役に立つものになるでしょう。

 

本当の自分を知る「勇気」

ゲームの中で「本当の自分」を知るには、「勇気」が必要です。

自分の良いところだけならいいのですが、ゲームの中では自分の悪いところも表現されます。誰だって、自分の悪いところは見たくないものです。でも、それと向き合う勇気のある人が、ゲームを楽しむことができます。

ここで忘れないでほしいのは、ゲームの時間には、必ず「終わり」がある、ということです。あなたが乗った電車には、必ず終着駅がある。どれほどみじめで、ひどいゲームをしていたとしても、ゲームセットになれば終わりなんです。

そういうふうに思うことができたら、「本当の自分」から目をそらさずに、ゲームの時間を目一杯楽しむことができるようになるかもしれませんね。たくさん勝つ人も、たくさん負ける人も、その点ではまったく同じです。

舞台の上で、緊張感のある中で、自分を表現することに挑戦する。頭を使って、作戦を考えて、ストーリーを作っていくことに挑戦する。失敗してもいいんです。ゲームには必ず、終わりがありますから。結果が「負け」であってもまったく問題ないんです。もう一度電車に乗って、思い切って、勇気を出して、「挑戦」してください。

そうすればきっと、今よりももっとゲームを楽しめるようになっていきますよ。

 

<今回で連載は終了です。この続きは、2016年3月1日スタートの会員制卓球通信「アープ卓球通信」にお申し込みください>

 

【お知らせ】卓球世界王者のレッスンを自宅で受ける「アープ卓球通信」2016年3月1日スタート!

小手先ではない、「本格的な卓球」を求めるあなたへ。

初心者からトッププレイヤー、指導者まで。アープ理論に基づく卓球の最先端を映像とテキストでお届けします。

第1期会員は2016年3月1日スタート。定員に達し次第お申し込みは締め切りとなります。ご関心のある方はぜひお急ぎください!

(詳細は下記のリンク先をご覧ください)

banner

アープ卓球通信

その他の記事

「日本版DBS」今国会での成立見送りと関連議論の踏み外し感の怖さ(やまもといちろう)
自分の身は自分で守るしかない世界へ(高城剛)
『風の谷のナウシカ』宮崎駿著(名越康文)
古いシステムを変えられない日本の向かう先(高城剛)
怪しい南の島が目指す「金融立国」から「観光立国」への道(高城剛)
50歳食いしん坊大酒飲みでも成功できるダイエット —— “筋肉を増やすトレーニング”と“身体を引き締めるトレーニング”の違い(本田雅一)
俯瞰するには悪くない?「4K8K機材展」(小寺信良)
ロシアによるウクライナ侵攻とそれによって日本がいまなすべきこと(やまもといちろう)
週刊金融日記 第308号【日本の大学受験甲子園の仕組みを理解する、米国株は切り返すも日本株は森友問題を警戒他】(藤沢数希)
宇野常寛特別インタビュー第5回「落合陽一のどこが驚異的なのか!」(宇野常寛)
「脳ログ」で見えてきたフィットネスとメディカルの交差点(高城剛)
ピコ太郎で考えた「シェアの理解が世代のわかれ目」説(西田宗千佳)
平成の終わり、そして令和の始まりに寄せて(やまもといちろう)
政争と政局と政治(やまもといちろう)
iPhone6の画面サイズにみる「クック流Apple」の戦略(西田宗千佳)

ページのトップへ