やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

「おじさん」であることと社会での関わり方の問題


 なんだかんだ生きてきて、来月ついに50歳になります。

 まさか自分の人生を振り返って、半世紀を超える節目に新潟大学の大学院生という学生身分でいるとは思いませんでした。世の中リスキリングがどうとか言っていますが、簡単に言う割に、ちゃんと学ぼうと思うと相応に時間も費用もかかりますし、ちゃんと論文という形に仕上げようと思うと私のように書くこと自体に苦を感じない人間でも「あれも書きたい」「これも盛り込みたい」という悩みの中でまずは書き切ることのむつかしさ(その8割は億劫であること)との戦いになるわけであります。

 他方、仕事ではコンサルが中心となり、これはこれでむしろ「そっちにシフトしていなかったら、いまごろどうなってしまっていただろう」と思うぐらいに大変な状態でして、それは家内の多大な苦労の上に成り立っている育児や、私もこれまたなんだかんだ12年目に突入した介護問題で膨大に自分の時間が取られる中でコロナになり、破産した企業さんや個人の債権差し押さえでたまたま手に入った不動産が不動産管理会社や家賃保証会社の破綻でなぜか私が自主管理をしばらくの間しなければならなくなって、なんとなく「大家業」にまで進出せざるを得なくなったことがクソ忙しさの原因です。

 そして、育児や介護のような家庭のことも、貿易管理や投資事業のような金融も、コンテンツ投資制作やインサイト業務などの事業も、学生として、あるいはいろんな大学のコンプライアンスアドバイザー的な仕事でご一緒する業務も、世界的にでかい組織を抱えながら日本にも根付こうという会社へのコンサルも、すべての道のりは「人の扱いと目利きと見積もり」がすべてなのだと思い至ることになります。計画を立てることがすべてではないけど、これがどういう価値を持つものなのかと、何かを為すときにどのくらいの労力がかかるのかの目分量がはっきりしないと、人間何を取り組んでも「詰む」ことに気づくのです。

 とりわけ、何かを成し遂げるのは人ですから、いくら投資でお金を突っ込んでも人が動いてくれて、能力を発揮してくれない限り、モノはできあがらないわけです。サービスでも、研究でも、組織でも、プロダクトでも。このぐらいの人が集まってこういうことをすれば、こういう価値のあることがこのぐらいの期間で実現できる、というおおまかでもいいから計画が立てられるというのは、振り返るととても大事なスキルなんだと思います。

 もちろん、そこには出会いや運不運というものも並存するのですが、人間が仕事で何かを為すための推進力については、やはり「この人は推進できる人物だろうか」という人に対する目利きが重要になってきます。言い方は悪いですが口だけの人もいれば、なんか頼りないけどいざ仕事になると逃げずに最後まで取り組む力量のある人もいて、パッと見て判断できる人はそう多くない。やっぱりそうなると地頭の良さは学歴その他で判断するにせよ、その人がいままで何に取り組んで、どういう仕事をしてきた人なのかということを理解することでその人の取り組んで推進する力を推しはかるほかないのだろうと考えます。

 ところが、世の中ではこのリスキリングがひとつのムーブメントになり、これそのものはまったく否定もしないし是非やったほうがいいよと思うのですが、曲がりなりにも国立大学の大学院生(それも、社会人大学院ではなく普通のフルタイム法学部大学院)として学びつつ周りを見てみると、やっぱり「前途あるおっさん」は少ないのです。リスキリングなんて、どんなに忙しくたって自分で必要だと感じたら研鑽の一環として取り組んで当然でしょうし、私も大学院に来てみて初めて「ああ、私はなぜ塾生時代にもっと志を持って大学院進学とかのオプションを考えなかったんだろう」と感じたりもします。まあクソ豪雪が降って立ち往生したりもしますが。

 そして、そういう学びの現場やコンサル先では、どこであれ、年齢や肩書関係なく人と付き合ったり、評価したりしないといけません。端的に言えば、25歳の若者とどう話すか、64歳の来年定年になる技術者と何を語るか。人間としての幅を求められる瞬間ですね。単に年齢の違いというだけでなく、限られた時間の中でこの人はどういう人で、何を求めていて、どういう解決を目指そうとしている中で、自分は何ができるのかを模索して、それっぽいソリューションを提示して、リアクションを引き出さなければならない。セミリタイアをして常勤の仕事をしなくなってから12年半ほど、ほぼすべての仕事が人に関わることであったために、こういう人間の機微に触れるハンドリングをすることは(良いか悪いかは別として)随分と研ぎ澄まされた気がします。

 それは、振り返ってみれば私自身の価値を決めていることでもあります。異分野の最たるものである原子力研究ではなぜか学会誌にエッセイを寄せ、縁もゆかりもなかった台湾やオーストラリアの仕事は増えて、たぶん、ますます自分が何屋なのかすら分からなくなっていきます。忘年会でも「山本さんは何屋なんですか」と尋ねられ、一言で返せない自分が皆から黒幕とからかわれても反論できないことに気づくわけですよ。

 それでも、同じく多忙にしている家内と手を取り合って家事をし、お声がかかって新しい仕事に進出するきっかけを戴いたり、面倒だけれども子どもはすくすくと好き勝手育ち、老父老母もまずまず元気にやっているのを見ると、ひょっとして、いまが私のもっとも幸せな時期なのかもしれません。

 読者の皆さまも、どうか良い年をお迎えください。
 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.391 年の終わりに今の自分を振り返りつつ、薗浦さん議員辞職にまつわるあれこれやAIがもたらすものの意味を考えたりする回
2022年12月26日発行号 目次
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【0. 序文】「おじさん」であることと社会での関わり方の問題
【1. インシデント1】薗浦健太郎さん議員辞職とライズジャパン
【2. インシデント2】AI自動生成は人類にとって僥倖となるのか厄災となるのか
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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