※高城未来研究所【Future Report】Vol.428(2019年8月30日発行)より
今週も、先週に引き続き東京にいます。
今年に入ってこれほど長く(と言っても二週間強)、同じ街にいるのは久しぶりのことですが、実はほとんど表に出ていません。
この表とは地表のことでして、日々、滞在する新宿のホテルと連なる地下街だけをウロウロし、まるで地底人のように暮らしています。
というのも、秋は北半球の良い撮影シーズンということもありまして、これを逃してしまうとリテイクは来年になってしまうため、是が非でも撮りきらねばなりません。
それゆえ、天候にスケジュールがかなり左右され、どこでどれくらい滞在でき、また、いつ移動になるのか皆目見当がつかない旅路が続きます。
その点、全天候型の地下街は、僕に不思議な安心感をもたらします。
台風だろうが、豪雨だろうが、年中スケジュール通り変わらず営業。
世界最大のターミナル駅新宿地下街と連なる商業施設は、数千店舗。
従業員数だけで2万人を超えており、利用者数は、週末の東京ディズニーランドの50倍!。
いまから100年少し前に新宿駅が開通した当時、一日の乗客は30人程度でしたが、いまは1日の乗降客数が350万人を超えています。
しかし、今後予測される激しい気候変動による冠水が、もし、この地下街を襲ったとしたら、パニック映画以上の惨事になるかもしれません。
実は、東京、横浜、名古屋、大阪、博多など日本の主要各駅は、すべて湿地帯や低平地だったところに作られています。
その理由は、大きな駅を建設するのにふさわしい敷地が当時の既成市街地になかったため、この市街地に近く「ほとんど誰も住んでいなかったところ」に駅を作るしかなかったからですが、冷静に考えれば、この「ほとんど誰も住んでいなかったところ」とは、雨が降れば水に浸かる土地。
つまり、人が暮らすには不向きの場所ゆえ、空いていた場所なのです。
地質は、未来的にデザインされた建築物や地下街に目を取られ、気がつくと誰もが忘れてしまいがちですが、そう簡単に変わるものではありません。
新宿が発展したのは、江戸時代の日本橋から数えて最初の宿場町「内藤新宿」が栄えたことがきっかけでした。
当時の新宿の繁華街は、いまの新宿御苑のあたり。その宿場町から少しでも離れると暗い森と田んぼばかりで、現在の新宿駅周辺は、決して家を建てるのに適しているとは言い難い場所で、水はけの悪いただの原っぱだったのです。
近代日本が築き上げた社会制度に、ガタが来はじめている昨今。
近代日本が作った街並みに、同じようにガタが来ていてもおかしくありません。
その上、日本の高度経済成長以上の速度で、地球全体の気候も社会システムも変貌しています。
今や夏の風物詩となってしまった感がある日本を襲う大雨のなか、自然とはなにか、不自然とはなにか、と自問自答しながら、全天候の広大な東京地下街で生きる今週です。
高城未来研究所「Future Report」
Vol.428 2019年8月30日発行
■目次
1. 近況
2. 世界の俯瞰図
3. デュアルライフ、ハイパーノマドのススメ
4. 「病」との対話
5. 身体と意識
6. Q&Aコーナー
7. 連載のお知らせ
高城未来研究所は、近未来を読み解く総合研究所です。実際に海外を飛び回って現場を見てまわる僕を中心に、世界情勢や経済だけではなく、移住や海外就職のプロフェッショナルなど、多岐にわたる多くの研究員が、企業と個人を顧客に未来を個別にコンサルティングをしていきます。毎週お届けする「FutureReport」は、この研究所の定期レポートで、今後世界はどのように変わっていくのか、そして、何に気をつけ、何をしなくてはいけないのか、をマスでは発言できない私見と俯瞰的視座をあわせてお届けします。