甲野善紀
@shouseikan

対話・狭霧の彼方に--甲野善紀×田口慎也往復書簡集(5)

死をどのように受け止めるか

 

参考引用『大地の母』11巻

 

今回、田口氏は書簡の終わりの辺りで<『大地の母』に描かれている秋山真之らの暴走も……>と、私が以前から多くの人達に勧めている大本教(明治以後の近代日本の宗教の中で最も大きな迫害を政府当局から受けた教団で、現代の様々な新宗教や文化活動にも大きな影響を与え、例えば私に縁のある武道のジャンルでは合気道なども大本の存在がなかったら生まれていなかったと思われる)の開祖出口直の一生を描いた大河小説について触れている。読者の方々の御参考までに、この小説『大地の母』(全12巻)の11巻目に出てくる“秋山真之”について引用して紹介しておきたい。

ただ、この“秋山真之”は『大地の母』11巻の中に収められている12の章の中で「秋山真之」と「東京大震災」の2つの章の主役であり、すべてを引用すると膨大な字数になってしまうので、当然抜粋しての引用だが、それでもかなりの字数になると思う。ただ、これは田口氏との往復書簡の中でも取り上げている信仰の暴走の典型例でもあり、今回から何回かにわたって引用紹介を行なう予定である。御関心の出た方は是非「みいづ舎」の『大地の母』出口和明著全12巻を読まれることをお勧めしたい。(甲野善紀)

 

『神霊界』の原稿を書き続けて四日目、十二月十四日の午後、大本から名刺を持って使者が来た。

「こんな人が見えてはるさかい、すぐ来ておくれやす」

意外にも秋山真之海軍少将である。

「うーむ、秋山さんか、こりゃ面白い。よし、すぐ行きます」

浅野は先に使者を帰すと、名刺を見つめた。秋山兄弟は、日清・日露の戦いで勇名を馳せ、国民に英雄視されている。兄である陸軍中将秋山好古は日本騎兵の育ての親であり、弟真之もまた神算鬼謀、天下無比とうたわれる海軍の名参謀であった。

秋山真之の名を知らぬ人も、日本海海戦における有名な電文は知っている。いよいよ対馬海峡へ出撃の時、三笠艦上の連合艦隊司令部から大本営へ打電する第一報を、若手参謀が起案した。

「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす」

これに目を通した秋山は、その末尾にさらさらと一句つけ加える。

「本日天気晴朗なれども浪高し」

大本営では、海峡に濃霧がかかり、敵影を見逃すことを恐れていた。また浪が高いことは、戦艦の乾舷の低いことを意味する。遠征途中の訓練不足であるロシア艦隊には不利である。この短い一句は、たんに文学的名句であるばかりか、戦局われに利ありという判断を伝えている。本日を<ほんひ>と特殊な発音をするのも、聞き違いを少なくするための海軍の慣用で、これも秋山の発案になる。

秋山の文章は格調高い美辞麗句で、後世に秋山文学と呼ばれたが、「舷々相摩す」の流行語も秋山が書いた戦況報告の一句である。日露戦争が終わった時、秋山が起草し、東郷司令長官の名で出された「連合艦隊解散の辞」は日本海軍の経典的役割をはたし、ルーズベルト米大統領もこれを英訳して、全アメリカ軍隊に配布した。

長く海軍部内にいた浅野も、まだかけ違って一度も会ったことはない。それが綾部に移って僅か四日目、この丹波の山奥で秋山真之に会おうとは。

この人に大本の価値を認識させれば、いかに頑迷不霊な海軍部内も早急に覚醒しよう。初陣に功名を期する若武者のように、浅野の心は勇み立った。

統務閣では王仁三郎と秋山がまさに会談中であった。入って来た浅野に秋山は鋭いまなざしを投げて、初対面の挨拶を交わす。共に海軍部内の人間として相手の名声だけは知り合っていた。

―高い湾曲した鼻、やや曲がった口元、鋭いしかし快活な眼光、全体に引き締まった風貌、動作、誰が見ても只者でないだけはすぐ分かる。海軍士官気質という一種独特の型にはまっているが、しかしどことなくその型を超越した秋山一流の特色も現われていて、妙に人を魅きつけるところがあった。たしかに僥倖で空名を馳せている人ではない、と首肯された……というのが浅野自身の描いている秋山真之の第一印象である。

「どういう御縁で、大本へ来られましたか」と、浅野は訊いた。

すでに王仁三郎に語っているであろうが、まず秋山の口からそれを訊かねば、作戦の立てようがない。

秋山は率直に答えた。

「最近、ふとしたことで『敷島新報』を一部拝見しましてね、それ以来、綾部に一度行ってみたいと思っていたんですよ。ちょうど“吾妻”が舞鶴へ入港したんで、さっそく訪問したわけです」

当時秋山は軍艦「吾妻」に座乗、水雷戦隊の司令官をしていたのである。

薄っぺらな、印刷の汚い『敷島新報』一部で大本の見当をつけ、綾部行きを実行する機敏さなど、さすが秋山さんだと、浅野は感じた。

すぐ王仁三郎との対話に戻った。秋山の興味の中心は、神霊問題であるらしい。その質問が核心をついているのも、まさに秋山流である。王仁三郎の答えは無駄なく短く、秋山の胸に十二分に響き返る。浅野は陶然として両者の問答に聞き惚れた。この時、秋山四十九歳、王仁三郎四十六歳、浅野和三郎四十三歳、それぞれ三つ違い、あと十日余で一歳を加える。

質問の矛先を、秋山は浅野に転じた。

「あなたが海軍機関学校を辞めて大本入りされるには、かなりの煩悶があったでしょう。それをぜひ聞かせて下さい」

浅野は率直に今までの経緯を語る。彼が突き当たった鎮魂帰神、筆先の予言警告、立替え立直しなどの難問をどのように受け止め、克服したかを。秋山に対しては、余計な修飾も説明も加える必要はなかった。すらりと何の苦もなく呑み込んでしまう。まさに一を聞いて十を悟り、片鱗を見て全龍を察する趣きなのだ。

「失礼ですが、神霊問題についての秋山さんの御造詣の深さは並々ではない。以前に御研究なさったことでもあるのですか」と浅野が訊くと、秋山は、すがすがしい笑顔を向けた。

「実はそうなんですよ。ぼくが神霊問題に熱中するようになったのには、それなりの理由があります。誤解されるのが嫌で誰にも言うまいと思っていたのですが、あなた方なら御理解いただけるでしょう。ぼくにとっては重大な霊的体験なのです……」

秋山は身を正し、熱のこもった口調で語り出した。

明治三十七(一九〇四)年二月八日夜、旅順港に向かった連合艦隊の主力は、駆逐艦隊をもってロシア艦を急襲、新鋭戦艦二隻、一等巡洋艦一隻に大損害を加え、ロシア太平洋艦隊の戦闘力をそぐ。一方第二艦隊は仁川上陸軍を護送し任務を終えた後、仁川港内のロシア艦に挑戦状を送り、九日正午すぎ、港外に出て来た二隻を撃沈する。

敵に先制攻撃を加えて黄海の制海権を握っておき、十日、ロシアに対し宣戦を布告した。

ロシア艦隊は緒戦に大打撃を受けたが、ウラジオストック艦隊はなお健在だった。津軽海峡から日本海沿岸を脅かし、四月二十五日、軍隊輸送中の金州丸を元山沖で撃沈、六月十五日、対馬海峡で陸軍運搬船常陸丸・和泉丸を撃沈、佐渡丸を砲撃、七月二十日、津軽海峡を抜け太平洋岸で汽船・帆船五隻などを撃沈して暴れ廻った。

(中略)

当時、秋山真之は東郷艦隊の中佐参謀として「三笠」に乗り組み、旅順封鎖の任に当たっていた。ウラジオストック艦隊のほしいままの跳梁を無線でひんぴんと報告されても、東郷艦隊としては、一時も旅順沖を離れることはできない。

敵艦隊の予測される行動は、日本海を通過してそのままウラジオへ引き揚げるか、日本の東海岸に進み日本艦隊の空虚をついて津軽海峡か宗谷海峡を抜けて帰航するかである。上村艦隊としては、二者択一の決を迫られていた。勝負はまずこの時点の一断で決する。秋山参謀の苦悩は、ここにあった。

夜もすがら、考え、脳漿をしぼりつくした末、力つきてふとまどろんだ―瞬間、閉じたはずの瞼の裏が陽光がさしたように明るくなり、海がひらけ、入り組んだ陸地が見え出したのだ。日本の東海岸の全景だ。その向こうに映ずるのは津軽海峡。と、蟻のような三つの黒点が現れ、次第に大きくくっきりと形をあらわす。夢寐にも忘れ難いウラジオ艦ロシア、ルーリック、グロムボイの三艦ではないか。波濤を蹴立て、三艦は津軽海峡目指して北進する。

―あっ、あいつら東海岸を廻って津軽へ抜けるのか。

直感したと同時に、何もかも霞の奥に閉ざされていた。夢といえば夢、幻といえば幻、これが悪夢かとしばしまどう。明け方であった。ひれ伏して東雲の空を拝した。魂のおののくような感動に、顔中涙となった。

―神助だ。神はおわす。

それは揺るぎない信念となって、秋山の腹の底へ納まっていた。

霊夢で敵鑑の行動を 知ったなどと言っても、冷笑を買うのみである。秋山はこのことは胸底に秘し隠し、理性の判断からウラジオ艦隊の行動を推定したことにして進言した。

―ウラジオ艦隊は必ず太平洋に突出し、津軽海峡を通過してウラジオに帰航するものと確信する。上村艦隊はこの推定の下に行動を起こし、日本海の捷路をとり、津軽海峡の内面に於いて敵艦隊を追撃するべきである。敵艦隊の後を追って太平洋に出るのは、むなしく敵を逸するのおそれがある。

無線電信は軍令部にも上村艦隊にもこの言を伝達した。しかし軍令部はこれを採用せず、上村艦隊をして東海岸方面に出動させた。このため、敵は悠々として津軽海峡を見過ごし、いったんウラジオストックへ入ってしまった。

この時、もし秋山の進言が容れられていれば、八月十四日の蔚山沖海戦を待たず、六月中旬にウラジオ艦隊を撃没し、幾多の尊い人命を彼らの歯牙にかけずにすんだにちがいない。

 

 

※この記事は甲野善紀メールマガジン「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」 2011年01月30日 Vol.020 に掲載された記事を編集・再録したものです。

 

 

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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