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<田口慎也氏から甲野善紀氏への手紙>
甲野善紀先生
お手紙を頂き、ありがとうございました。前回書かせていただいたお手紙のなかで、私は初めて、自分の人生のこれまでを振り返り、それを言語化するということを試みました。
そして文章化してみてはじめて、まだ体調を崩していたころのことが言葉になりきっていないことに気づかされました。一応、事実の羅列といいますか、このようなことがあったという具体的な出来事は書けたのですが、当時感じていた様々な感情や葛藤については、上手く言葉にすることができませんでした。それらを丁寧に言語化することは、今後の私の人生の課題のひとつでもあると思っています。そして改めて、自分の言葉にするということ、自分の言葉で語るということの難しさを思い知った気がいたします。
前回のお手紙でも書かせていただきましたが、私は言語学を専攻し、自分自身が言語を問い始めるまで、実は言語が持つ問題について、ほとんど考えたことがありませんでした。自分の生死の問題と言語のあいだに関係があるとは、それこそつい最近まで思ってもみませんでした。その後、私はまず「切る」という観点から、言語の問題について自分なりに考えるようになりました。またそれ以外にも、自然と人工のあいだに存在するという言語の性質や、物語や治療行為における言語の伝達手段以上の働きといった問題についても、少しずつ考えるようになってきました。
そうしたなかで今回頂戴したお手紙を拝読し、言語の「長所即欠点」について、改めて自分なりに考えました。甲野先生が仰る通り、我々は言語とともに思考能力を獲得し、文明を築き上げてきました。それはある意味の「功」の部分、「長所即欠点」の長所の部分として捉えることもできるかと思われますが、それと同時に、我々は言語によって拘束もされてもいるのだと思います。特に今回は、野口裕之先生の「言語と貨幣が発明されてから、精神が失われた」という発言を目にした後、私が考えたことをまず書かせていただきたいと思います。
それそのものではない
言語と貨幣が持つ問題とは何か。
私は言語も貨幣も、象徴するもの、すなわち「それそのものではない」という点で共通しており、それが我々にある種の錯覚を引き起こすといいう点が問題だと思うのです。 ”representation” とは「象徴」とも「代理」とも「代表」とも訳されますが、それらに共通するのは「それそのものではない」ということです。
「りんご」という音声は、対象としてのりんごそのものではありません。
貨幣もまた、商品そのもの、対象そのものではありません。直接物々交換を行っていた時代とは異なり、貨幣を使う現代では交換されるモノ自体ではなく、貨幣を交換することによって経済活動を行うようになりました。
私が問題だと考えるのは、言語であれ貨幣であれ、人間はそうした記号をあたかも実体のあるモノであるかのように錯覚をすること、そうした記号が実体を持ったモノであるかのように振る舞い始めるということです。言語も貨幣も、本来決定的に断絶しているものを「不可分のもの」と錯覚させる点において、同じ機能といいますか、同じ危険性を持っているのだと思います。
かつてソシュールは、記号は記号表現と記号内容からなり、その結びつきは恣意的であると言いました。たとえば日本語で「犬」と呼ばれるあの動物(記号内容)は、英語ではdog, フランス語ではchienという音声(記号表現)によって指示されます。もし、記号表現と記号内容が恣意的ではなく必然的に結びついているのであれば、このように各言語によって呼称が異なるということはあり得ません。これが記号表現と記号内容の結びつきは恣意的であるという意味です。
この記号の恣意性の問題に関しては未だに議論が絶えないのですが、記号表現と記号内容の絶対的ではない結びつきを、ある種絶対のものとして錯覚すること、その2つが不可分のものとして錯覚され、記号自体があたかも実体を持ったモノとして振る舞うという点に問題があるのではないでしょうか。
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