平川克美×小田嶋隆「復路の哲学」対談 第1回

「高倉健の死」で日本が失ったもの

小田嶋:平川さんは今回の本の中で「復路の人生というものは、往路とはまったくその景観を異にしている」と書かれていますよね。「人生の往路」を歩んでいるときにはなかなか理解できないけれど、「人生の復路」に差し掛かると自ずとわかってくることもあるということだと思います。

平川:本の中でも触れましたが、向田邦子さんが、自分のお父さんについてこんなことを書いているんです。子供の頃、家を訪ねて来た上司に対して、父親が床に額をこすりつけてお礼を言うのを見た。そのときはなぜ父親がそこまでするのかわからなかったんだけれど、ある年齢を過ぎたとき、「なぜ夕飯のとき、父親だけが一品料理が多いのかということがわかった」というんですね。

大人とは何かというのはそういうふうに、ある年齢とか経験を経て、ふとした拍子に「ああ、これが大人になるということなんだな」と気づくものだと思うんです。例えば、小津安二郎の映画を高校生が観ても理解できないですよね。

小田嶋:小津の映画に出てくるお父さんって、自分のやってることをほとんどまともに説明しないまま死んでいきますからね。小津の映画と対照的なのが「渡る世間は鬼ばかり」なんです。あれは全部、心の中のことまで全部しゃべっちゃいますから。小津は逆に、一番大切なことであればあるほど、決して口には出さない。テロップで説明したりはしないんです。

平川:説明責任を果たしてないんだよね(笑)。でも、残された子供たちは、どこかで理解する。向田邦子の小説『あ・うん』の中に、「おとなは、大事なことはひとこともしゃべらないのだ」という述懐があるんですが、大人というのは、そういうふうに「語り得ないもの」を抱えているものなんです。

 

失われてしまった、失われてはならなかったもの

187A1520sm小田嶋:僕らは平川さんたち団塊の世代がいろんな権威や旧弊的なものと戦い、壊して来た瓦礫の上を歩いて来た、という世代です。一方、今の若い人たちは「何にもなくなったあとの世界」で生まれ、大人になってきたという側面があると思うんです。ここには実は、けっこう大きな断絶があるような気がしています。

一番大きいのは、僕らは家父長制的な、縦社会の圧迫を受けてきた経験を持っていますが、いまの40代より下の世代だと、そういう縦社会の理不尽な圧制をあまり受けずに育って来たんじゃないか、ということです。

実は、そういう人が中核を占めるような社会で何が起きるのか、ということは歴史上例がないわけで、いわば社会実験をやっているような状況にある、といってもいいと思うんです。

平川:そういう権威主義的な秩序を壊して来た世代の人間が言うのもなんだけど、「かつて、自分たちの社会にはこういうものがあった」ということを知っておくということは、大切なことだと僕は思うんです。今の日本、今の家族、今の社会みたいなものがずーっと、当たり前のように続いて来たかというと大間違いで、いろんな経緯があって今がある。そのことを知っているか知らないかは、生きていく上で大きな違いを生む気がします。

そのことは別に、今の若い人にだけ言えることではなくて、僕自身もそうなんです。高倉健の代表作である『昭和残侠伝』って、監督からカメラスタッフまで、みんな戦中派なんですね。ですから、娯楽映画でありながら、スタッフの一人ひとりが、「今、日本で失われつつある何か」を懸命に映像に定着させようとしていることが伝わってくる。そのことで、非常に興味深い作品に仕上がっているように思うんです。

もちろん、現実の「任侠」って呼ばれていたヤクザ者が、映画に描かれているような立派な人たちだったかというと大いに疑問符はつくんですよ。でも、『昭和残侠伝』というのは、昔ながらの任侠と、新たに進出してきた愚連隊の対決という構図を通して、戦中派の人々が、戦後の日本社会の中で生きる日々の中で、痛切に感じていた「失われつつあるのだけれど、決して失われてはならないもの」を必死に描こうとしているんです。

僕は戦後生まれだから、彼らとは何も体験を共有していないんだけど、そういう作り手の思いに感応することで、ぐっとくるわけです。

 

(つづく。第2回は2015年1月6日公開予定です!)

 


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