内田樹と平川克美の読むラジオ第65回

村上春樹を読む:世界的な評価を受ける作家の共通点

内田樹&平川克美のメールマガジン「大人の条件」113<内田樹と平川克美の<読むラジオ>第65回 村上春樹を読む・中編>より

<編集部より>
この対談は、2013年6月に行われたものです。
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井戸の奥から湧いてくる村上春樹の世界性

内田 村上春樹は登場したときには「都会的でおしゃれな短編を書く作家」という風に扱われていた。そういう作家なら日本にでも、いくらもいるから、それほど際立った評価は受けていなかった。実際、後になって「村上春樹エピゴーネン」の村上春樹風の文体で書く作家が出てきたからね。

今でも、日本に限らず、ヨーロッパやアメリカにも村上春樹的に書く作家はたくさんいる。でも、そういう模倣者たちはローカルな書き手で終わって、村上春樹ひとりが世界性を獲得した。どこに違いがあったのか、そこを見ないといけないんだと思う。多少文体が似てても、村上春樹とそのエピゴーネンたちでは、見ているもの、書いているものが違う。
 
上田秋成が「狐」を書くと、読者は狐をリアルに感じる。それは「狐のメタファー」じゃないから。ほんとうに狐がいるんだ。

村上春樹が世界性を獲得できた理由も同じだと思う。非現実的なものを、メタファーとしてじゃなくて、リアリティとして書いたから。そういうことができたんだよ。村上春樹が書いた「羊男」というものは何かのメタファーではなくて、そういうものなんだよ。

村上春樹は「羊男」にほんとうに自分が書きつつある物語の中で出会った。だから、自分の「地下二階」で「羊男」に会ったことがある読者は、「あ、これ知ってる」って思う。イスラーム神秘主義の人たちだったら、「日本人でもスーフィーのトランス状態で見るものと同じものを見る人がいるんだ」って思うはずだし。
 
さっき君は、村上春樹作品の読書感を「横にいて一緒に滑走していく感じ」と言ったけど、滑走感って一人ではなかなか入っていけない深い穴の中に入っていく感じも含んでいるんだと思う。結局さ、世界中どこでも神秘主義っていうのは基本的には「井戸の中に入っていって、そのなかで変容する」話なんだよね。ちょっとずつ細かなところは違うけれども、大枠は同じ。つまり、それは、人間の「類的経験」なんだよ。

「深い瞑想状態に入っていって、そのなかで異様なものと出会う」というのは世界中の神秘経験にとっては当たり前のことでしょう。もちろんそんなこと一度も経験しない人もいるけど、経験した人は自分の経験を覚えて、書き残した。そういう経験談が遠い紀元前から連綿と、文学的・宗教的な資源として蓄積されてきて、その上に現代の文化がある。

だから、まったく違う文化的文脈にいるはずの日本人作家が、自分たちの文化の深層にある経験と似たことを書いたら、そりゃ、驚くよ。

平川 その類的な経験に触れることができるかどうかが、「文学の世界性」を獲得できるかどうかの鍵だと思うんだよ。どんなにローカルな話を書いていても、そこのある話の話形というか、体験が、類型的な形を取っていれば同じなんだよね。そこがとても面白いと思う。

例えば、2006年にトルコの細かい風習について書いたオルハン・パムクの小説がノーベル賞を獲りましたけど、この作品もきっと人類の類的な経験との相似形があったから評価されたんでしょう。

村上さんは、そういうところにズーッと下りていくというか、奥深くに進んでいく才能があるんだと思いますね。その奥底から物語が沸々とでてくるわけだけど、大事なのはこれはまったくの「蓄積」じゃないというところなんだよね。
 
なんというのかな、如何様にも解釈できるような形で話ができあがってくるでしょう。

だから僕はこの『色彩……』を読んだときに、最初は「結界」の話だと思ったわけですよ。赤と青と黒と白が出てきて、その中に多崎つくるはいたんだけど、追放されてしまうわけですね。つまり、これは朱雀、青龍、玄武、白虎が作った結界の話とも読めなくもないわけです。
 
これは、そう読むのが正しいとか、作者がそう考えて作ったとかそういうことではなくて、「そういう風にも読もうと思えば読める」という解釈の多様性を保持しているということがすごいと思うんだよね。

もっと言えば、大事なのは、作者は物語をある種の構築された雛形の中にはめ込もうとするのではなくて、逆に、読者が自分の中に連綿と流れている人類の叡智の力をなんとなく借りてイメージを膨らませることができるかどうかなんだよね。

内田 根源的なイマージュを刺激できるかどうかだよね。

ユングだったら「原型」と言うんだろうけど。世界性を持つ作家というのは、決して「原型」を知識として知って、それをなぞって書いているのではない。

そうではなくて、「原型」をそのつど再生しているんだと思う。その時に、太古の人類が世界を構造化するときに使ったモデルと同じモデルが出てくる。読者からすると、その作品を読むと、太古において原型的イマージュが出現した時の「生成のリアルタイム」に立ち合わせてくれる。そういう作品が、世界的文学作品になり得るんだと思うよ。

平川 そう。僕はそう言いたかったんだよ(笑)。

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内田樹&平川克美
1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。武道家。神戸女学院大学文学部名誉教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。多田塾甲南合気会師範。『私家版・ユダヤ文化論』で第6回小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞2010受賞。第3回伊丹十三賞受賞

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