これは2年ほど前のことだ。ぼくが飛行機の窓から外を撮った写真をツイートしたら、「これって滑走路を走行中に撮った写真じゃないですか? だったらアウトですよね?」というリプライが来た。もちろん、それは停止中に撮った写真で、当時の航空会社のルールに違反していたわけではないのだが(今は走行中でもセーフになった)、そのときに強烈に感じたのが、「多くの人々はぼくがルール違反を犯すことを潜在的、無意識的に望んでいる」ということだった。
多くの人にとって、ぼくはどうでもいい人間だ。そういう人間がルール違反に手を染めることほど、愉快なことはない。そのために、多くの人が潜在的、無意識的に、ぼくがルール違反を犯すことを望んでいるというわけである。
そういう、人々の潜在的、無意識的な悪意が言葉となって顕在化することを「呪い」という。人間の心理は不思議なもので、こうした呪いに対する防御力がないと、すぐそれにやられてしまう。具体的には、人々が「自分がルール違反を犯すことを望んでいる」と知ったとき、それに応えようとしてしまうのである。
人間は、これも本能的、無意識的に、人々の期待に応えようとすることがある。たとえそれが自分の意に沿わないことであったり、ルール違反であったりしてもだ。上記の例でいえば、禁止されている場所で写真撮影を行い、それをアップしたい誘惑にかられるのである。
「呪い」の効果は存外に大きい。それは人間の無意識に訴えかける催眠術の一種なのだ。いうなれば心理的な攻撃といえよう。これは、現代においても非常に効果的である。いやむしろ、現代において鮮やかに復活した。
もちろん、心理戦だから百発百中ではなく、相手がガードしている場合は必ずしも効果を発揮するわけではない。が、少なくともそれで疲弊させることはできる。ぼくは実際に疲弊した。そういう人々の無意識の悪意に触れて、「これはありふれた社会現象なんだ」と理解しつつも、「どうしてそんな悪意を突きつけられなければならないのか」という被害者意識を抑えることができず、ほとほと疲れてしまった。
よく2ちゃんねるで、疲弊した攻撃対象に対して「効いている効いてる」と表現するが、ぼくは実際に効いてしまった。そうして今では、Twitterもフェイスブックもアカウントこそあるものの、すっかり私的なことはつぶやかなくなったし、写真もあげなくなった。
ところで、ぼくは昔から、ぼく個人の問題が社会とリンクするという性質がある。そう考えると、ぼくのこの疲弊も、やがて社会的な問題となる可能性があると思っている。やがて多くの人が、SNSの呪いに心身を疲弊させるようになるということだ。
もちろん、今でもSNSの弊害は叫ばれている。「SNS疲れ」という言葉もある。しかし現状の「SNS疲れ」は、コミュニケーションを強要されることの疎ましさや、設定したキャラを演じ続けることの疲れをいっているのみで、必ずしも「呪い」の効果を指したものではない。
だから、この問題はこれから大きくなっていくのではないか。逆にいえば、まだみんな気づいていないのではないか。
そして、まだみんなが気づいていないからこそ、その呪いは大きな効果を発揮するだろう。ここにおいて、古の失われた風習かと思われていた「呪い」が、現代においてSNSという格好の培養器を得、鮮やかに蘇ったのだ。
この復活劇は、「マスコミの登場と衰退」に大きく関係しているだろう。
まだマスコミがなかった19世紀までは、人々にとって口コミがほとんど唯一のメディアだった。そこでは、情報に人々の潜在的、無意識的な悪意が介在しやすく、呪いというのは当たり前のようにあった。
ところが、マスコミが登場して人々のコミュニケーション形態が大きく変化した。そこで人々は、媒介者として、あるいは発信者としての力をなくしたため、潜在的、無意識的な悪意を込められなくなった。
だから、そこでの「呪い」はマスコミしか発しなくなって、彼らの標的になったらひとたまりもないが、物理的な制約があったので、それほど多くの人が呪いの標的にされることはなくなった。だから、20世紀の間は「呪い」そのものが下火になったのだ。
それが21世紀になってSNSが登場し、マスコミの影響力が低下すると、再び復活したというわけである。しかしそれは、人々が長らく触れていなかったものなので、まだみんなその怖さに気づいていないし、その耐性もできていない。
その意味で、「呪い」は、そしてSNSは、今が一番怖い時期なのだ。そこでぼくにいえるのは、ただ一つ、「君子危うきに近寄らず」ということだけである。
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