※この記事は本田雅一さんのメールマガジン「続・モバイル通信リターンズ」 Vol.027(2015年12月18日号)<ビル・ゲイツの生き方に感じるものごとの感じ方、考え方>からの抜粋です。
12月17日、ビル・ゲイツ氏の講演を聴いた本田雅一氏。その内容は、“フィランソロピー”活動(事業を通じて世の中を改善しようという取り組み)についての話でした。日本ではまだあまり一般的ではないものの、米国では資金余力のある投資家や企業家などが取り組んできた活動。とりわけポリオやマラリアの問題に関しては、ゲイツ氏が発展途上国の環境改善に投資をし始めてから、5年単位で社会が前進したという話も。「フィランソロピーについては、とりわけゲイツ・メリンダ財団の取り組みが大規模なため、自分自身とは関係がないと考えがちだ。しかし、インターネット技術によってフィランソロピーがもっと身近になる可能性はありそうだ。」と本田氏は語ります。
世界を変える“フィランソロピー”
そもそも、フィランソロピーとは何なのか。
ほとんどの人にとって、耳慣れない言葉だろう。ゲイツ氏の講演会に先立って話をした東京大学総長の小宮山宏氏は「日本人には、困ったときに助け合う相互扶助の精神が根付いている。震災の時には1ヶ月で1兆円が集まった。鬼怒川の災害でも、寄付・ボランティアともに充分以上の力が集まった。しかし、文化として社会に根付いているか? と言えば、根付いていない。現状を変えていくには、国として社会貢献の新しい手法について支援する仕組みが必要」と話した。
小宮山氏が話したのは、先進国の税収は人口の飽和とともにいつか止まる、という現在の社会が抱えている問題とも連動している。かつては社会福祉だけでなく、新規事業開発や先端技術開発など、さまざまな活動を国が支援してきた。
世の中を変える素晴らしい技術、事業があったとして、その立ち上げ支援には政府から支援金が出る。ところが経済規模の伸びが止まった先進国で財政が厳しくなるにつれ、国による社会福祉や事業・技術開発の支援が行き届かなくなる。
これは社会的構造の変化のため、簡単に元に戻そう……というわけにはいかない。そこで近年、日本でも税制を整えるべきだとの議論が生まれているのが“フィランソロピー”という考え方だ。
チャリティーとの違いは
「起業家精神で大きな変革を目指すこと」
社会貢献への取り組みにはさまざまなものがある。もっともシンプルな形が寄付で、貧困で身動きが取れない人、あるいは何らかの活動を行っている人や団体に対してお金という形で貢献するという方法がある。また、チャリティーの企画も、知名度のある人が行うことで注目を集め、関心を惹くという意味で効果的な場合もある。昨年流行した「アイスバケツチャレンジ」をチャリティーキャンペーンの一種と捉えるとわかりやすいだろう。
ゲイツ氏は「フィランソロピーは起業家精神を社会貢献に使うという考え方だ。チャリティーは効果的な側面もあるが、効果の範囲や持続性は限られている。しかし、フィランソロピーならば世の中を大きく変えることも不可能ではない」と話した。
たとえば、小児麻痺を引き起こすポリオというウイルスがあるが、アフリカなど経済的に困難な地域でのポリオ撲滅にゲイツ氏は資金を投じてきた。ポリオに冒された患者支援への寄付は、その効果範囲が限定されるが、ポリオウィルス撲滅への投資は持続的に患者を減らす効果がある。同様の例が、ゲイツ・メリンダ財団が当初より熱心に取り組んでいるマラリア撲滅運動だ。
マラリアは死亡率が高い病気にもかかわらず、特効薬の開発が進んでいなかったという。なぜなら、マラリアが流行する地域は貧しい国が多く、先進的な製薬会社が集まる先進国にはマラリア患者がいない。このためマラリアで年間50万人が死んでいるにもかかわらず、特効薬開発や防疫活動への予算が集まらない。
ゲイツ・メリンダ財団は、マラリア撲滅活動と特効薬開発に投資を行ってきた。投資のリターンは“お金としての利益”ではない。マラリア対策のイノベーション加速と、特効薬などをもっとも安価に買い付ける権利を得ることが(ゲイツ・メリンダ財団の)インセンティブになる。
「マイクロソフトをつくり、経営してきた時と同じようなことを今でもやっている。優秀な人材を集め、チームを組んで問題に対処していく。違うのは営利が目的かどうかだけ。我々の目的は“より良い社会の実現”で、営利企業であるマイクロソフトとは違う。しかし、違いはそこだけで基本的な手法は似ている(ゲイツ氏)」
効果の持続性を狙うなら
少ない資金でもやり方はある
ゲイツ氏は“日々の生活を改善すること”こそが、彼の社会貢献活動における重要な点であると繰り返し話した。彼が持つ膨大な資産をもってすれば、貧困にあえぐ多くの人を救うことができるだろう。
しかしマラリアを撲滅することができれば、毎年50万人を助けたことになる。事業を通じて社会貢献することで、直接的な寄付活動で助けられる何倍もの人に、より良い生活を与えられるわけだ。
「僕は幸運なことに、マイクロソフトという会社を起業し、成功することができた。ところが、旅行でアフリカを巡ってみると、そこには当たり前の環境がなかった。どんなに才能と努力する意思があったとしても、成功することはできない。同じ命、同じ人間なのだから、可能な限り努力が実る社会をつくりたかった」
そう話すゲイツ氏がマラリアをはじめ、より良い医療、きれいな水、食料問題の解決、衛生環境の整備に投資するフィランソロピーに取り組み、やがてマイクロソフトから引退して全力を注ぐようになったのも必然だったのだろう。
ゲイツ氏が投資する分野は薬だけではない。農業技術やトイレのイノベーションなど、実に多岐にわたっている。エネルギー問題解決のために、安全で超小型の軽水炉(原子力発電装置)にも投資をしていると聞いたことがある。医療分野の専門家によると、ゲイツ氏が発展途上国の環境改善に投資をし始めてから、とりわけポリオやマラリアの問題に関しては、5年単位で社会が前進したと話していた。
“僕らには幸い大きな財力があるから”と話していたが、ゲイツ・メリンダ財団が支援している研究者や企業(内の特定プロジェクト)は1500以上にのぼるそうだ。技術やアイディアのコンテストを行い、評価した上で内容を精査する。いずれも実際にゲイツ氏、あるいはゲイツの妻であるメリンダ氏が現地に飛んで面談し、支援先を決めるそうだが、ここまで精力的に活動できるのは、フィランソロピーに資金を投じることに関して米政府の理解があるからだとも付け加えた。
日本でフィランソロピーを根付かせるには
米国ではフィランソロピーが根付いているため、寄付活動と同じように税制上の優遇措置がある。もちろん、フィランソロピーであると認められるための条件は揃える必要があるが、基本的に“審査”のようなものはなく、誰でも小規模から大規模な活動まで行える。
先進国の製薬会社が投資をしてこなかったマラリア対策の例を挙げたが、企業単位では成立し得ない技術開発を推し進めるには、国が火種となるプロジェクトを推進しなければならない。
しかし「政府や役人が、必ずしも正しい判断を下せるとは限らない。国として取り組むべき分野か否か、成果が上がってから支援を決めるのではイノベーションは進まないが、国が責任ある立場から支援するならば、その根拠となるエビデンスが必要になる」とゲイツ氏が指摘するように、フィランソロピーという枠組みで第一歩を踏み出すリスクを緩和させるには、すでに起業家、事業家として成功している人が、自分の持つ資金で直接取り組むほうが効率はいい。
そのためにも、自由にNPOや企業内プロジェクトに投資(助成金)を出せる仕組みが日本にも必要だろう。現状、日本では寄付活動に対する規制が厳しい。ゲイツ・メリンダ財団と同じような活動をしようとすると、審査・認定をプロジェクトごとに受けねばならない。「米国での経験、ゲイツ・メリンダ財団をはじめてから起きてきたことを日本政府高官や政治家にも伝えることはできる(ゲイツ氏)」というように、まずは活動に対する理解を広げることが必要なのだろう。
しかも、まだバリバリと働ける若いうちから、事業と並行してフィランソロピーに取り組める環境が必要だと指摘する。若くしてビジネス界のリーダーになる人物には、そうなるだけの能力やモチベーションがあるからだ。例えばFacebookのマーク・ザッカーバーグ氏は、まだ31歳だがゲイツ氏によるとフィランソロピーに取り組んでおり、事業と両立をさせていると指摘した。
テクノロジーがフィランソロピーを身近にする?
フィランソロピーについては、とりわけゲイツ・メリンダ財団の取り組みが大規模なため、自分自身とは関係がないと考えがちだ。しかし、インターネット技術によってフィランソロピーがもっと身近になる可能性はありそうだ。
近年、さまざまな形のマイクロファンディング、あるいは企業が新事業・新商品のアイディアを募集するオープンイノベーションの取り組みが注目されている。いずれも営利事業が基本だが、同様の手法はフィランソロピーでも応用できるだろう。大富豪でなくとも、自分が有効だと思う研究開発プロジェクトを支援し、イノベーションを加速させることはできる。
ただしお金を集める仕組みと当時に、自分が有望だと感じて支援しているプロジェクトを可視化する機能も提供せねばならない。ゲイツ氏も「アフリカを訪ねて、蚊帳が行き渡っていたり、水が浄化されたり、トイレが改善されるなどの成果を目撃すると、それが一層、モチベーションを高めてくれる」と話していたが、自分がかかわる何かが、どのように世の中を変えているのかを見せる仕組みがあれば、ネットを通じて少額から支援できるフィランソロピーの仕組みをつくれるに違いない。もし身近にそうしたプラットフォームがあれば、私自身が多様なプロジェクトを吟味しながら支援したいと考えると思う。
編集・執筆後記
古くからのパソコンユーザーには、ビル・ゲイツ氏のことを“悪の帝国”を率いる指揮官といったイメージで見ている人もいるかもしれない。かつてのマイクロソフトは、業界内の空気が読めないガキ大将のような会社だったこともある。
ただ、そうした中でもゲイツ氏は、いつでも子どものように“もっと前に進むため”に愚直に技術開発を進めていた。スティーブ・ジョブズのようなセンスはないが、迷うことなく確実に前進していく姿勢は多くのビジネスパースンが参考にすべき姿かもしれない。もっとも、彼の頭の良さときたら、かなり特別なものだから、丸ごと真似はできないだろうけれど。
幕張で開催されたある展示会のアフターパーティーに現われたゲイツ氏は、いつものように少し短いスラックスにずり落ちたソックス。着崩れた上着でいろいろな人と話をしていた。
僕も名刺交換のチャンスを得たのだが「名前はわからないけど、あなたとは以前に会ったことがあるよ」と言われ、名刺交換のチャンスを逃したことがある(その前に言葉を交わした時には名刺交換はしていなかった)。
駆け出しのフリーランスライターのことを、なんでこの人は憶えているんだろう。その凄まじい記憶力と、理路整然とわかりやすく説明する彼の頭の良さに驚きを隠せなかったことを、今でも鮮明に思い出すことができる。
※この記事は、本田雅一さんのメールマガジン「続・モバイル通信リターンズ」 Vol.027(2015年12月18日号)を一部編集して掲載しています。
本田雅一メールマガジン「続・モバイル通信リターンズ」
IT、AV、カメラなどの深い知識とユーザー体験、評論家としての画、音へのこだわりをベースに、開発の現場、経営の最前線から、ハリウッド関係者など幅広いネットワークを生かして取材。市場の今と次を読み解く本田雅一による活動レポート。
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