やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

「歴史的」南北会談が東アジアの安全保障に与える影響の有無



 私には家庭の事情もかなりあるので、あまりご公務に準じる会議や企画には足を向けづらい状況だったのですが、断りづらい理由もあって立て続けに東アジア方面の安全保障に関する政策勉強会やシミュレーションに出席していました。議事の詳細はともかく、文字通りアメリカ、中国、韓国、北朝鮮(に詳しい有識者)、ロシア、そして日本人である私たちと、各国の国益や情勢を踏まえた議論が重ねられたというのは実に刺激的で有意義でありました。

 日本も北朝鮮の近所であり、韓国は大事な隣国ではありますが、今回の一連の南北会談の起点となっている民族融和や朝鮮半島の安全、またポスト南北関係という点では、日本はそもそも無関係です。当たり前のことなんですけど、38度線を巡る南北分断と、各々アメリカと中国を後ろ盾とする両国の交渉は、もともと朝鮮戦争が政治上、外交上は「休戦状態である」という前提で話し合われている限り、戦争に無関係な日本とロシアは「関係があるかもしれないお隣さん」なのであって、こちらから「俺たちを交渉に混ぜろ」という必要もないのです。

 むしろ、北朝鮮のミサイル発射(それも、日本領土を頭越しに撃って行う実験)や拉致問題こそ本来は日本の国益に関するものであり、長距離ミサイルがどうとかいうのは日本には関係ありません。北朝鮮の非核化プログラムに入っている長距離ミサイルの開発断念はあくまでアメリカと韓国が言っていることであって、すでにノドン、スカッドなどの短距離ミサイルに首都がすっぽり入っている韓国、中国、日本にとっては核兵器開発こそが北朝鮮問題の喫緊であります。そして、この核技術についてはすでにウクライナの民間企業という第三者による技術売却が北朝鮮の技術進展に大きな貢献を行ったことはすでに報じられてしまったので、おそらくは、大気中核実験さえしてしまえば北朝鮮は核兵器開発を事実上完了し、東アジアの安全保障に大きな影響を与える核兵器配備が完了することになります。

 それでもミサイル開発もプログラムに入る理由は単なる東アジアの安全保障の問題ではなく、ワシントンDCやカリフォルニア州が北朝鮮の核ミサイルの射程に入るかどうかという、完全にアメリカの都合であり、アメリカの安全保障上、韓国をツールとして北朝鮮の長距離ミサイル開発に介入し、これを断念させる必要があることにほかなりません。マッドマン戦略を採用していると思われたトランプ大統領が、トランプ政権全体の外交として北朝鮮の若き独裁者・金正恩書記長を褒めたり脅したり揺さぶっているのは、単にキチガイなのではなく彼なりの合理性が一応はあったのだということが分かったことだけでも、この南北会談の成果でありました。

 むしろ、トランプ政権が完全なキチガイではなかったという衝撃は中国やロシアにあるものであり、まずは韓国を信頼し、まずは北朝鮮の非核化プロセスをどこまで具体的な内容で詰めさせるのかという「お試し」をし、今回のセレモニーのような南北会談にまで到達できたというのは朝鮮半島の安全を確保するうえでは意味のあることなのかもしれません。

 しかしながら、あれだけ歴史的な画像をたくさん用意しておきながら、実際に韓国と北朝鮮の間で話し合われ合意された内容は、単なる努力目標であって、具体的な非核化作業の内容も、明確な期日も示されることなく、事実上の「北朝鮮の核開発完了までの時間稼ぎにすぎない」と強い猜疑心も持たれる内容で終わったことは特筆されるべきことです。とりわけ、東アジアの安全保障が流動化して一番困るのは実はロシアであり、極東の少ない予算と戦力で長い国境線と海域を守り、また少ない人口で極東を支配しているロシアにとって北朝鮮に“万が一”があって豆満江やアムール川を越えて北朝鮮人が難民越境してくることは本当の悪夢です。北朝鮮など朝鮮半島が、朝鮮半島の中に向かって崩壊する分には構わないが、外に向かって問題が輸出されることは歓迎しないという明確なスタンスを取っているのも明らかです。また、ロシアはいまの欧州、シリアとすでに二正面作戦状態となっているところへ北朝鮮問題が出たとき、対応しきることはむつかしいという点で、できれば現状維持を北朝鮮問題にはお願いしたいということで、静かにしているというのが現実ではないかと思います。

 一方、我が国日本も北朝鮮問題については埒外であり、あくまで日米安全保障条約の枠内での対応であって、米韓同盟に直接の影響を受ける立場にはなく、米中韓朝の休戦の枠組みにも入っていない状況である限り、日本はコントロールできない問題が北朝鮮であると言えます。それであるがゆえに、非核化をどうの、長距離ミサイルをどうのといっても、日本に作用できる外交資源も戦力もありません。うっかり介入したら、今度は北朝鮮人同胞を呼び寄せたい人々の手によって難民の無制限受け入れを求められることもあり、日本もまた現状維持が望ましいと思っているのです。

 ただ、北朝鮮が核兵器の配備を完了してしまうとゲームのルールが変わります。日本も安全保障に関する意識の高まりから、核開発や米露などからの核技術・核兵器の受け入れも含めた核拡散側に一歩を踏み出す議論が出てくる可能性はとても高くなります。国交もなく明確な敵国の一つである北朝鮮の核武装を見て、日本国内でしか通用しない非核三原則を撤回し、憲法改正を行って、より実効性のある自衛を日本は行うべきだという議論も出てくると思います。それと同時に、日米の同盟関係も「核の傘で守ってもらうという一方的なモノであるべきか」という話になり、集団的な安全保障体制をどうするのかという話も出ます。韓国、ロシア、インド、ASEAN諸国との協調関係を築こうとすると、どうしても南シナ海の安全保障にも日本が介入しなければならないことになるかもしれませんし、日本と中国の間で安全保障の話し合いを進めるべき時期がくるかもしれません。

 そして、大事なことは朝鮮半島の「ポスト休戦」がどうなるかです。いまのところ、北朝鮮を韓国が併合して民主主義的な政体ができるのか(金体制が崩壊するパターン)、南北融和が具体的に進み、朝鮮半島の統一国家が完成して一種の立憲君主制ができるのかというアイデアは出るでしょうが、問題はアメリカ軍が退去するかや、金体制が温存されるかです。中国からすれば北京と目と鼻の先に民主主義国家ができてアメリカ軍がうろうろしているのは望ましくないでしょうし、アメリカは朝鮮半島から退去することになれば東アジアでの安全保障は陸続きでないところしか駐留できていないということで作戦の幅は狭くなってしまいます。

 日本にとっても、中国の影響下に完全に入った統一朝鮮は望ましくなく、しかしいつまでも北朝鮮が核兵器開発できるかできないかでグズグズ問題を引き延ばしている状態というのはストレスです。しかし、日本もロシアも朝鮮半島情勢で北朝鮮問題に介入するリソースもツールもありません。物事の進展を見極め、蚊帳の外で全く構わないから何が起きても良いように準備だけは怠らずしておく、というのが必要な議論なのではないかと思います。

 …が、国会が空転し、北朝鮮情勢で議論を深めるどころの騒ぎではないんですよね。さて、これは本当にどうしたものでしょうか。

 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.223 南北会談について思うこと、漫画村問題を巡る関係諸氏の思惑のあれこれ、そして自動運転車の人身事故で感じることなどを語る回
2018年4月30日発行号 目次
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【0. 序文】「歴史的」南北会談が東アジアの安全保障に与える影響の有無
【1. インシデント1】 「漫画村問題」惨状の整理と、落としどころを巡る争い
【2. インシデント2】自動運転車の事故から考えるテクノロジーと倫理と感情の間
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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