岩崎夏海
@huckleberry2008

岩崎夏海のメールマガジン「ハックルベリーに会いに行く」より

なぜ「もしドラ」の続編を書いたのか

※岩崎夏海のメルマガ「ハックルベリーに会いに行く」より

今度、「もしドラ」の続編、「もしイノ」(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら」)が発売される。ぼくは当初、これを「書かない」といってきた。書くと大変だ、というのが分かっていたからだ。大変というのは、この続編を快く思わない人がいるのである。

先日、続編が発売されることを発表したところ、ぼくが失敗することを望んでいるコメントが並んだ。こういう声は、けっして大多数というわけではないが、少なくもないだろう。ぼくを含め、人は、他人に対しては残酷な気持ちを宿している。他人の失敗を望み、これを喜ぶというのは、誰でも持ち合わせている自然な感情だ。

だから、こういう人たちを咎め立てすることはできない。ぼくにできることは、二つだけ。こういう声を避け、続編を書かないか、こういう声に立ち向かって、続編を書くかだ。

そうしてぼくは、これまで続編を書かなかった。それは、人々の悪意に触れるのが嫌だったからだ。人々の、ぼくの失敗を望む気持ちに触れるのが嫌だった。挑戦しなければ、それに触れることもない。だからぼくは、挑戦を避け続けていた。

しかしながら、やがて気づいたのは、そういう挑戦を避ける気持ちこそが、人を緩やかな失敗に導くということである。それは「緩慢な失敗」である。失敗をしないということは、それはそれで、大局的に見れば一つの大きな失敗だったのだ。

人は、失敗を避けられない。それは、人が死を避けられないのと似ている。

ぼくは、やがて死ぬ。それと同じように、ぼくのクリエイター生命も、やがて終わりを迎えるだろう。

そこで、失敗を避け行動を起こさなかったのでは、表面的には死んでいないように見えても、それは結局死んでいることと同じだった。

だからぼくは、覚悟を決めた。死ぬ覚悟を決めたのだ。続編を書いて、もしこれが失敗したら、クリエイターとしての死を迎えるかもしれないということを、覚悟したのである。

よく「背水の陣」というが、誰でも背水の陣など取りたくはないだろう。それが失敗に終われば死——というのは、けっして気持ちのいいものではない。

しかしながら、「背水の陣」にはおそらく、それのみによってしか得られない、大きな効果もあるのだと思う。それは、いわゆる「火事場の馬鹿力」とか、「窮鼠猫を噛む」といった諺に示されているように、人間、追い詰められて開き直ると、これまでにはなかったパワーを発揮できるようになるからだ。

あるいは、「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺もある。人間は、生きたい生きたいともがいていると、かえって死を早めてしまう。それよりも、いっそ運を天に任せると、かえって助かったりする。

さらには、「武士道というは死ぬことと見つけたり」という言葉もある。これは、死を覚悟しながら生きていくと、余計なことを考えなくなるので、正しく行動できるということだ。

それでぼくは、ようやく続編を書くことを決めたのだった。
そこでぼくは、自分にこう言い聞かせた。

「これが失敗すれば、ぼくのクリエイターとしての可能性は狭められるだろう。仕事もお金も人間関係も、いろいろと上手く回らなくなる。そういうリスクが、この続編を書くという作業にはつきまとっている」

「しかし、よし、それならそれを、引き受けようではないか。ぼくはやがて死ぬ。それが早いか遅いかの違いだけだ。それよりも、今この瞬間、続編を書くことのひとときの幸せに身を投じよう。そもそも、ぼくが続編を書けるのは、前作がヒットしたからだ。前作がヒットしなければ、この続編もなかった。つまり、ぼくはそこで死んでいた可能性もある。その意味では、もらった命だ」

「もらった命が、まだ生きながらえる可能性があるのなら、それをまだ燃焼させられるうちに、燃焼させよう。書いたら失敗するかもしれないが、書かないこともまた失敗なのだ。そして成功する可能性は、書く中にしかない」

そうしてぼくは、書いた。書くのに一年半かかったが、重圧の大きさを考えれば、むしろ早く書けた方なのかもしれない。

書き終えた今、悔いはない。これがヒットするかしないか、分からない。失敗作との烙印を押され、さんざんな酷評を受けるかもしれない。

それでもいい。もらった命なのだ。散るときは散る。どうせ散るなら、パッと散ろう。

ぼくにとってだいじなのは、悔いのないことだ。ぼくはこれまで、自分の人生や作品というものに悔いがない。よく、満足したら終わりだという。しかしぼくは、満足している。満足したら終わりではなく、満足する気持ちがないと、次に行くことができないからだ。

ぼくは、満足することを糧に、生きている。満足がなければ、続けられなかった。
満足は、ぼくにとっては始まりなのである。そうしてぼくは、この続編に満足している。だから、たとえこれが失敗し、クリエイターとしての命が終わったとしても、また何か別の道で、生きていけると思うのである。


もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら
岩崎夏海

 

岩崎夏海メールマガジン「ハックルベリーに会いに行く」

35『毎朝6時、スマホに2000字の「未来予測」が届きます。』 このメルマガは、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(通称『もしドラ』)作者の岩崎夏海が、長年コンテンツ業界で仕事をする中で培った「価値の読み解き方」を駆使し、混沌とした現代をどうとらえればいいのか?――また未来はどうなるのか?――を書き綴っていく社会評論コラムです。

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岩崎夏海
1968年生。東京都日野市出身。 東京芸術大学建築科卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』など、主にバラエティ番組の制作に参加。その後AKB48のプロデュースなどにも携わる。 2009年12月、初めての出版作品となる『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(累計273万部)を著す。近著に自身が代表を務める「部屋を考える会」著「部屋を活かせば人生が変わる」(累計3万部)などがある。

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