川端裕人のメルマガ『秘密基地からハッシン!』Vol.042よりエッセイ「嘘のこと」を全文無料でお届けします。
ナショジオWebにて、「嘘の心理学」のインタビューが掲載された。
●「研究室に行ってみた。文京学院大学 嘘の心理学 村井潤一郎」第1~5回
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/053100009/053100001/
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/053100009/053100002/
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/053100009/053100003/
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/053100009/060100004/
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/053100009/060100005/
小学校6年生のときに経験した
「嘘」をめぐる出来事
嘘というのは、人の心の機微に触れることで、お話を伺う中で、思い出すことが多々あった。
記事の中にもぼくの個人的な体験として入れ込もうと思いつつ、分量の関係で果たせなかったエピソードがあるので、それをここに記しておく。研究室訪問記事と併せて読んでいただくと味わい深いはずだ。
先に、教訓めいたことを書いておくと──
・「嘘をついているかどうか」は、自分ではなく「みんな」が決めることが時々ある。
・「神様は見ている」なんて嘘だ。
さて、その体験は小学校6年生の冬のこと。
卒業を間近に迎えて、午後がまるまる卒業準備の活動にあてられていた。卒業記念にトーテムポールを作るグループが一大勢力で、ぼくは卒業文集を編集する四五人のうちの一人だった。教室ではなく、印刷室のような小部屋で作業していた気がする。
終業の時間となり、作業のために使っていた緑色のボールペン原紙の束や、裁断機などを抱えて教室に戻ると、ちょうどほかの全員が席についたところだった。
いわゆる「帰りの時間」「学活」が始まる直前だった。
しかしここでぼくは、作業をしていた小部屋に原稿を忘れてきたことに気づいた。
急いで取りに行って、数分後に戻ると、すでに学活は終わっていた。
今でもよく覚えているのは、みんなが椅子を引くガタガタする音。
それに続く「きをつけ! 礼!」。
がやがやと始まる私語。
ああ、終わってしまったなと思いつつ、ぼくはそのまま帰宅の準備に入った。
翌日、ぼくは忘れ物をした。具体的には何だったか忘れたが、かなり重要なものだったのだろう。先生に責められた。
ぼくは、「知りませんでした」と言った。
すると、教師は「きのうの終わりの会であれだけ念を押しただろう」と返した。
以下、記憶上の会話。
「その時、ぼくはいませんでした」
「いや、おまえたちは、学活の前に帰ってきた。それから学活を始めたんじゃな
いか」
「原稿を忘れたので、ぼくだけ取りに行ったんです」
「本当か、そんなことはおぼえていないぞ」
このあたりで、非常に居心地が悪くなってきた。
とてもとても疑われている。教師が気づいていないというのもありえる話で、ぼくは学活直前の時間帯、教室の中に数秒しかいなかったはずだし、帰った時には学活終わりのざわざわの中でまったく目立たなかったはずだ。
そこで、教師ははっきり問うた。
「きみは嘘を言っているのではないか。きみが出ていくのを、わたしは見ていない。だれか、みたやついるか」
嫌な予感がした。
誰も、手を挙げなかった。
級友たちが覚えているのは、ぼくが卒業文集グループのみんなと一緒に戻ってきたところまでだった。直前まで一緒に行動していた卒業文集グループの仲間すら、最後尾から小部屋に戻ったぼくが、一人で別行動したことに気づいていなかった。
それは足元を切り崩されるような
とても「怖い」経験だった
実際、ぼくの行動自体は些細な事だ。
わざわざ人に言うようなことでもなかった。たまたま気づいたから一人で小部屋に戻って原稿を回収したのであり、それ以上でもそれ以下でもない。
翌日、忘れ物をして、なおかつ教師に追及されなければ、すぐに忘れてしまっただろう。
なのに今でも忘れられない「思い出」になったのは、やはり、自分の中の真実が、自分以外の多数のリアリティによってひっくり返される経験に繋がったからだ。
「忘れ物をしたことを素直に謝罪せず、嘘をついて言い逃れをしたやつ」という嫌疑をかけられ、心の中にある真実を訴えようにも誰も信じないという事態はいかんともしがたかった。
結局、ぼくは「嘘を言っていない」と理解してもらうことを諦めた。
忘れ物をしただけでなく、嘘で言い逃れしようとしたという評価も、受け入れざるをえなかった。
もちろん「嘘を言いました」と認めたわけではなかったけれど、とにかく黙り込み、すべて飲み込んだ。不名誉な妥協とはいえ、それ以外の選択肢は事実上なかった。
自分の心の中の真実とは別のことが、真実として公認される瞬間はひたすら怖く足元を切り崩される経験だった。
ぼくが心に留めている教訓を再掲する。
・「嘘をついているかどうか」は、自分ではなく「みんな」が決めることがある。
・「神様は見ている」なんて嘘だ。
ナショジオの「嘘研究インタビュー」と読み合わせてみてほしい。さきほども書
いたけれど、きっと味わい深いはずだ。
話を伺いながら心に響いたのは、「嘘をついている時と、嘘をついていると決めつけられている時とでは、経験する心理的な過程が同じ」(この言い方はぼくの意訳)という件。
たしかに、あの時の嫌なドキドキ感は格別だった。
大人になってからも、何度か、嘘をついていないのに「嘘つき」であることを受け入れざるを得ない状況に追い込まれたことがあるけれど(PTAとか!)、「嘘ついていないなら、もっと堂々としているはず」なんてのは、本当に無理だ。
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川端裕人メールマガジン『秘密基地からハッシン!」
2017年6月16日Vol.042
<『日本の動物園にできること』のための助走:第5回/「星空保護区」・テカポ湖で満天の星を撮影した/嘘つきのこと/絶滅動物作家のエロール・フラーを訪ねる/再読企画第九章コメント編後半>ほか
目次
01:「日本の動物園にできること」のための助走:第5回
02:keep me posted~ニュースの時間/次の取材はこれだ!(未定)
03:宇宙通信:「星空保護区」・テカポ湖で満天の星を撮影した
04:特別エッセイ:嘘つきのこと
05:連載・ドードーをめぐる堂々めぐり(42)絶滅動物作家のエロール・フラーを訪ねる
06:著書のご案内・イベント告知など
07:「動物園にできること」を再読する:第九章「ハイテク・カウボーイたち」コメント編後半
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