※高城未来研究所【Future Report】Vol.737(8月1日)より
(Huiskamergeleerde at nl.wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
今週は、バルセロナにいます。
あちこち回ってバルセロナに戻ると、人が中心にいる街づくりが徹底しているな、と感じます。
訪れた多くの観光客は、サクラダファミリアや活気ある市場、地中海ビーチに惹かれると思いますが、目抜通りであるランブラスやランブラ・カタルーニャなど街の中心に位置するストリートは、往来の真ん中を人が通り、車は側道を通る設計になっているのが、世界のどの都市とも違います。
バルセロナの象徴であるランブラス大通りは、18世紀に旧城壁跡を歩行者のプロムナードとして整備したのが始まりで、全長およそ1.2kmの並木道の中心部を人々が闊歩出来る構造を今も残しています。
観光客も住人も道の真ん中を思い思いのペースでそぞろ歩き、花屋やニューススタンドに立ち寄って、オープンカフェで語らい、ストリートパフォーマーに拍手を送るのが日常風景です。
ここは単なる移動のための通路ではなく、出会い、交流し、時間を過ごすための「巨大な公共のリビングルーム」であり、この設計思想はバルセロナの都市計画の根底に流れる「人を中心とした社会」の精神を象徴しているのが、よくわかります。
また、カタルーニャ広場からグラシア通り方面へ向かうランブラ・カタルーニャ通りも同様、中央に広大な歩行者専用の並木道が設けられ、その両脇を車道が走る通りを見ると、もともと「人」こそが街の主役であると、雄弁に物語っています。
しかし、20世紀に入り、世界中の都市がそうであったように、バルセロナも一時期は「モータリゼーション」の波に飲み込まれていきました。
経済成長と効率化の掛け声のもと、街の動脈は次々とアスファルトで覆われ、主役の座は次第に自動車へと奪われていき、かつて人々の笑い声や話し声が響いていた空間は、エンジン音と排気ガスの匂いに徐々に支配されるようになります。
これは利便性と引き換えに、都市が本来持っていた人間的な温かみやコミュニティのつながりを少しずつ侵食していく過程でもありました。
こうして出来上がった大企業が主導する車中心社会は、効率的ではあっても、必ずしも人間にとって幸福な空間ではありませんでした。
その反省から、市は2024年にランブラス大通りの車線を片側1本へ減らして、舗道と中央プロムナードを拡幅する大改修を開始。
すでに第一期工事が完了しました。
そしていま、この失われた「人中心」の街の記憶を取り戻し、現代に復権させようとする壮大な社会実験が、バルセロナで力強く進行しています。
それは「スーパーブロック」と呼ばれる都市再生プロジェクトで、これは単なる街の再開発に留まらない、「まちづくりルネッサンス」とも呼ぶべき市民運動に他なりません。
「スーパーブロック」は、19世紀に都市計画家イルデフォンソ・セルダが設計した碁盤目状の3×3=9つの街区(ブロック)を1つの大きなユニット「スーパーブロック」として定義し、車道を歩道に変えて内部の道路への自動車の進入を大幅に制限する大胆な試みで、これまで車が占有していた道路空間を劇的に解放しました。
「スーパーブロック」のアスファルトは剥がされ、土が敷かれて木々が植えられ、車道だった場所は、ベンチが置かれた広場や、子どもたちが駆け回る遊び場、地域住民が野菜を育てる菜園、野外卓球台が設置されたスポーツエリアへと生まれ変わりました。
バルセロナ市は、この計画によって、都市空間に占める「歩行者用スペース:車道」の比率を、「45:55」から「69:31」へと逆転させることを目指しており、これは都市空間の所有権を自動車(そしてそれを推進してきた大企業)から市民の手に取り戻すという、明確な意志を示しています。
2016年に本格導入が始まったポブレノウ地区では、「スーパーブロック」効果は目覚ましいものでした。
導入後、自動車交通量は最大で82%も減少し、それに伴い二酸化窒素(NO2)濃度は33%低下、騒音レベルも大幅に改善。何よりも大きな変化は、街の風景そのものです。
エンジン音の代わりに子どもたちの笑い声が響き、排気ガスの匂いの代わりに土や植物の香りが漂うようになりました。
高齢者は安心して散歩を楽しみ、若者たちはベンチに座って語らう。地元の商店街では、人々が車を降りてゆっくりと歩くようになったことで、客足が増え、売上が向上するという経済的な効果も生まれています。
僕も毎朝代表的スーパーブロックのコンセル・デ・セント通りを走っていますが、都市の真ん中なのに、まるで森の中を疾走しているような気分になります。
もちろん、この歩行者革命は順風満帆だったわけではありません。導入初期には、交通の不便さを懸念するドライバーや、客足が遠のくことを恐れた一部の商店主から強い反対運動が起きました。
一方、市はトップダウンで計画を強行するのではなく、市民との対話を徹底的に重ねます。ワークショップを繰り返し開催し、住民の意見やアイデアをしっかりと計画に反映させていったのです。
こうして当初は反対していた住民も、実際に生まれた静かで快適な空間の価値を体感するうちに、次第に支持者へと変わっていきました。このプロセスこそが、スーパーブロックが単なる都市計画ではなく、市民が主体となる「まちづくりルネッサンス」と呼ばれる所以なのです。
バルセロナのこのような街づくりを理解する上で重要なのは、スーパーブロックが同市が推進する「スマートシティ戦略」の根幹をなすプロジェクトであるという点です。
「スマートシティ」という言葉には、ともすれば監視カメラやセンサーが街中に張り巡らされ、AIがすべてを効率的に管理する、といった冷たく無機質なイメージがつきまといます。
実際に、他の都市では、巨大企業が主導するトップダウン型の徹底的に計画及び管理された未来型スマートシティ開発が進められ、「市民不在」との批判を浴びるケースも少なくありません。
しかし、バルセロナのアプローチは全く異なります。
彼らが掲げるのは「市民中心のスマートシティ」。テクノロジーは、市民を管理したり、企業の利益を最大化したりするためのものではなく、あくまで「市民に力を与え、生活の質(QOL)を向上させるための手段」であると明確に位置づけているのです。
例えば、スーパーブロックの計画策定において、テクノロジーは重要な役割を果たしました。
市は各街路にセンサーを設置し、交通量、騒音レベル、大気汚染度といったデータを収集・分析。この客観的なデータは、どのエリアからスーパーブロック化を進めるべきかという政策決定の根拠となっただけでなく、計画の効果を可視化し、反対する市民を説得するための強力な材料にもなりました。
こうした「市民中心」の思想を最も象徴しているのが、「Decidim(ディシディム)」というオンライン市民参加プラットフォームです。
「我々が決める」を意味するカタルーニャ語から名付けられたこのデジタルツールは、市政に関する提案、議論、投票などをオンライン上で誰もが行えるようにする仕組みで、政治家や官僚の既得権の温床となっていたのを防ぎ、市の予算の一部の使い道を市民が直接決めることも可能です。実際、これまでに数十万人の市民が参加し、数万件の提案がなされ、その多くの政策に反映されています。
特筆すべきは、このオンライン民主主義の実践が、スーパーブロックのような「オフライン=リアルな空間」の変革へと直結している点です。
市民はDecidimを通じてスーパーブロック計画について議論し、自分たちの街区をどう変えたいか(公園が欲しい、遊び場が必要だ、など)を提案します。行政はその声に耳を傾け、計画に反映させる。つまり、デジタル空間での合意形成が、フィジカルな世界の豊かさを生み出している点です。
こうしたリアルをゴールとする背景には、新型コロナウイルスのパンデミックを経て、爆発的に加速した「行き過ぎたオンライン化」があります。
リモートワーク、オンライン授業、ネットショッピング、フードデリバリー、そしてSNSでのコミュニケーション。市民の生活は、かつてないほどデジタルスクリーンの中に年々閉じながらも、移動の制約を取り払い、多くの利便性と効率性をもたらしました。
その一方、人々は何を失いかけているのでしょうか。
それは、身体性を伴ったリアルな体験であり、予測不可能な偶発的な出会いであり、そして顔と顔を合わせた温かいコミュニティとの繋がりだと、バルセロナの人々は考えました。
確かにクリック一つで何でも手に入る世界は快適ですが、そこには隣人の顔も、街のざわめきも、季節の風の匂いもありません。
現在、効率化を突き詰めた先にあるのが、人間関係の希薄化と孤独であることに、多くの人が気づき始めています。
この「行き過ぎたオンライン化」という大きな揺れに対する、力強い「反動」あるいは「揺り戻し」こそ、バルセロナのスーパーブロックが持つ最も今日的な意義なのです。
テクノロジーやグローバル資本といった抗いがたい大きな力に都市の未来を委ねるのではなく、そこに住む市民一人ひとりが主体となって、自分たちの手で暮らしの場を形作っていく。スーパーブロックによって意図的に生み出された「何もない空間」や「余白」は、効率至上主義の対極にあります。
いま、バルセロナで起きている物語は、地中海の一都市のユニークな成功事例に留まりません。それは、21世紀の都市がどこへ向かうべきか、そして「真にスマートな都市とは何か」という根源的な問いに対する、一つの希望に満ちた回答ではないか、と考える今週です。
夏も真っ盛り。
世界有数の観光都市バルセロナも、いよいよピークシーズンに突入です!
高城未来研究所「Future Report」
Vol.737 8月1日発行
■目次
1. 近況
2. 世界の俯瞰図
3. デュアルライフ、ハイパーノマドのススメ
4. 「病」との対話
5. 大ビジュアルコミュニケーション時代を生き抜く方法
6. Q&Aコーナー
7. 連載のお知らせ
高城未来研究所は、近未来を読み解く総合研究所です。実際に海外を飛び回って現場を見てまわる僕を中心に、世界情勢や経済だけではなく、移住や海外就職のプロフェッショナルなど、多岐にわたる多くの研究員が、企業と個人を顧客に未来を個別にコンサルティングをしていきます。毎週お届けする「FutureReport」は、この研究所の定期レポートで、今後世界はどのように変わっていくのか、そして、何に気をつけ、何をしなくてはいけないのか、をマスでは発言できない私見と俯瞰的視座をあわせてお届けします。


その他の記事
![]() |
「親友がいない」と悩むあなたへ(名越康文) |
![]() |
五月病の正体 「どうせ……」というくせものキーワード(名越康文) |
![]() |
殺人事件の容疑者になってしまった時に聴きたいジャズアルバム(福島剛) |
![]() |
「ヤングケアラー」はそんなに問題か?(やまもといちろう) |
![]() |
次の食文化を左右するであろうアニマルウェルフェアネスと環境意識(高城剛) |
![]() |
フィンテックとしての仮想通貨とイノベーションをどう培い社会を良くしていくべきか(やまもといちろう) |
![]() |
「有休を使い切ったうえで生理休暇って、アリなんでしょうか?」(城繁幸) |
![]() |
オーバーツーリズム問題の解決を阻む利権争い(高城剛) |
![]() |
「キモズム」を超えていく(西田宗千佳) |
![]() |
人は生の瀬戸際までコミュニケーション能力が問われるのだということを心に刻む(やまもといちろう) |
![]() |
週刊金融日記 第269号 <性犯罪冤罪リスクを定量的に考える、日経平均株価2万円割 他>(藤沢数希) |
![]() |
なぜ東大って女子に人気ないの? と思った時に読む話(城繁幸) |
![]() |
なぜNTTドコモは「dポイント」への移行を急ぐのか(西田宗千佳) |
![]() |
バルセロナが目指す市民中心のスマートシティ(高城剛) |
![]() |
在韓米軍撤退の見込みで揺れまくる東アジア安全保障と米韓同盟の漂流(やまもといちろう) |