※名越康文メールマガジン「生きるための対話」 Vol.085<天才はなぜチビなのか?(前編)/「資格は大学、本質は塾で」という時代/8種体癖に必要な取り組みとは/実存主義を「実践」するために瞑想しよう/タイプによって人間関係の「落とし穴」は違う> より
天才は小さく描かれる
「天才はなぜチビなのか?」
これは本来であれば「質問として成り立っていない質問」です。「天才である」ということと「背の大きい・小さい」ことの間に関係などない、というのが世間の常識です。少なくとも今の科学に従うなら、知性や内面的な資質と体格との間には「因果関係は存在しない」ことになっています。
しかしいかがでしょう。改めて「天才はなぜチビなのか?」と問いかけられてみると、知らず知らずのうちに「天才」と「チビ」とを無意識のうちに結びつけてイメージしていた自分に気づいた。そんな人も少なくないのではないでしょうか。
例えば映画やアニメを見ても、「天才キャラ」は概ね小柄に描かれることが多い傾向があります。頭の切れる秀才タイプであればスラッとした長身のキャラクターも登場しますが、誰もが思いつかないような発想を持つ「天才」は、だいたい小柄に描かれることが常なのです。
古い例ですが「ドカベン」の殿馬(とのま)などは、天才ピアニストでありながら野球をやっても独自の発想から数々の「秘打」を生み出す天才っぷりを見せつけたキャラクターです。あるいは「機動戦士ガンダム」の主人公・アムロ、「エヴァンゲリオン」の碇シンジなどは、戦闘において誰も真似できないような集中力を発揮します。
彼らはみな、身体が小さく、場合によっては少し姿勢が悪かったり、縮こまった印象を与えるキャラクターとして描かれています。そして、そういう描かれ方をすることによって、これらのキャラクターは読者にとって説得力あるものとして受け止められてきました。逆に言えば、「大柄な殿馬」とか「背の高いアムロ・レイ」では、彼らの天才性をうまく表現できなかったのではないかと思うのです。
誤解のないように最初に断っておきますが、僕は統計的な意味で「天才は背が低い」とか「身長と知性は比例する」といった話をしたいわけではありません。僕がいま問題にしているのは、どういうわけか私たちが「天才」という存在に対して「背が低い」「小柄」という印象を抱いてしまう、ということについて考えてみたいのです。
※この続きは名越康文メールマガジン「生きるための対話」をご購読ください。10月20日12:00までにご登録いただければ、この記事の続きほか、下記の記事が無料で読めます。
名越康文メルマガ「生きるための対話」Vol.085
<天才はなぜチビなのか?(前編)/「資格は大学、本質は塾で」という時代/8種体癖に必要な取り組みとは/実存主義を「実践」するために瞑想しよう/タイプによって人間関係の「落とし穴」は違う>
目次
02精神科医の備忘録 Key of Life
・「資格は大学、本質は塾で」という時代
03カウンセリングルーム
[Q1] 8種体癖に必要な取り組みとは
04【連載】塾通信(52)
・実存主義を「実践」するために瞑想しよう
05【対談】類人猿分類の産みの親・岡崎和江さんに聞く『ゴリラの冷や汗』ができたわけ
・第3回 タイプによって人間関係の「落とし穴」は違う
その他の記事
古い枠組みから脱するための復活の鍵は「ストリート」(高城剛) | |
重心側だから動きやすい? 武術研究者・甲野善紀の技と術理の世界!(甲野善紀) | |
西村博之(ひろゆき)訴追問題と4chan周辺の迷惑なネタ(やまもといちろう) | |
成長戦略に「ウェブスリー」を掲げる岸田官邸の何それ感(やまもといちろう) | |
録音がそのままテキストに?!「Recoco」はライターの福音となるか(西田宗千佳) | |
食欲の秋、今年は少しだけ飽食に溺れるつもりです(高城剛) | |
暴風雨となるライドシェア全面解禁論議(やまもといちろう) | |
新型コロナウイルスのデマに立ち向かう方法、我が家の場合(本田雅一) | |
「Googleマップ」劣化の背景を考える(西田宗千佳) | |
快適な心地よい春を過ごすための用心(高城剛) | |
無意識の領域へアクセスするあたらしい旅路のはじまり(高城剛) | |
なぜ電車内にベビーカーを持ち込む人は嫌われるのか?(岩崎夏海) | |
本当に必要なものを見抜くためのひとつの方法(高城剛) | |
「外組」と「内組」に二極化する時代(高城剛) | |
回転寿司が暗示する日本版「インダストリー4.0」の行方(高城剛) |