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岩崎夏海の競争考(その21)なぜ若者に奴隷根性が植えつけられたか?(前編)
歴史を見ることで、なぜ若者たちに奴隷根性が植え付けられたのかがわかる
若者たちが自らの奴隷根性を断ち切るためには、まず「なぜ自分たちに奴隷根性が植えつけられたのか?」を知らなければならない。というのも、若者たちのほとんどは、それが「なぜ」かはもちろん、「自分たちに奴隷根性が植えつけられている」という事実さえ知らない場合が多いからだ。しかしながら、「なぜ自分たちに奴隷根性が植えつけられたか」を知ることができれば、自分たちに奴隷根性が植えつけられているということもはっきりと自覚できる。それは、ある特殊な歴史的経緯の中から生まれたのだ。今回は、そこのところを詳しく見ていきたい。
歴史を見ると、ゆとり教育の若者たちになぜ奴隷根性が植えつけられたのか、よく分かる。ところで、まずはぼくの話をしてみたい。ぼくは、1968年生まれで、今は46歳だ。そんなぼくは、社会に出てから、10歳くらい年上の先輩とよくつき合ってきた。そもそも師匠である秋元さんが10歳年上だった。それ以外の放送作家の先輩も、7、8歳年上が多かった。そのため、ぼくより10年年上の世代のことはよく知っているのだが、この世代の特徴を一言でいえば「享楽主義」だった。楽しまなければ損と思っていた。努力することをバカらしいと思っていた。暑苦しいとか汗臭いのを何よりも嫌った。スマートに、今を楽しむことを至上命題としていた。それはまるで、「アリとキリギリス」に出てくるキリギリスのような生き方だった。
そういう生き方は、ぼくらの世代とは大きく違った。ぼくらには、たった10年違うだけなのに、享楽主義的な考え方がほとんどなかった。それよりも、「アリとキリギリス」でいえばアリになることが称揚された。努力や根性はけっして悪いことではなく、暑苦しかったり汗臭かったりすることは価値とされた。熱血という言葉も褒め言葉として機能していた。
両者はほとんど百八十度違っていたといっても過言ではなかった。どうしてこんなに違ってしまったのか? 若い頃は、それが当たり前と思っていたし、他の世代と比較したこともなかったので、そのことをあまり考えたことがなかった。しかし、年齢を重ねて他の世代のことが分かったり、歴史を学んだりすると、そこには大きな「断絶」があることが分かってきたのだ。
1968年生まれから見た断絶
1968年生まれと、それより10歳年上の世代には、大きな断絶がある。両者には決定的な差がある。それは、他の世代と比較してもなお大きな差だ。なぜそんな差が生まれたかといえば、それは、ぼくらの世代が体験しなかったあるできごとを、ぼくらの上の世代が体験したことにある。ぼくらが体験しなかったある歴史的な事件を、ぼくらの上の世代は体験しているのだ。
それが何かといえば「あさま山荘事件」である。ぼくらの世代はあさま山荘事件を体験しなかったが、ぼくらより上の世代はあさま山荘事件を体験しているのだ。実は、これが巨大な差となって、両世代の間に断絶を引き起こしたのである。
ではなぜあさま山荘事件が両者の間に断絶を引き起こしたのか? それを知るには、「あさま山荘事件というのは何だったのか」ということを知る必要がある。
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