津田大介
@tsuda

国際的なネットビジネスのために考えなくてはならないこと

個人情報保護法と越境データ問題 ―鈴木正朝先生に聞く

人権VS人権

香月:なぜEUではこんなに厳しい個人データの保護が定められているのでしょうか?

鈴木:一つは歴史的背景でしょうか。やはりナチス・ドイツによるホロコーストの影響が非常に大きいと思います。欧州では、アウシュビッツの収容所に代表されるユダヤ人虐殺の歴史を、いわば原体験のように共有しています。ナチス・ドイツは、ユダヤ人の個々の経歴、健康状態といった個人データを、番号(識別子)を付してファイリングシステム等を用いて管理しました。その管理データをもとにして、生かして労働力として使う者と殺す者を決めていたのです。また「どのユダヤ人を収容するか」という判断にも国民の個人データを利用して選別していました。ユダヤ人と言っても外見だけからは判別は難しいですし、両親の一方だけがユダヤ人だったいうケースもあります。そこに定義、判断基準を設けて、選別をしたんですね。この範囲はどんどん拡大していったようですね。国家権力が国民の個人データを濫用した場合の怖さが身にしみているわけですね。

それからもう一つの理由は、コンピューターメーカーなどのITベンダーが北米系など外資に席巻されてしまったということです。それによってEUに残ったのはベンダー系の情報処理事業者ばかりになり、EU域内の国民の個人データはみな外資にアウトソーシングされることになってしまいまた。し日本に置き換えて考えてみれば、政府や自治体の情報化を中国、韓国、インド系のITベンダーに委託するようなことです。疑心暗鬼になる理由もわかりますよね。本社の命令でデータ処理が海外のセンターで行われることもあり、国内外を問わず、個人データの移動に何らかの監視が必要ではないか、とEUは考えたわけです。

ここまでお話してきたようにEUにおいては歴史的背景や情報処理事業者との資本関係、そして北米をはじめとした同じ欧米言語圏との越境データ問題などを背景に、個人データは厳格に取り扱わなければならないという思想が強く備わっているのかもしれません。

リスボン条約というEU加盟国の基本条約があるのですが、これは草案段階ではEU憲法草案と呼ばれていたものです。憲法という呼称には、やはりEU加盟各国の一部には抵抗を示すところがあり、条約という名称に落ち着きましたが、その性格はやはりEUの憲法です。このリスボン条約の中で個人データ保護は人権規定として位置づけられています。日本の個人情報保護法における「個人情報」とEU個人データ保護指令の「個人データ」の定義規定の文字面だけを比較して、ほぼ同じ内容であると整理する文献がありますが、それはあまりに乱暴で平板な解釈と言わざるを得ません。EUにおける憲法レベルの人権規定と直結している個人データ概念と、その保護に関する義務規定、そして日本における法律レベルの行政の取り締まり条項にすぎない個人情報概念とその保護に関する義務規定は、それらを単純に並べて比較すること自体が無理でしょう。

鈴木:また個人データの利活用の必要性から、その保護が後退するような安易な解釈は許されません。単純なビジネス上の理由だけで、人権規定である個人データの保護を緩めるような要請はことごとくはねつけられてしまいます。人権規定に対峙できるのは人権だけです。プライバシーの権利に対して、表現の自由のように、人権vs人権においてはじめて両者を調整する法理が問われることになるわけです。

グーグル社のストリートビューにもEUは当初厳しい姿勢で臨みました。人権規定とそれを具体化した法、そしてそれらを支える哲学がありますから、当然ながら、EUには力強く明確な意思がありました。イノベーションを阻害するというような、実証性のないアバウトな反論などに揺らぐところはありません。実際グーグル社はEUに全精力を注ぎ対応したそうです。また、EU加盟各国には、インフォメーション・コミッショナーという官民の個人データの取り扱いを監視する独立した機関があります。交渉相手も明確ですし、相応の権限も持っています。ですから「どこと交渉すればよいか」ということが明確なのですね。

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津田大介
ジャーナリスト/メディア・アクティビスト。1973年生まれ。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース非常勤講師。一般社団法人インターネットユーザー協会代表理事。J-WAVE『JAM THE WORLD』火曜日ナビゲーター。IT・ネットサービスやネットカルチャー、ネットジャーナリズム、著作権問題、コンテンツビジネス論などを専門分野に執筆活動を行う。ネットニュースメディア「ナタリー」の設立・運営にも携わる。主な著書に『Twitter社会論』(洋泉社)、『未来型サバイバル音楽論』(中央公論新社)など。

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