甲野善紀
@shouseikan

「わからない」という断念から新しい生き方を生み出していく

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田口慎也氏から甲野善紀氏への手紙>

甲野善紀先生

今回は、前回のお手紙のなかで甲野先生が触れてくださった私の文章を掲載させていただきたいと思います。前々回、4月2日配信分の甲野先生のお手紙の内容に関して私が考えたことを文章化したものです。甲野先生が仰る「お互いが相手を必要としている完全共生関係」ということについて、今まで書かせていただいたことと絡めて、私見を述べさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

前々回の甲野先生からのお手紙を拝読し、私が改めて思いましたのは、どうしても人間には「ひとつになりたい」「自分と同じにしてしまいたい」「異なるものを統一してしまいたい」といった、強力な「一への欲望」のようなものがあり、それが様々な問題を引き起こすということです。

これは他の動物にはないものでしょう。科学技術の発展と乱用などももちろん絡んできますが、それ以上にまず、こうした人間の抑えきれない「一への欲望」により、人間は甲野先生が仰る意味での「完全共生関係」というものを築き上げることができないのではないかと思うのです。「お互いのあいだにある断絶を、断絶のまま抱え込んで、それでも生きる」ということを人間が行うことがいかに難しいかということです。この場合の「お互い」には、もちろん人間だけではなく他の動植物なども含まれます。そうした自分以外の存在との断絶をそのままにできない、その断絶に耐えられないということが、人間が持つ深い業であると思うのです。

これは環境問題だけでなく、グローバル化に対して各地域の固有性や特殊性をいかに保護するかという問題などにも通じている問題であると思います。また同時に、以前書かせていただいた宗教原理主義と安易な宗教多元主義の問題もまた、この「一への欲望」という問題が顕れている例だと考えられます。

ある信仰を持った時点で、他の宗教・宗派を信仰する人間とは絶対に相いれない部分、絶対的な溝が生じる可能性がある。その各宗教の間に存在する決定的な断絶を安易に消すことなく受け入れたうえで、それでも対話が行えるかどうかという問題です。その点を理解した上での対話を行っていらっしゃる方ももちろん存在すると思いますが、自分の信仰は持ち続け、なおかつ身近に存在する自分と異なる信仰を持つ人間を尊重するというのは、もの凄く難しいことだと思います。であるからこそ、人は原理主義的で排他的な信仰に傾くか、十把一絡げにして皆根本的には同じであるという安易な宗教多元主義に向かうのではないでしょうか。

 

本当に信仰に目覚めた人間の覚悟

ここで私が難しいと思いますのは、人は「本当に救われた」という確信を得たとき、他の人々に伝え、他の人々をも救う行動を取らざるを得ない存在でもあるということです。

パウロは「コリント人への手紙 1:9章19-23節」のなかで、以下のように述べています。

「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです」

これが本当に信仰に目覚めた人間の覚悟というものなのではないでしょうか。この文章を目にしたとき、私は慄然としました。本当に信仰に目覚めてしまえば、その人間はその教えを他者に伝え、他者を救うという行動に向かわざるをえない。已むに已まれずそのような行動を行うのです。そして彼の教えに触れて劇的に人生が変わり、救われる人間もまた、存在するでしょう。

しかし、たとえそこに「救い」が生じたとしても、他者の思想や信仰に介入し、それを半ば強制的に変更しているという事実には変わりがありません。「怪しげな新興宗教ではないのだからよいではないか」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、パウロが布教して歩いた当時は、イエスの教えは新興宗教以外の何ものでもなかったはずです。イエスの教えが世界宗教にまで発展した後、時間が経過した後でないと、その宗教が「健全」なものかどうか、判断できないのです。

そしてもちろん、それが健全な教えなのかどうか、そもそもただひとつの正しい教えが存在するかどうかも、本当のところは誰にもわかりません。たとえパウロがイエスの教えを真実絶対なものと確信し、それによって人生が変わり、そのパウロの話を聞いて多くの人間が劇的な回心を遂げたとしても、その教えが「唯一無二の正しい教え」であるという根拠は、信仰の外にいる人間から見れば、どこにもないのです。

しかしそれでも、パウロのような人間は自らの教えを広めずにはいられないのでしょう。他者の思想や信仰を尊びながら、なおかつ、自らの信じる教えを他者に説き続けること。この2つを両立させることは、可能なのでしょうか?

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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