石田衣良ブックトーク『小説家と過ごす日曜日』より

ショートショート「金曜夜、彼女のジョブ」

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今回は自分自身よりも、すこしだけおおきな欲望をもった女の子がテーマです。

このメルマガ初のエロティックなショートショートでもあります。ぼくは小説でベッドシーンを書くのが好きなのだけど、どうも誤解している人がいるみたい。編集者の意向で無理やり書かされているとか、アイディアに困ってエロに逃げているとかね。そういう人は必ず一段エロスを低く見ています。

ぼくはデビュー当時からベッドシーンを書くのが好きで、胸を張って毎回異なる形になるように創意工夫してていねいに書いてきました。人を殺す話よりも、人を産みだす話のほうが断然素晴らしいと、本気で思っているんだけど、みんなはそうでもないのかなあ。

もっと小説の世界にエロスがあふれると、日本人も幸福になるのにね。

ではでは、色っぽくも悲しい短篇をお読みください。
──────────

午後5時ちょうどに目の前のパイロットランプが消えた。高岡朋子が働いているコールセンターの一室には32名の女性テレフォンオペレーターがいる。

「お疲れさまでした」「お疲れ」「はあ、やっと一週間が終わった」

あちこちで女性たちの声が響いた。みな仕事で電話をかけるときのとり澄ました声ではなく、自分の地声に戻っている。同僚と一緒に朋子は席を立ち、ロッカールームに向かった。襟に薄いピンクのラインが入った妙にサイズがおおきいカバーオールが制服だ。自分のロッカーに上着をかけていると、隣の席の高橋幸枝が声をかけてきた。席順はあいうえお順である。

「花金だし、今夜トモもごはん食べにいかない。橋本さんのグループに誘われてるんだけど」

朋子は微笑んですこし困り顔をつくった。

「ごめん、今日は先約があるんだ。また、今度ね」

「トモはいつも金曜の夜は忙しいよね。彼とそんなにラブラブなんだ」

なにをするのか、幸枝には話したことはなかった。当てずっぽうでいっているのだろうが、そう遠くはない。

「じゃあ、また来週」

朋子は黒い大振りなダッフルバッグを肩からさげて、会社を離れた。そこは千葉市の郊外にあり、東京都心までは小一時間ほどかかった。電車のなかでメールを打つ。

「エリカです。今夜8時よろしくお願いします」

新宿駅に着くと、駅ビルのなかのうどん専門店で釜揚げを半分だけ腹に入れた。夜の前はあまり食べ過ぎないほうがいい。デパートに移動して、3階までエスカレーターを使った。海外の高級ブランドが集められたフロアで、トイレも広々して専用の化粧台も備えつけられている。

朋子は個室のなかで、地味な通勤着を脱いだ。壁のハンガーには濃紺のチュールドレスがさがっている。袖の部分とスカートのうえに透明な包装紙のようにかかるオーガンジーには白い水玉が規則正しく散っている。朋子の給料ではとても手が出せないような高級品だ。

ドレスに着替え個室を出ると、朋子は化粧台に向かった。このトイレには6人分あったが、金曜日の夜はいつでも埋まっている。

会社用のナチュラルメイクを、夜のエリカの顔に色濃くくまどっていく。リップグロスを一段赤く塗り直し完成だ。通勤用のスニーカーをイタリア製の黒いエナメルのパンプスに履き替える。

腕時計を見た。約束の時間まで、あと20分。朋子は黒いバッグを肩に、人出の減った閉店間際のデパートのなかをゆっくりと散歩した。スマートフォンが振動する。山上のメールだ。

「今、高田馬場です。時間よりすこし早く着きそう」

「わかりました。わたしは10分前にいっています」

朋子は濃紺のチュールドレスで新宿のデパートの正面入口に立った。金曜日の夜、街はカップルや飲み会に向かう会社員で賑わっていた。自分はこれから人にはいえないようなことをする。……
<この続きは石田衣良ブックトーク「小説家と過ごす日曜日」Vol.005(2015年9月11日)をご購読ください!>

 

石田衣良ブックトーク『小説家と過ごす日曜日』

Vol.005(2015年9月11日)目次

00 PICK UP「不倫がばれてから食生活がひどいです」
01 ショートショート「金曜夜、彼女のジョブ」
02 イラとマコトのダブルA面エッセイ〈5〉
03 “しくじり美女”たちのためになる夜話
04 IRA'S ワイドショーたっぷりコメンテーター
05 恋と仕事と社会のQ&A
06 IRA'S ブックレビュー
07 編集後記

kinei大好きな本の世界を広げる新しいフィールドはないか?
この数年間ずっと考え、探し続けてきました。
今、ここにようやく新しい「なにか」が見つかりました。
本と創作の話、時代や社会の問題、恋や性の謎、プライベートの親密な相談……
ぼくがおもしろいと感じるすべてを投げこめるネットの個人誌です。
小説ありエッセイありトークありおまけに動画も配信する
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石田衣良
1960年、東京都生まれ。 ‘84年成蹊大学卒業後、広告制作会社勤務を経て、フリーのコピーライターとして活躍。 ‘97年「池袋ウエストゲートパーク」で、第36回オール読物推理小説新人賞を受賞し作家デビュー。 ‘03年「4TEENフォーティーン」で第129回直木賞受賞。 ‘06年「眠れぬ真珠」で第13回島清恋愛文学賞受賞。 ‘13年「北斗 ある殺人者の回心」で第8回中央公論文芸賞受賞。 「アキハバラ@DEEP」「美丘」など著書多数。 最新刊「オネスティ」(集英社) 公式サイト http://ishidaira.com/

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