「これはあなたがたのためにやっていることです」と恩着せがましく言われるが、「プライバシー保護」によって我々が恩恵を受け、何かから守られるという話は、一向にピンと来ない。面倒なだけで、我々には何のメリットもないんじゃないか。
少なくとも、プライバシーや個人情報の保護を強化することは、生活の利便性を損なっていると私は思う。
例えば銀行口座ひとつ開設するにしても、その手続きは以前よりも確実に煩雑になった。最近、喫茶店を開業することになった私は、法人名義の口座を開設するときに踏まなければいけない煩雑な手続きに辟易とさせられた。
いわゆる「反社会的勢力」の人達にマネーロンダリング用の口座を作らせない、ということもあるだろうけれど、こちらからすれば「俺が反社会的かどうかぐらい、ちょっと見たら判断できるだろう」と思ってしまう。
あるいは、昔に比べて「ある種の調べ物」が難しくなった。インターネットが普及することによって、一見、検索すればあらゆることを調べられるようになったように見えるが、実際には、本当に知りたい情報にはアクセスしづらくなっている。昔だったら、しかるべきところに行けば手に入った情報が、肝心なところになると「それは個人情報なのでダメです」と断られるようになった。
こういうことが「個人のプライバシーを守る」という建前のもと、この社会に起きている変化だと私は考えている。つまり、「個人情報の保護」や「個人のプライバシーを守る」という類の話は、単にグーグルやワイドショーが訴訟リスクを最小化しているということに留まらず、「情報の主導権争い」という文脈の中に位置づけられるべき問題だということだ。
本来、我々がアクセスできるはずの情報が、個人情報の保護という名目によって「守られ」、我々の目から隠されてしまう。「顔や声にモザイクをかけたところで、友人知人には丸わかりだ」という、一見他愛もない今回の小田嶋さんの話の裏側には、「プライバシー」をアリバイにした情報隠蔽がある。
私は何も「すべての情報を開示せよ」と言いたいわけではない。何かというと「あなたがた市民のプライバシー保護のためです」という建前のもと、コソコソと情報を隠そうとする態度が気に食わないのだ。隠したいなら「我々は情報開示をしたくありません」と言えよと思う。
プライバシー保護が話題となるようになった大きなきっかけは、インターネットの普及だろう。ネット上で個人情報をどう守ればよいかという話から、あらゆる領域における個人情報が「守るべきもの」としてガードされるようになった。
しかしそもそも、インターネットにおける個人情報というのは構造的に「だだ漏れ」なのだと私は考えている。いくらセキュリティをかけたところで、ハッカーと呼ばれるような、コンピューターリテラシーがずば抜けて高い人にとっては、昔も今も、ネット上の個人情報は筒抜け同然だ。クレジットカード情報をはじめ、もっとも高度なセキュリティで守られているはずの情報は、毎年のように流出している。
いくらモザイクをかけても知り合いが見れば一目瞭然なのと同じで、ネット上の個人情報など、いくら守ろうとしてもだだ漏れである。それを前提にしなければ、プライバシーや個人情報の保護の話はどこかいかがわしいものにならざるを得ない。
情報の非対称性が拡大している
私が思うに、いま起きているのは情報の非対称性が拡大していっている、ということだ。
私たちがamazonで何を買ったかということは、確かにamazonのシステム上は「個人情報の保護」の原則に従って守られているかもしれない。しかし、私たちがいつ何を買ったかということは(当然のことながら)amazonには筒抜けである。同じようにインターネットでいつ何を調べたか、ということはgoogleには筒抜けである。
こちら側(個人)が何らかの情報にアクセスしようとしても、「それは個人情報ですので」という障壁によって遮られてしまうけれど、向こう(amazonやgoogleなどのシステム側)からはすべての情報はだだ漏れになっている。
私は以前、インターネット上の消費者について「アノニマスな消費者」と書いた。顔のない消費者、ということだ。しかし実は、「向こう側」から私たちの「顔」は見えている。
この情報の非対称性の拡大こそ、我々が認識すべき問題なのだと思う。
(平川克美)
※このコンテンツは小田嶋隆のグラフィカルトーク4(2008年12月12日リリース)を基に加筆・再構成したものです。
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小田嶋隆(おだじま・たかし)プロフィール
コラムニスト。1956年、東京都北区赤羽生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、味の素ゼネラルフーヅに入社したが数ヶ月で退社。 その後小学校事務員見習い、ラジオ局AD、ロックバンド座付き作詞家、テクニカルライターなどの職を転々とする。
88年、コラム集『我が心はICにあらず』で人気を博してから、コンピュータ、テレビ、サッカーから学歴社会、憲法9条、資本主義まで、大小の事象に対し独自の極辛批評を展開。
現代社会への意地悪な視点と容赦ない分析力、それを爆笑とともに表現する圧倒的筆力で幅広い層の支持を集めている。
『ポエムに万歳』
『場末の文体論』
平川克美(ひらかわ・かつみ)
1950年、東京都生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、渋谷区道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを設立。1999年シリコンバレーのBusiness Cafe Inc.の設立に参加。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。著書に『反戦略的ビジネスのすすめ』 (洋泉社→『ビジネスに「戦略」なんていらない』洋泉社新書y)、『株式会社という病 』 (NTT出版)、『経済成長という病』(講談社現代新書)、『移行期的混乱 経済成長神話の終わり』(筑摩書房)などがある。小学生時代からの友人、内田樹氏との共著に『東京ファイティングキッズ』(柏書房→朝日文庫)、『東京ファイティングキッズ・リターン 悪い兄たちが帰ってきた』(バジリコ →文春文庫)がある。
『移行期的混乱』
『小商いのすすめ』
『俺に似たひと』
『「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)』
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