「裏歴史」としての架空年表
『赫獣』はざっくり言えば、ある山中に、人間の数倍の大きさを持った怪物が出現し、警察官や民間人たちが多数の犠牲を出しながらもそれと戦う話である。怪物は犬の姿に見え、猪と言う者もいるが、猿だという目撃談もある。しかしそれらはすべて怪物の本体ではなかった。
舞台となるのは我々の住むこの日本であり、誰もそれ以前に怪物と遭遇したことなどない。つまり「怪獣が初めて出る世界」だ。
この小説は、ある軍事計画に関わった人物の私信から始まる。物語に登場する怪物の正体につながるものが既にそこに書かれてある。
1954年、合衆国ヒューストンにある陸軍科学研究所に、西ドイツの元ナチス先端兵器部にいた博士から赤い黴が持ち込まれ、研究培養されていた。
1956年に同実験科学研究所に死傷者不明の「事故」が発生、海兵隊・陸軍防疫班により火炎放射器による「施設内処理」が施され、研究所は爆破、博士は解任される。
だが1961年に旧陸軍実験科学研究所が対ソ右派勢力によって再建。国防総省直属の機関「合衆国生物兵器開発情報部」となる。以後十年の間に不慮の事故が多発、科学者や護衛の兵士のうち42名が殉職。
1972年には研究主幹となる博士が謎の死を遂げ、一時凍結されるが、1983年、大統領による実験再開、実戦配備の命令が密かに下され、実験場は本国ではなく「反共衛星国」へ移すことになった。かくして、「赤い黴」は日本の佐世保に持ち込まれたのである。
生物兵器として作られた胞子は、寄生した宿主を操り殺戮を繰り返す怪物となることが、やがて明かされる。怪物の被害はやがて、完全武装の小隊を殲滅できるまでに増大する。
劇中世界の表舞台から隠されていた架空の年表は、「怪獣が初めて出る世界」においても、既にその伏線が何年も前から貼られていたことを示す。
こうした設定の仕方は、ハリウッド版『ゴジラGODZILLA』においても登場する。一般人が全く知らない計画として、ゴジラは一部の人間たちに研究されてきた存在なのだ。
そして『赫獣』でもハリウッド版『ゴジラGODZILLA』でも、架空年表の起点となる年号は「1954」。
この年は、東宝の「初代ゴジラ」こと第一作の『ゴジラ』(本多猪四郎監督)が公開された年であり、またその発想のきっかけの一つとなった第五福竜丸事件の起きた年でもあった。
第五福竜丸事件の時に、被爆国たる日本の民衆から噴き上がった核実験への抵抗は、皮肉にも、アメリカとの密約によって「核の平和利用」としての原発を推進する原動力にもなっていく。
『赫獣』の冒頭で掲げられる、ナチスドイツから運ばれた生体軍事兵器という発想は、『ゴジラ』第一作を生んだ本多猪四郎監督ら東宝のスタッフが、その11年後に作った映画『フランケンシュタイン対地底怪獣』を直接的な起源とするものだと僕は思った。
『フランケンシュタイン対地底怪獣』は、公開された1965年の時点からさかのぼること20年近く前の、ベルリン陥落の晩から始まる映画である。
この時、ドイツから日本の広島に持ち込まれた「絶対に死なない兵隊を作る細胞」の心臓部は、おりしも戦争自体の終結のきっかけとなった原子爆弾の炸裂によって霧散解消する。
しかし放射能を浴びて成長が促進された細胞は、焼跡の浮浪児に似た姿として戦後出現し、人間の身長をはるかに超えた怪人となる。
ドイツから運ばれた心臓は「フランケンシュタインの心臓」であり、成長した怪人が、山中で対決することになる地底怪獣「バラゴン」は、当初の企画では「ゴジラ」であった。
フランケンシュタインとゴジラという、西洋と日本の代表的なモンスターが対決することの背景に、現実の戦争による科学の発展をからめた裏歴史的な架空の年表が存在する。
「あるかもしれなかったもう一つの歴史」は怪獣映画を起動する際、重要な要素だ。
たとえばハリウッド版『ゴジラGODZILLA』は「怪獣が初めて出る世界」だから、当然ゴジラやラドン、キングギドラといった、昭和の時代から我々が映画で知っている怪獣キャラクターは、劇中のフィクションとしても存在していない。
1954年から始まるゴジラ映画の歴史は存在しない代わりに、その世界では現実のゴジラがいて、既にそれは裏歴史には書かれていた存在だったことが明かされる。怪獣好きとしては、こんなにワクワクすることがあるだろうか。
ハリウッド版『ゴジラGODZILLA』でも、『赫獣』でも、怪物事件の初期は別件として処理しようとする公的機関のありようが描かれる。「重要な任務は事件を埋もれさせること」という『赫獣』での通達はそれを象徴している。

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