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岩崎夏海の競争考(その16)正しい正しさの持ち方
「正しい正しさ」と「誤った正しさ」
自然と怒れるようになるためには、「正しさ」という価値観が必要だ。ただし、「正しさ」には「正しい正しさ」と「誤った正しさ」があり、「誤った正しさ」を持ってしまうと、道を大きく踏み外すきっかけになる。例えばヒトラーなどは、「ユダヤ人は悪である」という「誤った正しさ」を持ち、それを基盤にした怒りを暴走させ、この世に大変な厄災をもたらした。「誤った正しさ」には、そういう重大な危険性が宿っているのである。
「誤った正しさ」があまりにも危険なために、第二次大戦後しばらく(なんとおよそ50年!)は、「正しさ」という概念そのものが否定されていた。「この世に正しいも正しくないもない。価値観は人それぞれ」という相対的なものの見方が流行したのだ。
これは、「誤った正しさ」が暴走すると危険性が高いので、それならいっそ「正しい正しさ」も含め、「正しさ」という価値観そのものを捨ててしまおう――という考え方だ。そうすれば、とりあえず「誤った正しさ」が暴走して世の中に厄災を招く危険性は減る。
しかしながら、これには「正しい正しさ」までをも葬り去ってしまうという副作用があり、そこでは「ものごとの本質に肉薄できない」という弊害が生まれた。この「競争考」では、21世紀に現出した世知辛い競争社会でいかに生き残っていくかということについて論じており、それには競争に勝つことが不可欠なのだけれども、厳しい競争に勝つためには、どうしても本質に肉薄する必要が出てくる。だから、「正しさ」という概念も今一度、取り戻す必要性が出てくるのだ。
ただし、くり返しになるが「誤った正しさ」を持ってしまうと本当に危険なので、ここでは、それを回避しつつ、「正しい正しさ」を持つ――ということの道筋について考えていきたい。これだと、もちろんその危険性を完全にぬぐえるわけでないが、かなりの確立で避けることができるのである。