平川克美×小田嶋隆「復路の哲学」対談 第1回

「高倉健の死」で日本が失ったもの

失われつつある大人像

187A1494sm小田嶋:今、規範という表現をされましたが、平川さんがこの本で問題にされているのは、単純に社会から大人がいなくなったというよりも、社会全体から「大人なるもの」というイメージや「社会が安定的に営まれるためには大人が必要だ」という意識が失われつつある、ということですよね。

平川:今の価値観だと、人間というのは歳を取れば取るほど醜くなって、価値が失われるということになっていますよね。そのことは特に女性に顕著で、20代の沢尻エリカなんかが「最近老けたね」「もうババアだね」なんて言われちゃったりするわけです。歳をとるということがマイナスの意味しか持たなくなっている。

小田嶋:「アンチエイジング」なんていう言葉があるくらいですからね。ハリウッド映画だと、出てくる女性の年齢はとにかく20代ばっかりなんですが、フランス映画を観ると「なんでこんなおばさんがいい女の役やってるの」って驚くことがあります。「若ければ若いほどいい」というハリウッド映画の価値観を、戦後の日本が取り込んで来た影響は大きいですよね。

平川:最近の日本映画も、若者しか登場しなくなりましたよね。日本の映画で「大人」を演じることができる俳優は、もしかすると高倉健が最後になってしまうかもしれない。

ところで、そもそもいま我々が話しているような「大人がいなくなった」という問題に対して、「なぜ大人がいないといけないんだ。そんなのいなくていいじゃないか」と考える人もいると思うんです。でも、僕はまさにそのことを問題にしているんですね。社会の中で「大人にならなければいけない」「社会には大人が必要だ」という意識が希薄になってきていることが、非常に厄介な問題を生みつつあると思うんです。

小田嶋:私はこの『復路の哲学』を拝読していて、大人というのはそもそも引き算というか、「えぐれている何か」「実体として名指すことのできない何か」としてしか表現することができないものなのかもしれないな、と感じました。

これ、孫引きだと思うので正確ではないと思うんですが、サルトルが、「価値というのは、欠けている何かだ」ということを言っています。そこにあるはずなのに何か欠けているもの、それこそが価値だということですね。例えば満月が欠けているとすれば、価値というのは月が光っているところではなく、欠けているところに宿っている。

社会から「大人なるもの」が失われてきたことによって初めて、私たちは大人の価値に気づきつつあるということかもしれない、と思うんですよ。

欠損としての大人

小田嶋:「大人がいない」ということはわかるけど、大人とは何か、どうやれば自分が大人になれるのかということはなかなかうまく言葉にできない。平川さんも『復路の哲学』の中で、「大人なるもの」の周囲を迂回するようにしながら、段々とその実像を浮かび上がらせていくような語り方をされていますが、大人って、そういうものなんですよね。

それは、例えばラーメンを食べていて、「なんかひと味足りないぞ」っていう感覚に似ています。塩なのか醤油なのか出汁なのかわからないけど、明らかに何かが足りない。でも、何が足りないのかはわからない。

187A1551sm平川:わかる。カレーでもあるね、そういうの(笑)。

小田嶋:ありますね。明らかに何かが足りない。足りないんだけど、何が足りないのかわからない。ダメなことだけはわかるんだけど、どうすればよくなるのかはわからない。『復路の哲学』を拝読していて、大人って、そういうものじゃないかと思ったんです。

平川:すばらしい喩えだね。

小田嶋:私自身、「お前は大人なのか」と問われたら、話にならないくらいダメなことは、はっきりとわかっている。でも「じゃあ、お前が大人になれよ」と言われると、そう簡単ではない。ラーメンの味でいうと、これとこれを何グラムいれて、こうすればこの味が出ますよ、というほど簡単なものじゃないんです。味覚というのは、非常に複雑な感覚ですからね。

平川:「コク」って具体的に何なのかわからないけど、コクがない料理がダメだってことは誰でもわかりますからね。

小田嶋:安い日本酒とか、飲んでいて悲しい気持ちになりますよね。カレーでも、作った日より翌日のほうが、なんとなくいい味になったりしますよね。

平川:あれはたぶん、放置しているうちにいろんなゴミが混じって美味くなるんだと思いますよ(笑)。

小田嶋:でも、 1日目と2日目で何が具体的にどう変わってるのかはわからないけれど、2日目のほうが明らかにいい。そういう変化って、人間でもあると思うんですよ。

 

「アンチエイジング」なんて馬鹿げている

平川:それはつまり、「エイジング」ということだよね。

小田嶋:そうなんです、エイジングです。一晩寝かせて美味しいカレーが完成するのと同じで、エイジングがなければ、人はいくら学んだり、スキルを上げたりしても、大人になれない、ということだと思うんです。だから、アンチエイジングなんておかしな話だと思うんですよ。

 

1 2 3

その他の記事

終わらない「レオパレス騒動」の着地点はどこにあるのか(やまもといちろう)
ゆとり世代がブラック企業を育んだ(岩崎夏海)
『声の文化と文字の文化』ウォルター・オング著(森田真生)
「脳内の呪い」を断ち切るには(西條剛央)
週刊金融日記 第315号【恋愛工学を学んだ者たちが世界中で活躍している、外交工学で金正恩がノーベル平和賞最有力候補へ他】(藤沢数希)
技術はなんのために使うべきなのか(西田宗千佳)
ピダハンとの衝撃の出会い(甲野善紀)
実態は魑魅魍魎、美味しいと正しいの間に揺れる飲食業界(高城剛)
コロナ禍以前には戻らない生活様式と文化(高城剛)
あらためて「アメリカ放題」を解説する(西田宗千佳)
何とかなった日韓GSOMIA「パーフェクトゲーム」の苦難(やまもといちろう)
声で原稿を書くこと・実践編(西田宗千佳)
こ、これは「スマート」なのか? スマートカメラ「IPC-T3710-Q3」が割とやべえ(小寺信良)
生き残るための選択肢を増やそう(前編)(家入一真)
「iPhoneの発売日に行列ができました」がトップニュースになる理由(西田宗千佳)

ページのトップへ