甲野善紀
@shouseikan

対話・狭霧の彼方に--甲野善紀×田口慎也往復書簡集(17)

ピダハンから考える信仰における「ほんとう」について

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田口慎也氏から甲野善紀氏への手紙>

甲野善紀先生

お手紙をお送りいただき、ありがとうございました。

ピダハンについては、以前言語学関連の文献で読んだ記憶がありました。ただ、それはあくまで「普遍文法」に関連する話題として、すなわち言語の生得性や普遍性に関連する話題として読んだだけであり、文明や信仰と絡めてピダハンについて調べたり考えたりしたことはありませんでした。今回『ピダハン』を読み、ピダハンの人々の生活に関する記述を読みながら、あらためて言語と文化や人間の能力の関係について、そして信仰について考えました。

まず、ピダハンの人々が使用する言語の特殊性と、彼ら特有の文化との関係性について私見を述べさせていただきます。

言語が我々の思考や文化に影響を与えるか否か、与えるとすればどの程度の影響なのかといったことについては、古くから様々な議論があります。この問題は、いまだに完全には決着していません。しかし、ピダハンの人々の文化の特徴と、彼らの言語の特徴が、相互に影響を与えているということはおそらく事実だと思います。

文化が先が、言語が先か、はっきりとはわからない点もあるのですが、彼らの使用する言語と、彼らの文化との間には密接な関係があること自体は事実であると思います。実際、言語の獲得によって、我々が本来持つ感覚や能力に変化が起こるという事実が指摘されています。

たとえばピダハンの人々は、「左右」のような表現は使用せずに「その場の地形を元に区別する」表現を使用するといいます。左右などの「話し手の視点を中心として決定される表現」は相対的参照枠の表現と呼ばれ、後者のような「客観的に特定される場所」を示す表現は絶対参照枠の表現と呼ばれますが(「東西南北」なども絶対参照枠に含まれる表現です)、世界には我々日本語話者のように、両方の空間表現を使用する人々と、絶対的な空間表現のみが存在する言語を使用する人々がいます。そして、使用する言語が両方の空間表現を用いるか、それとも絶対的な空間表現を用いるかで、ヒトの空間認識能力に差が出るという研究成果があります。

 

能力が失われることがある

今井むつみ氏の『ことばと思考』では、使用する参照枠の違いが、人間の空間認識に影響を与えるか否かが議論されており、実際に影響を与えるという実験結果が示されています。たとえば、伝書鳩などが何の目印もなく最初にいた出発点の位置を特定するような、「絶対的に方向を定位する能力」を「デッド・レコニング能力」というそうですが、絶対参照枠のみを使用する言語の話者は、相対参照枠を使用する言語の話者よりもこのデッド・レコニング能力に秀でているようです。

またある心理実験では、「左右」などの相対的参照枠の表現を学習する前の子どもは、ゴリラやチンパンジーなどの他の類人猿と同様に、絶対的な方向感覚に基づいてモノの位置を判断することが示されています。すなわち、他の動物同様、ヒトの子どもは絶対的に位置を特定する能力を持っており、「左右」などの相対参照枠に従った位置の認識は、いわば言語によって後天的につくり出されたものであるということです。

また同時にこれは、「左右」などの相対的な言語表現を身に付けた結果として、本来だれもが持っている絶対的にある位置を特定する能力が退化してしまうという可能性も示唆しています。言語の獲得によって、言語獲得以前に持っていた能力が失われることがあるということです。

『ことばと思考』のなかでは数の認識に関しても興味深い指摘がなされています。人間の赤ちゃんは3以下の数しか数えることができず、それ以上の数は「大まかな量」として認識するそうです。たとえば4個と5個のクッキーの違いを赤ちゃんは認識することができません。そして、数を表す言葉を持たないピダハンの人々は赤ちゃんと同じような数の認識をするそうです。

ある実験で、研究者が机に棒を並べて、対面したピダハンの人がそれと同じ数の電池を並べるという課題を行ったところ、1本から3本まではほとんど100パーセントの確率で正解だったのに対して、棒の数が9本から10本になると正解率が0パーセントになってしまったそうです。すなわち、大人でも数を正確に表す言語を使用しなければ、4以上の数を正確に認識することができずに、赤ちゃんと同じように大まかに捉えることしかできなくなるということです。またこれに関する事実として、ハトやネズミ、チンパンジーなどの他の動物も、数を大まかに捉えて「大きい量」として理解することは可能であるという研究成果も報告されています。つまり、人間の赤ちゃんとピダハンの人々はこの点で他の動物と共通しており、この数の認識の点からも、ピダハンの人々が「言葉以前」の認識を保持しているということが言えるのではないかと思います。

このように、言語が人間の認識や能力に影響を与えるということが実際にあり、場合によってはある能力を「退化」させてしまうこともあり得るということです。

 

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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