※名越康文メールマガジン「生きるための対話(dialogue)」 Vol.097(2015年04月06日)より
私の五月病体験
入学や就職で新しい環境に身を置いた人が、5月の大型連休明けにプツッと電池が切れたような状態になり、何もやる気を失ってしまう。これを俗に「5月病」と言いますが、振り返ってみると僕も大学1年生の頃、近い状態に陥ったことがありました。
幼い頃からずっと、親から「勉強しろ」と言われ続けてきた僕は、「大学に受かれば勉強漬けの生活から解放される」と信じて受験勉強を嫌々ながらがんばりました。でも、実際医学部に入ってみると、(当たり前の話ですが)めちゃくちゃ勉強しなければいけないわけです。その覚悟ができていなかった僕は、最初の試験で3科目も落としてしまい、再試験を受けることになりました。
そして、再試験を受け、何とか進級が決まったあと、僕はそれこそコンセントが抜けてしまったかのように、長い抑うつ状態に突入することになりました。
そのとき、僕の脳裏に浮かんで来た問いが、「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」というものです。これは僕の新刊のタイトル(『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』(PHP新書))にもなったもので、僕にとっては非常に大切な問いではあるのですが、改めて考えてみると、ここにはある種の「5月病っぽさ」が非常によく現れているな、というふうにも思うんです。
ポイントは、「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いの「どうせ」という言葉にあります。この言葉には、大学の新入生や新社会人の5月病だけではなく、もっと広く、現代人すべてが陥りやすい「思考の罠」のようなものが隠れているように思うんです。
「どうせ」というくせものキーワード
「どうせ」という言葉はくせものです。
「どうせ汚れるのになぜ掃除するのか」
「どうせ腹が減るのになぜ食べるのか」
「どうせろくな人生じゃないのに、なぜがんばるのか」
……現代人の思考の中には、こんなふうに「どうせ」が蔓延しています。
なぜ僕らは「どうせ」という思考に囚われるのか。それはおそらく、僕らが常に結果を求め、目標を達成することを求められる社会に生きているからだと僕は考えます。
学校でも、会社でも、家庭でも、私たちは常日頃から「目標」や「目的」、あるいは「結果」を求められます。しかし現実には、世の中の物事は必ずしも明快な結果が出るものばかりではありません。現実は厳しく、良い結果を出すことが難しいから……ということもありますが、そもそも社会に出てから僕たちが向き合う物事は、白黒はっきりつかないものが多いのです。受験勉強のように「合格」「不合格」といったはっきりとした<結果>が目に見えるのは例外で、たいていの物事は、善悪、正誤、良い悪いの評価をはっきりとつけることは難しい。
必死に努力して手に入れた成果が、手に入れてみると良いとも悪いとも言えない、何とも手応えのないかげろうのようなしろものだと気づいたとき、僕らは「人生とは、なんと空虚なものだ」と感じてしまわざるを得ないでしょう。努力しても、悩んでも、考えても、「どうせ」最後には死んでしまう。だとすれば、何のために僕たちは生きているんだろう。
目的至上主義を突き詰めていけば、人は「どうせ……」という空虚さに突き当たらざるを得ないのです。
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