やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

「最近面白くなくなった」と言われてしまうテレビの現場から

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足掛け三年ほど、フジテレビ系「とくダネ!」のコメンテーターをやらせてもらっているのだが、とりわけウェブ界隈での「とくダネ!」人気はそれなりに高いもので、たまに地方のウェブ業界の集まりにいくと比較的「観ました」というお声をかけていただくことがあります。

しかしながら、見た目の派手さとは裏腹に、メディアに昔から携わる人達や、この方面に詳しい御仁からすると「軽い」「面白くなくなった」という容赦ないご意見をいただくことがありまして、端っことはいえ関わる身としてうーんと思ってしまうところです。

というのも、コメンテーターとしての議論は、それこそ同じ番組でコメンテーターをされておられる竹田圭吾さんの著書『コメントする力』でだいたい完結していて、おおかれ少なかれ視聴者がこういうことを聴きたがっているのだろうという読みと、そこに呼ばれているからには自分らしさと番組として言えないことを混ぜ合わせて「個性」とするわけであります。

実は、この手の情報系の番組を扱ったことは私個人としては初めてではありません。ご存知の方も多いかと思いますが、もともとは吉本興業(まだ上場していたころ)のアドバイザーとして、ガバナンスの仕事を少し触らせてもらう一方、大恩ある方から「山本君、喋り面白いから」ということで、テレビ東京系のアイドル番組「秋葉な連中」や吉本製作のテレビ番組の企画や、当時吉本が手がけていたCSファンダンゴ!のプロデュースなどもさせていただいておりました。

どちらかというと、企画と言っても局との調整やスポンサーの開拓が主であって、当時通信事業に進出していた元気だったころの東京電力「TEPCOひかり」事業でのオンライン動画配信システムや、KDDIと組んでのコンテンツサイト制作などは5年以上つかずはなれず状況を見ていましたので、そのころと比較すると確かに現在のテレビ局の制作事情は気になることが多いです。

「これがウケるだろう」という寄せ集めのネタでも、作り手の創意工夫で幾らでも面白くなる一方、お手軽なネタで手早く視聴率やターゲット層の支持は得られても簡単に真似られてしまうのがテレビの世界です。こちらも並びの裏番組が何をしているのか、どういう企画で数字を取っているのかは研究していますし、相手も同様ですから、どうしても数字が取れるとなればみな似たような番組作りになってしまうのは仕方のないことなのかもしれません。

最近はやはりネットで話題のものからネタを拾っていって、テレビで落とし込みやすいものを繋ぎ合わせてコーナーにするのが流行です。NHKでの仕事は、もう少し底流の、ネットが云々では左右されないような企画を追うことが多いのですが、でもなんだかんだでネットの反響に引っ張られますし、ネットウケする番組作りを意識せざるを得ません。

それだけ、オルタナティブな世界であるネットの影響力がテレビ製作の現場に影を落としているということでもあり、また、お金をかけて映像を作っている側がネットで出回る以上のクオリティで製作し続けない限り視聴者は本気で離れていってしまいます。だからこそ、ネタもネットで拾うし、ライブ感のある映像を用意したいという話になるわけですが、ここで一番の障害は「作り手がテレビしか観て来なかった場合」です。

やはり、局の編成だけでなく、各番組のコーナーの数字を横で見ていて、もう誰もが分かっていることは「視聴者はテレビ『局』のブランドではなくて『観たい番組を観る』習慣の問題になっている」ということです。すなわち、あるテレビ画面でTOKIOが出ていようが爆笑問題が出ていようがそれはキャストの強弱と受け入れられる裾野の問題でしかなく、過剰に提供すれば飽和して数字は下がるし、局を跨いでもさほど取れる数字は変わらないということでもあります。同じような企画、同じようなキャストであれば、統計的にも同じような数字をどの局でも取れるようになるということです。

そして、Netflixが日本に上陸して、とりあえず日本法人が立ち上がりました。私どもは、あくまでコンテンツを供給したり、吟味する際のお手伝いをする程度の関わりでしかないので深いNetflixの戦略云々を語れる立場にはないのですが、ただひとついえることはテレビ局はネット時代の環境変化に適応したものの、テレビの画面に映るキャストの選定のところだけが前近代的で、視聴者のニーズにあっていないどころか、局の事情や事務所の力関係で使う使わないが決まる閉鎖的なコミュニティで決定されていることばかりだ、ということです。

平たい話が、局が当たったドラマの映画化をして、ドラマのキャストの予定を押さえて局の他番組内で宣伝をやります。今までは、局がある程度ブランドであり、その局がやっているドラマなら観るという層が一定以上いたので動員に効率よく貢献してきたので定着した手法です。

ところが、Netflixのモデルになると、テレビ局の並びで映画の宣伝をするのは本当にそのコンテンツの視聴者のロイヤリティを拡大する機能を果たしているのか、という議論になります。ひょっとすると、その局が手がけたドラマが持っている数字を因数分解するとこのキャストでないほうが良かったのではないか、テレビ局の都合で決まったキャストのお陰で「当たったは当たったけど、他のキャストならばもっと当たったのではないか」という議論になります。

例えば、フジテレビ系で展開した『海街diary』は確かにヒットしましたが、局だけでなく業界全体としても「この監督、このキャストで当たらなければしゃれにならないだろう」と考えて投入した作品です。しかし、興行収入全体でいうならば、ヲタ向けど真ん中の『ラブライブ』に惨敗。カテゴリーが違うのでポートフォリオで考えれば成功とも言える『海街diary』でも、同一カテゴリーの邦画・興行収入という観点だけで見ると移動平均は例年のヒット作より大きく下回りかねない情勢です。日本の業界としては成功の部類でも、Netflix的な観点から言えば「もう少しやりようがあったのではないか」「もっと数字が取れる施策はなかったのか」という問題意識を持たざるを得なくなるわけです。

これはフジテレビが悪いというよりは、作り方のジョブフローの問題です。通常の番組もスポーツの特番もドラマも邦画も、ネット時代に敏感な仕事の進め方への移行は成功したものの、視聴者や映画館来場者、DVDボックスを買う人などエンドユーザーの払うお金、使う時間の最大化という観点からするとできることが大量に残されている分野でもあるということです。

日本語圏は、英語圏に比べれば当然ながら圧倒的に市場が小さいため、日本市場だけで回せるサイズで業務が最適化されてきたという歴史があるのは良く分かります。芸能事務所がテレビ局べったりでローテーションを組むように売り出したい俳優や芸人の駒を回すのは、保守的に手堅く当てて大怪我をしないようにするための方法論のひとつであることは言うまでもありません。

しかしながら、大規模な製作委員会を組み、エンドユーザーの情報を大量に集めて属性分析を元にコンテンツ企画をする欧米系のコンテンツネットワークの立場からすると、日本の場合はもっと安い費用で多くの収益を出し長時間を稼げる方法論が手付かずのままゴロゴロしています。安く費用が上げられない理由は一部の強い事務所が高い値段でタレントを局に押し付けるからです。しかし、このタレントが期待通りの数字を上げてくれる確率は、外形的には年々下がっていることはどこの代理店だって知っている話です。

それゆえに、膨大な視聴率データを元に多変量解析をやると、業界が閉鎖的であるがゆえに見落とされてきた、または気づいているけどしがらみがあってできなかったアプローチは多数見つかります。テレビが面白くなくなったと解される理由のひとつは、業界の慣例に従って定番となっている面白さを似たキャストで繰り返し行っているからであって、そこの井戸が干上がっているに過ぎません。

そういう視聴者をこぼしていった結果が、フロスのようなYoutuber、ニコ生の市場の成長であったり、ゲームアプリなど別の消費財への移行によって獲得できるはずの時間を喪失させ、退廃的になっていっているのは間違いないと思います。そして、今後テレビ局界隈はいま以上にお金を制作費にかけられなくなっていく中で、さらなる環境の変化に対応していかなければならないのです。

単純にタレントのギャラを下げるというのも解決策のひとつですが、何よりも大事なことは数字を持っているタレントを作る・仕掛けること、それに見合う世界観を構築して、ファンとなる視聴者のロイヤリティを確保して長い時間愛されるコンテンツを育成することに他なりません。いまだSFファンの年寄りが「スターウォーズ」に熱狂したり、子供のころに慣れ親しんだ音楽は歳をとっても財布の紐を緩める原因になるのと同様、何よりもテレビが誰と向き合い、その人の思い込み・思い入れの何にひっかけられているのかを良く考えるべきだろうと思います。

 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路

Vol.133<テレビ業界が抱える問題の核心に迫りつつApple WatchやFacebookのことも少しだけ考えてみる回>

2015年7月16日発行号
目次
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【0. 序文】「最近面白くなくなった」と言われてしまうテレビの現場から
【1. インシデント1】ウェアラブルデバイス戦線異状なし?
【2. インシデント2】最近の動向などからFacebookの思惑を考えてみる
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 

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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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