世界的な作家に通じる「日常の労働」を描く描写力
内田 それから世界性を持つ文学では、どれも「労働」というのがすごく重要なトピックスになっていると思うんだ。主人公というのは「労働する人」なんだよ。「ものを書く」のも、やっぱり「労働」なんだよ。
だから、村上春樹の場合は、ものを書くということを「穴を掘る」というメタファーで捉えているんだと思う。働くだけなら、「家を建てる」でも「陶器を焼く」でも「パンを焼く」でも、どんなメタファーでもいいはずなんだけど、村上春樹は徹底的に「穴を掘る」というメタファーにこだわる。
毎日、ノミを持って固い岩盤をガンガン叩いていく。そのうちに冷気が感じられて、岩盤の向こうの方から水音が聞こえてきて、ある日最後の一撃が地下水脈に通じて、そこから水が噴き出してくる・・・。これが村上春樹が文学的営為について繰り返し用いるメタファーなんだけど、同じメタファーに対するこの異常なこだわりに僕は興味がある。だって、若い頃からこのメタファーしか使わないんだぜ。この比喩はたぶん村上春樹の身体実感と合っていたからだと思う。
ノミで固い岩盤をコンコンコンコン叩き続ける。作業自体は平凡で、ルーティンなんだけど、働く本人はそれが別に退屈なわけじゃないんだ。真の作家というのは、そういうものだと思う。ルーティン好きなんだよ。毎日同じ時間に、同じように机に向かってこつこつ働く。
僕はアルベール・カミュの小説が大好きなんだけど、理由の一つはカミュの描くところの「人がものを作っている場面」が大好きなんだ。
本当に細部にわたって、労働の具体的な手順を書くんだ。アルベール・カミュの遺作になった自伝的小説『最初の人間』の中に、少年アルベール・カミュが叔父さんの努めている樽工場を訪ねる場面がある。叔父さんたち職人が達が樽を作っている描写が長々と続くんだけれど、読んでいるうちに吸い込まれてしまいそうになる。
叔父さんと狩りにゆく場面もある。朝早く起きて弁当を作るシーンから始まるんだ。電車に乗って、田舎に行って、銃の手入れをして、狩りをして、ウサギを絞めて料理にして食べて、昼寝をして帰る・・・。こういう場面って、物語の筋とはほとんど何の関係もないんだけれど、ほとんど悦楽的なんだよね。人がものを作ったり、手入れのゆき届いた道具を使って料理をしたり、猟をしたりするという描写そのものに僕は夢中になってしまうんだよ。まあ、僕だけかもしれないけど(笑)。
異業種の人たちの話を聞くのが大好きなのはそれと似ているのかも知れない。僕はほんとうに一生懸命聞くから、先方も喜んであれこれ話してくれるんだけどさ、だいたい途中で相手がハッとわれに返って、「こんな話のどこが面白いんですか?」って、よく言われる(笑)。でも、僕にとっては面白いんですよ。職人が職人芸や自分の職能について細部にわたって語るのを聴くのが。なんかドキドキしてくる。
平川 内田君はメルヴィル(アメリカの作家 代表作は『白鯨』)とかはどう思うの?
内田 メルヴィルもドキドキする。鯨を解体する場面とか、延々と続くでしょ。
たぶんメルヴィルが好きな人というのはあの鯨を解体するような技術的な描写が好きな人なんだと思うな。モビィ・ディック(小説『白鯨』に登場する白い鯨の名前)を倒すことなんか、まあどうでもいいんだよ。鯨を獲って解体して油を取るというシーンを「ページ数を稼ぐためにやっているんだろう」と思う人はわかってないよ。あそこがいいんじゃない。
ヘミングウェイも同じようなところがあると思う。先日、柴田元幸さんが神戸で朗読会をやったんだ。その時に柴田さんが読んだのが自分で訳したヘミングウェイの『ザ・キラーズ』(『殺し屋』)。これが素晴らしかったんだよね。
『ザ・キラーズ』は、殺し屋という特殊な職業の特殊なエートスと特殊な技能について書かれた短編なんだけど、柴田さんの朗読を聞いているとドキドキしてくるんだよ。それから、ジャック・ロンドン(アメリカの作家 代表作に『野生の叫び声』)の『火を熾す』も、零下60度のところでマッチを擦って火を起こすというだけの話なんだけど、どうやってマッチを擦って火を起こすかという細部の描写が延々と書かれていて、読んでいるともうドキドキするんだよね。
こういうふうな人間が全身全霊を使って行っている作業を技術的な細部にわたって書いて、読者を引き込ませるのは作家の力が一番出てくるところだと思うね。
やっぱり最初はごく凡庸な日常生活の描写なわけじゃない。それが読み進むと、あるところで、ごうごうと地下水脈の音がしてきたり、冷気が漂ってきたり、水の匂いがしてくる。そこまでゆくと、もうどんどん底の方まで引き込まれてしまう。
最初から読者は「底」に引きずりこまれるわけじゃないんだ。最初はただこつこつと岩盤をノミで叩いているだけなんだけど、そのノミで岩盤を叩き割る作業の細部を読まされているうちに、日常生活の底に突き抜けてしまうんだよ。
このなんということもない日常の労働の描写を読ませる力があるかないか、そこに一流作家と二流作家の差が出るんじゃないかな。
村上春樹がすごいのは、スパゲッティを作るところとか、アイロンをかけるところとか、芝生を刈るところとか、そういう物語の流れと関係ない細部が本当に読ませるんだよ。日常的な道具を使って日々のどうということのない労働をしている人間をものすごく魅力的に描けるということ。これが世界作家に共通する才能だと思うんだよね。
村上春樹は「比喩がうまい」わけではない!?
平川 それはたぶんその通りだと思う。今回、村上春樹の短編をいろいろと読んでみたわけだけど、やはりディティールがいいんだよね。
極端な話をすれば、短編というのは、それほど中身というかストーリーがないんですよ。場面の描写だけで終わってしまう。でもそれを読ませることはできるんだよね。『中国行きのスロウボート』なんかも、ちょっとした言葉の一つ、例えば、耳の形に視線が吸い込まれたりといった視線の置き場所、あるいは台詞のひとつひとつがものすごくうまい。「ページの余白のような佇まいだった」とかなかなか書けませんよ。
内田 実は僕はね、村上春樹のことを「比喩が上手だ」という言い方をするのは間違っていると思っているんだよ。そうじゃなくて……
……この続きは、内田樹&平川克美のメールマガジン「大人の条件」Vol.113<内田樹と平川克美の<読むラジオ>第65回 村上春樹を読む・中編>をご覧ください。
『復路の哲学 されど、語るに足る人生』
成熟するとは、若者とはまったく異なる価値観を獲得するということである。政治家、論客、タレント……「大人になれない大人」があふれる日本において、成熟した「人生の復路」を歩むために。日本人必読の一冊!!
<内田樹氏、絶賛!>
ある年齢を過ぎると、男は「自慢話」を語るものと、「遺言」を語るものに分かれる。今の平川君の言葉はどれも後続世代への「遺言」である。噓も衒いもない。
平川克美 著
2014年11月28日刊行
四六判・244ページ
定価1600円+税
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