やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

乙武洋匡さんの問題が投げかけたもの

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昨今の「週刊文春」や「週刊新潮」など、非正規軍のような雑誌による暴露が社会問題に直結して、いい意味で刺激になっていることが多いわけなんですけれども、今回身の回りで乙武洋匡さんが不倫問題を週刊新潮に暴露され、騒ぎが拡大しました。

 

メルマガ読者の方や、夜間飛行のサイトをご覧の方はご存知のとおり、乙武さんとは対談を何度かご一緒させていただき、一度だけ、お食事した関係です。ただし、彼の周辺にいる人物で共通の知り合いは多く、またお仕事でご一緒した方が旧みんなの党方面ではかなりご活躍でしたし、その際には巨額のお金を貸したの返さないのというトラブルまであって、これはこれで私個人としては良い経験をさせていただきました。

 

その意味では、乙武さん寄りでもあるんですが、一方で、私の個人的な心情、信条として、不倫は絶対にしてはならない、姦通は人間としてしないというものがあります。これは絶対です。私は家内が初めての女性でしたし、人生の砂粒の最後の一粒が落ちるまで、これを守り通すつもりです。私は家内だけを愛し、子供たち、家族を慈しむことで、人生最大の価値にしようと思っています。

 

一方で、それはあくまで私の価値観であって、他の人に対して強制するものではないとも思っています。乙武さんも、奥様やお子様に対して許されないことをしたよなあと感じながらも、彼には彼の事情があり、何らかの判断や生き様があってのことだと思うわけです。彼の俺様風のキャラクターは表向きのパブリックイメージとは大いに異なるので大炎上する理由のひとつになったのでしょうが、しかしながら、40歳になろうとする人間が問題に直面して一休みすることは、人生においてまったく意味がないかというとそういうことでもないかと思います。これが仮に、彼にスキャンダルが起きず、そのまま参議院選に立候補し、選挙戦となってトップ当選して、そのまま2018年東京都知事選挙でもあろうものなら、彼はいまの性癖のまま成功者として君臨していくことになったわけです。

 

問題を抱えたまま大きくなることとはすなわち、自己の成功と共に問題も大きくなるのは、これは昔から良く分かっていることです。やっぱり、どこかで禊をし、神の前にひざまずく時期は必要だったと思うのです。人生はそのまま一本調子で成り立つものではなく、必ず何らかのギアチェンジを伴うものだと考えれば分かりやすかろうと。

 

彼が障害者であるという聖域を取り払ってみれば、要は性欲の強い一人の人間に過ぎないとも言えます。そして、彼がマッチョであり豪腕であればあるほど、それは障害者の人たちや行政に関わる人たちが彼の世間一般のイメージとは違う何かを感じ取り、拒否反応を起こすことだって、少し関わっている人たちであればみな分かっていたと思うのです。

 

だからこそ、彼が本当の意味でひとりの社会人となり、世間を率いる人物たるかどうかを考えるにあたっては、障害者属性を性豪属性で打ち消し、生の乙武洋匡とは何であるかを知らしめる必要があって、それがこの一連のスキャンダルであったろうと感じます。やはり、メディア界隈で乙武さんが池の中に落ちたと知ったときの叩き振りを見るに、ああやはりこれがメディア界隈で情報を扱う人間の基本原理というか精神なのだなあと思うところもあります。話題にして良い、叩いても大丈夫となれば、売れる記事を作るために何だってやるわけです。で、それが人としての行いがどうのこうのという以前に、行動原理、基本原理に根ざしているものであるならば致し方がない。みな必死なのだから。

 

問題は、スキャンダルがどうなのかではなく、スキャンダルに見舞われたあとで、心を折らずに再起できるかどうかです。当然、スキャンダルを起こしたり、失脚したりすると、一時的とはいえ人心は離れていきます。それこそ、潮が引くように人がまわりからいなくなっていくものです。

 

でも、最後に残るものがあります。それは、家族と友人です。辛いときこそ最後まで信じてくれる家族、周りが離れていったとしても支援を日に影にしてくれる友人、これこそが、人が生きていくうえで最後まで残る神殿であると言えるでしょう。

 

この二年来、いろんなことがありました。それこそ、小保方晴子女史から最近のショーンKさんにいたるまで、さまざまな有名人がスキャンダルに塗れて、また生き残るか消えるかといった状態になるわけですが、どんなに重大で、人の尊厳が失われるような問題に直面したとしても、そこから回帰できる人は貴重です。大きいスキャンダルに10人が見舞われたら、9人が消えていくのが世間だとするならば、生き残るための信念と人垣がしっかりとしている人だけが生き残るチャンスがあるのでしょう。

 

やはり、神は人を見て試練を与えるのであって、今後、乙武さんがどうなるのかには興味があります。いまのうちに出せる埃は全部出しておくことで、何か浮かぶ瀬があれば彼にとってベストなのではないかと思う次第ですが、叩く側も叩かれる側も、等しく神の祝福があればいいなと祈っております。

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路

Vol.150 年度末の大繁忙にめげず、ソーシャルゲーム界隈や少子化対策日本死ね問題について元気に語る回
2016年3月31日発行号 目次
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目次

【0. 乙武洋匡さんの問題が投げかけたもの】

【1. インシデント】保育園問題は必要な人に届いているか

【2. インシデント】ソーシャルゲーム大変

【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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