※メールマガジン「小寺・西田の金曜ランチビュッフェ」2017年8月11日 Vol.138 <変化への戸惑い号>より
多くのサラリーマン諸氏は、そろそろ夏期休暇に入る頃だろう。皆さんも少し時間が取れるだろうから、今日は時間にまつわる話をしたい。
今から30年ぐらい前だろうか。僕は仕事の傍ら、アマチュアの音楽家として自分で曲を作り、打ち込みと生演奏をミックスしたライブ活動をしていた。一緒に演奏してもらう仲間に曲を聴かせるわけだが、お互い社会人なので忙しい。出演してくれるベーシストにデモトラックの入ったカセットテープを渡すため、仕事帰りのサラリーマンでごった返す千代田線西日暮里駅の、JR線との乗り換え改札で待ち合わせしていた。
少し遅れるかも、とは聞いていたが、約束の時間になっても来ない。仕方がないので、改札横の柱に持たれながら、待ちぼうけである。40〜50分ぐらいたって、ようやくごめんごめんと言って現われたので、僕はちょっと不機嫌そうな顔をして改札越しにカセットテープを渡し、じゃああとで電話で打ち合わせしよう、と言って別れた。
夜10時頃に電話してみると、まだテープを聴いてないという。じゃあ1時間後にもう一回電話するから聴いといてね、といって電話を切る。
1時間後といっても、タイマーなどがあるわけでもなく、ただひたすら「1時間後にもう一回電話」と暗記するしかないのである。風呂に入ったりテレビ見たりしながら、ひたすら1時間経つのを待つ。そうこうしているうちに忘れちゃって、向こうから電話かかってきて、今度はこっちが詫びることになる。
思えば昔は、1日のうちに何か1つの用事を終わらせようとするのは、なかなか大変だった。そんなにすぐに連絡も付かなければ、モノの受け渡しもできない。人に合わせて何かするのであれば、とにかく待ち時間が多くて、なかなかモノゴトが前に進まなかった。だけどみんな、そんなもんだと思っていたので、特に支障はなかった。若かったこともあるが、昔は潤沢に時間を使っていたように思う。
低下する、「人として」の温度
上記のようなことを今やったら、どうだろうか。デモトラックをiPadで作り、作った曲はDropboxで共有すれば、瞬時に相手に届けられる。大まかな要件はLINEなりでメッセージを送っておけばいい。話したければ、だいたいの時間を決めてグループで通話すれば、2〜3人の打ち合わせならオンラインでまとまる。
昔は単に曲を渡して打ち合わせするだけで、6時間ぐらいかかったものだが、現代であれば数10分で済むだろう。相手からの連絡待ちながら、空いてる時間は別の要件を片付けられる。こちらはいつでもオンラインなので、いつでも割り込んでもらって構わない。1時間後に連絡ということなら、スマホにアラームでも仕込んでおけば、忘れる心配もない。複数のタスクが同時並行で走っており、1日で処理できる案件は飛躍的に増えた。
人間1人の生産性という意味では、ものすごく向上したと思う。80年代と比較すれば、おそらく数倍に達するだろう。しかしその代償として、我々は相手に対する寛容性を失ったのではないだろうか。
今も昔も、待ち合わせに遅れるということはよくあることだ。昔は待ち合わせ場所で待ってる以外の方法がなく、ただひたすら時間を無駄にしていた。しょうがないヤツだ、などと言いながら待つわけだが、いつも待ち合わせに遅刻するからという理由で、疎遠になったりしなかった。
今はどうだろうか。遅れるなら連絡の1つもよこせ、というのが常識であり、連絡もないなら来ないかもしれないことを視野に入れ、じゃあアイツ抜きで先に話進めとこう、みたいなことになる。あまりにも毎度毎度遅刻が過ぎるようなら、ちょっとアイツは俺たちと一緒にやるのは難しいな、悪いヤツじゃないんだけどな、という評価になりはしないだろうか。
いつでもどこでも連絡が取れるということは、小まめに相手に対してケアしたりタッチしたりしとかないといけないといった社会のあり方に繋がる。「手段があるのに使わない」のは、こちらに対して真面目にやる気がないのか、そういうタッチする能力に欠けると見なされる。
そうした、常に誰かと繋がっている社会が辛いと考える人も、少なからずいる。だがそれらの人々は、辛いながらも仕方なくそういう社会と付き合っている。そして疲れていき、ある日突然パッタリと連絡が途絶える。だが僕らは、SNSのおかげで飛躍的に付き合う人たちの人数が増加しており、1人や2人の友だちから連絡が途絶えても、気づかない。
そういう僕も、こうしてネットでわいわいやっている間はみんなから「友だち」扱いされているが、ネットの表に出てこなくなった時点で、すぐに忘れ去られるだろう。いつしか僕らは、そうした薄く冷たい関係の中でしか生きられなくなってしまったのかもしれない。
小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ」
2017年8月11日 Vol.138 <変化への戸惑い号> 目次
01 論壇【西田】
AIへの幻想と戸惑い
02 余談【小寺】
ITによって失ったもの
03 対談【小寺】
新人研修の秘密 (3)
04 過去記事【西田】
ソニーとVAIO
05 ニュースクリップ
06 今週のおたより
07 今週のおしごと
コラムニスト小寺信良と、ジャーナリスト西田宗千佳がお送りする、業界俯瞰型メールマガジン。 家電、ガジェット、通信、放送、映像、オーディオ、IT教育など、2人が興味関心のおもむくまま縦横無尽に駆け巡り、「普通そんなこと知らないよね」という情報をお届けします。毎週金曜日12時丁度にお届け。1週ごとにメインパーソナリティを交代。 ご購読・詳細はこちらから!
その他の記事
かつて輸出大国だった日本の面影をモンブランの麓でモンブラン・ケーキに見る(高城剛) | |
Amazon(アマゾン)が踏み込む「協力金という名の取引税」という独禁領域の蹉跌(やまもといちろう) | |
「疑う力」を失った現代人(名越康文) | |
「骨伝導」のレベルが違う、「TREKZ AIR」を試す(小寺信良) | |
立憲民主党の経済政策立案が毎回「詰む」理由(やまもといちろう) | |
フランス人の「不倫」に対する価値観(石田衣良) | |
ナショナリズムの現在ーー〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来(宇野常寛) | |
冠婚葬祭に思うこと(やまもといちろう) | |
少林寺、そのセックス、カネ、スキャンダル(ふるまいよしこ) | |
米豪だけでなく日露も導入を見送る中国通信機器大手問題(やまもといちろう) | |
“美しい”は強い――本当に上達したい人のための卓球理論(下)(山中教子) | |
コロワイド買収のかっぱ寿司が無事摘発の件(やまもといちろう) | |
「残らない文化」の大切さ(西田宗千佳) | |
音声入力とAIによる「執筆革命」(高城剛) | |
「国際競争力」のために、何かを切り捨ててよいのか(やまもといちろう) |