映画『赤い玉、』のメインスチル。主人公の時田役・奥田瑛二と、美少女律子役・村上由規乃 (c)「赤い玉、」製作委員会
現在、全国順次公開中の映画『赤い玉、』。
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若い頃みたいに性欲が当たり前だというパワーで押しきれない、でもまだまだ思いはあるぜという男を、奥田瑛二が「カッコ悪く」演じて、それが女性にも人気だという。
大学で映画を教えながら、自らは新作映画を作れないでいる映画監督の時田修次(奥田瑛二)は制作のあてもないまま、脚本を書く日常を送っている。手書きの原稿を清書してくれる愛人の唯(不二子)は、時田の勤める大学の事務員でもあった。
書いている脚本が、時田自身の現実と並行して描かれ、いつしか両者の区別は曖昧になる。虚構の世界へと誘うように時田の前に現れるのは、一人の女子高生・律子(村上由規乃)。彼女はダンスを学び、武田泰淳の文学『富士』を喫茶店で一人読む、神秘的な少女。
映画を学ぶ若者たちも、いまや一人も彼の作品を見た事がない。時田は、まるで自分が映画の登場人物でもあるかのごとく、狂気に呑みこまれていくのだろうか……?
日常から少しずつズレていきながらも、焦りばかりではなく、なんとなくトボけた味もあるオフビートなグルーブ感が心地良い、不思議な映画である。
今回、この映画を手がけた高橋伴明監督にインタビューさせて頂いた。
――『赤い玉、』は、監督にとって『愛の新世界』という作品以来のエロス的な題材の映画という事で……。
高橋
はい。もう二十年ぶりぐらい。『愛の新世界』は1994年の映画だから。――『愛の新世界』はこれがデビュー作であった鈴木砂羽さん演じる主人公が、SMの女王様でありながら、小劇団のメンバーという面もあり、男に対しても奔放な面がありながら禁欲的な面もある。色んな顔を持っていて……実際の人間はそういう多面性を持っていると思うんですが……それを映画の主人公として当たり前に捉えるのって当時新しかったと思うんです。
高橋 女性の方が好きだって言ってくれたね。当時ね。
――そして今回の『赤い玉、』は、男の人の側から描いた物語になっていますよね。今回の主人公の時田も、映画監督でありながら学校の先生という、完全にアウトロー的な人間ではないけれども、アウトサイドな部分があります。
高橋 シチュエーションは俺とまんまですよ、いまの。
―― 高橋監督は京都造形芸術大学で先生をされているのですね(映画学科の学科長)。
高橋 (映画の主人公も)京都だし。シチュエーションはまるっきり。
内容も半分ぐらいは自分の事。特に、簡単に言えば<性の衰え>だよね。
「そろそろ俺も赤い玉出るのかな」みたいな気分でいた昨今なんで。
――不安と言いますか……。
高橋 不安どころかもう現実だから。
――「もう性欲が減退しちゃうんじゃないか」という。
高橋 いやもう、してるって。完全にしてる(笑)。うん。
だから、そういう状態になっている自分が、どうやれば、オスのままでいられるんだろうってのは考えちゃう。
まあひとつの選択肢として、悔い改めた善い大人になるっていうのもあんのかもしれないけれども、到底そういうのは似合わないっつーかね。
柄じゃないし、そんなことしたって世間は認めてくれないだろうし。
だからまあ、カッコ悪く、もがいて、命終わるまで、過ごす……まあ、それもオスじゃないかと。
まあ、一生懸命、カッコ悪いのを、奥田に演じてもらったけど。
妄想というか思いだけはまだ引っ張ってて、現実的にはなかなか出来ないみたいなね。
<妄想>を強く持つのは人間のオス
――この映画の主人公である時田は、自分の身の回りに起きた事をシナリオに書いています。その妄想が虚実入り混じった時田の日常そのものに浸食してくるような展開ですね。
高橋 <妄想>っていうのは、人間だけが持ってる能力じゃないかなあと、俺は思ってるんですよ。
考えるまでは出来るよね、動物でも。でも妄想出来るのは人間だけじゃないかって。
かつ、特に、男が妄想するもんだという。比率から言うとね。
女って、そんな妄想するイメージないんだよね。
現実に戻るのはずっと早いよ。女の方がね。
かつ、メスというのは、あらかじめ妄想というのがDNAに組み込まれているのかもしれない……と思ったりね。組み込まれているから、あえて男みたいに妄想に入らなくても、常にそういう能力を持ち備えてるんじゃないかな。
―― 時田の愛人である唯が、別れる時に「あの世は私に任せて」って言いますよね。それもそういう事と関係あるんでしょうか。
高橋 かもしれないね。すごいリアルに「あんた先に死ぬでしょ?」みたいなこと言いながら「あっちではちゃんと面倒見るわよ」みたいなね。ものすごくそういう……リアルと妄想が同居しているんじゃないかなあと思いますね。
―― 時田が街で見かけた女の子を追い掛けて、その子が「律子」という名前である事がわかって、書いているシナリオの名前を書き換えて、関係が進展しそうになったのを読んでしまった時、もうそこでパッと唯の心が離れていきますが、あれは、リアリズムであると同時に、相手の心の動きにすごく敏感っていう……。
高橋 そうそう。女ってそういうもんじゃないかなって。
昔、すごく若い時に、彼女というか婚約者がいたんだけど、ある事情で、女の子を、2人で住んでる所に1日だけ泊めてあげなきゃいけない状況があって、それで連れて帰ってきた時に……その時は(連れてきた方の女の子とは)深い仲じゃなかったのね。
けども、その時に、「この女は災いの素」みたいなのを、婚約者の方は一瞬にしてキャッチしたみたいね。「その子だけはダメだ」と思ったみたい。自分の中で。
で、俺とその婚約者は結果別れる事になるんだけど、結局その(連れてきた方の)子と変になってしまったわけ。
―― 同時ではないけれども……。
高橋 全然同時じゃない。その時は本当に何もない。
―― ではその予感が正しかったのかもしれないと?
高橋 完全に正しかったんだよね。
―― 女性の勘は動物的であると同時に、心理的なのですね。
女装した時田と愛人・唯(不二子)の激しい情事 (c)「赤い玉、」製作委員会
女優は基本「男」です
――女性といえば、時田が先生をしている大学で、学生たちが作っている映画に主演する学生・愛子(土居志央梨)も印象的でした。
役者になりたいという明確な上昇志向があって、その情熱をもてあまして、周りの、いまいち一心不乱になれないレベルの学生たちが物足りない。監督志望の同級生と付き合っていたけど、見切りを付けて、その場に居た時田に「次の彼氏になってくれませんか」って言う。それでいて「あの人はもう旬を過ぎている」というシビアな時田評を口にしてみたり。
高橋 彼女もまた、女のある属性みたいなものをすごい備えている役だと思いますね。
――愛子は時田を本当に口説こうと思ったのか、ちょっとからかっただけなのか……。
高橋 あれはね、あの役としては、当然なってもいいと思ってるんですよ。
ああいう女、居たんだよね。70年代には。
――時田が愛子にすかさず「70年代にはいたよな、君みたいな女」って言っていますけど、あれを言った時の奥田さんの方は、ちょっといなしている感じなのでしょうか。
高橋 いなしたんだね。時田の中では、タイプが違ったのかもしれないしね。
――時田が「女優は基本男だからな」って言いますけど、監督自身も女優さんと結婚されていて……。
高橋 あれは本音(笑)。女優は<男>だと思う。ホントに。
まあ要するに、当然メスなんだよ。メスなんだけど、オスの要素を持ってないと女優になれないと思う。
――「オスの要素」というのはどういうものなんでしょうか。
高橋 一般に言われる、権力意識だったり、名誉欲だったり、基本男が持っていると思われているものですね。
だから、あれですよ。女優が男とヤッてるのは、女優が犯してるのと一緒だね……だと思うよ。
――女優さんが押し倒してるみたいな。
高橋 それはね、形は違うけれども、もう、色んな意味で……形は押し倒されてるかもしれないけれども、押し倒させてるみたいなことになるんじゃないかな。
たいがい筋道作ってんのは女だよね。女優だよ。
ヤラれるのではなくヤる女・愛子(土居志央梨) (c)「赤い玉、」製作委員会
監督はモニタなんか見るな!
―― 愛子と付き合っていたけどフラれることになる、ゼミで作っている映画の監督役の男子学生が、フレームというか、モニタばっかり見て、本当の彼女を直接演出しないというのは、目の前でベッドシーンを演じられ、演技とは言え他の男とヤッている場面に対する心理的抵抗なのか、それとも彼が演出という面でそういうやり方しか出来ないという事なのか……。
高橋 そっち(後者)の方だね。俺はそんな他人の現場行ってないけど、いま監督っていうのはほとんどモニタ見てるっていう。
でも俺、ほぼ見ないんだよ。なるべく役者に近いところに居たい。
すなわち、カメラのすぐそばにいつも居たいんで。
どこの現場に行っても「モニタどこに置きますか」って言われるけど「いらん」って。
まず生で見たい。役者を。たぶん息しているところを見たいんだよね。
それ(モニタ見る事)が、有効な場合もあると思うんですよ。ずっと見てる事によって、客観的になれたりね。細かいミスを発見できたり。映像的なミスであったりね。「ちょっとここまで入れてほしいのに、入ってなかった」とかね。
そういう意味では有効性はあるんだろうけど、うーん……一緒に作ってる気がしないんだよね。
極端な監督だったら個室に入っちゃって、それでインカムで「はいNG。ここ直して」とかね、「ハイ、いまのOKです」とかね、そういうのって「なんなんだろう」と思っちゃうんだよね。「同じ空気吸ってた方がいい」って、俺は思うんだよな。
フレームなんかはだいたいわかるしね。
映画なんか教えらんねえよ!
―― 映画の最初で、主人公の時田がフレームの中の位置について講義してますよね。
高橋 はいはい。でも映像見りゃわかることだからね。
―― 実際に先生をされていて、時田が最後先生を辞めていく時のセリフ「映画なんか教えられないという事がわかった」というのは、監督の本音なのでしょうか。
高橋 本音、本音!
いや、(教員職を)やる前から言ってた。それは。なった時も、なる時もね。「映画なんか教えらんないよ」って。
まあ、ある種の文法であるとかはね。<映画文法>ってないようであるんだよね。実はね。あるとは思ってる。
そういう事は教えられるし、映画史とか、映画の研究については教えられる事っていっぱいあるんだろうけれど、映画を教えるって、出来ねえわと思う。
特に、監督を教える、演出を教えるなんて、とてもじゃないけど出来ないな。
だから、映画を一緒にやるのが、自分の中では一番有効な手段だと思う。教育という意味では。
たとえば車止めひとつだって、大変だってことがわかるじゃないですか。文句言われたりね。雨が降ってきたらバッと逃げるとかね。臨機応変に場所変えるとかね。そういう事もみんな、現場に居て一緒にやってるからわかることでね。
―― この映画もスタッフの9割が学生さんという事で、学生と一緒に作っていく映画という形でありながら、内容自体は、監督の年代のドラマを、若い人におもねることもなく、やり切っている感があるんですけど。
高橋 (若い人に合わせてというのは)それはもう全然ない。
映画表現は常に自由であるべきだと自分では思っているし。でシナリオに縛られる必要もないという事も伝えたかったし。
―― セリフにもありましたね、「シナリオ通り繋いでるんじゃない!」っていう。
高橋 そうだね。実際こっちもそうだから。シナリオ通りに撮ってないし、シナリオ通りに繋いでないし。今回もずいぶん前半は構成が変わりましたよ。
大きく変わったのは、愛人の唯っていうのが、(時田と)おんなじ大学の事務方だっていうのが、いまの映画だとけっこう後ろの方に来てるんですよ。
もともとのだと、もっと早い時点でそれがわかってたんですけどね。そういう関係を明かした上で、風呂場で情事をしている場面がある……という流れだったんだけど、もう風呂のシーン、イキナリド頭に持ってきて「この女誰や?」っていう風に変えちゃった。そんなところは随所にあるんですけどね。
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