第1回目の連載(彼女を部屋に連れ込んでどうにかしたい時に聴きたいジャズアルバム)から「アホすぎる」、「ジャズを馬鹿にしているのか」等々の、まさしく的を射たご感想を頂いた、福島剛の馬鹿ジャズ名盤講座、第2回目である。
パチンコで5万円負けてしまった後に
聴きたいジャズアルバム
「楽をして儲けたい」、「一生遊んで過ごしたい」。
そんな下衆すぎる欲求を批判する権利は私には無い。なぜならば私もそのように思う事は多々あるからだ。正直に言えば、私はものすごく怠け者である。ついでに言えば、嘘つきで早漏である。
そんなカスが夢を見るのがギャンブルである。
カスが一発逆転しようと思ったらギャンブルしかねえだろ、という思考回路が芽生えるのである。先に言っておくが、徹頭徹尾全篇を通じて間違っている。
かつて私も賭博事が大好きで、様々な博打に手を出した。途中で「オレは致命的に博打が弱い」という事に気付いてやめてしまったのだが、気付いて良かった。多分これまでに外車が一台新車で買えるぐらいは負けている。
仮にパチンコでのシチュエーションとしたが、5万円も負けるとはなかなかの大惨事である。
このような時の精神状態は私はよく知っている。
1万円ほど負けた時には、「あれ、何だか今日は調子が出ないなあ」という程度の認識でしかない。「よっしゃ、もう1万円」と突っ込み始めた辺りからずぶずぶと沼に足を絡め取られている事に気が付かなくてはならないのだが、当人は別の事を考えている。
「やべえよ、2万もいかれちまったよ、何とかしてこれを取り返さねえと」
この取り返す、という発想がかなり終わっている。
大体投資が3万5千円を超えた辺りから、頭の辺りからぷしゅーぷしゅーと湯気のようなものが出ているハズである。もう後には引けなくなっているのである。引けば良いのに。
最終的には財布の中に5千円しか残っていないのを見て、「5千円ぐらい残したってもうどうしようもねえだろ」と、ラスト5千円までいってしまう。いかなきゃ良いのに。完全無欠なクズの負け様である。
そういったストーリーがあって完全に敗北した後にパチンコ屋を出た時には、妙な爽快感があるのが困りものだ。
「あー……負けちまったなあ……」
太陽が妙に眩しくて、目に刺さる。アルベール・カミュの名作『異邦人』の主人公ムルソーくんの気持ちがリアルに実感できるのはこの瞬間ならではだ。
「どうすっかなあ…ま、帰って寝るか…」
このような一連のクズな流れを私も何度体験したことか。体験しなくて良かったのに。
家に帰ってまずやらなくてはならない事は、冷蔵庫からキンキンに冷えたビール(発泡酒、第三のビールなどでも可)を取り出し、それを一息に火照った身体に流し込み、それから流れる所作で布団にもぐり込みフテ寝、というコンボである。布団の中では「あー、オレ死ねば良いのに」もしくは「明日なんて来なけりゃ良いのに」といった拗ねた発言が必要である。もちろんおちんちんをさわりながらの話しだ。
これらの事からわかるように、この瞬間に必要な要素は「現実逃避」以外に外ならない。
という事は、こういったシチュエーションで聴きたいジャズアルバムは、現実から自己を乖離させるような体験を伴うアルバムが望ましい。
私はセロニアス・モンクのソロピアノアルバム、『Thelonious Himself』を推したい。
『Thelonious Himself』/Thelonious Monk
<「いやー、あれこれ散々聴いたけどさ、やっぱりモンクに落ち着くよね」と言っておけばまず間違いない。同じような言葉として「一周して最近はビートルズがすごいと思う」というものがある>
このアルバムの非現実感はすごい。A面の一曲目には「April in Paris」というジャズスタンダードが収録されているが、それはまるでモンクの作曲したオリジナル曲のように聴こえる。
独特のコード進行、そしてたまらなく深い間(ま)。不協和音や複雑なテンションコードを駆使しながらも、どこまでも徹底的にオンリー・ワンのセロニアス・モンクの世界である。
お笑い芸人のエハラマサヒロという人のモノマネネタで「他人の曲を自分風にアレンジして歌い過ぎて何が何やらよくわからなくなっている矢野顕子」というものがある。
<私は矢野顕子氏の楽曲カバーを「原曲レイプ」と呼んでいる。大体がオリジナルよりも素晴らしい。このアルバム『ピヤノアキコ』内で特に素晴らしいのはムーンライダースの「ニットキャップマン」と、くるりの「ばらの花」>
ここにおけるモンクの演奏は、まさに「スタンダードジャズを自分流に解釈して演奏して原型がよくわからなくなっているセロニアス・モンク」である。はっきり言って、「変」である。
私がジャズに、そしてピアノに興味を持ち始めたきっかけはこのセロニアス・モンクである。私のジャズピアノ人生はここから始まった。
ぱっと聴いて、「あ、何かコレ、変だ」という所がスタート地点だったのだ。
どうやら私の思考の習慣のようなもので、何か「変だ」と思ったものに興味を惹かれる傾向は昔から今に至るまでずっとある。若い頃と今の自分との違いで言えば、変なものに対してストレートに興味を抱くだけではなく「変じゃないもの、普通のもの、常識的なものをきちんと理解できないと、本当に変なものの面白さはわからない」という形に変わりつつあるが、やはり未だに「変なもの」に惹かれてしまう所は変わっていない。
このアルバムに対して、「わかる」という感覚は殆ど無い。「わからない」という感覚の方が強い。それはかれこれ20年近くこのアルバムを好んで聴き続けてみてもそうなのだ。
しかし、「わかる=良い」、「わからない=悪い」という図式はこのモンクのソロピアノアルバムに関してはまるで当てはまらない。わからないが、これは間違いなく素晴らしい。20年聴き続けてきて、更にここから20年聴き続ける価値のあるアルバムだと思っている。
このモンクの紡ぎだす、比類なき美しさに裏打ちされた非現実感を全身で享受しながら、布団の中でフテ寝。
これこそがパチンコで5万円も負けてしまった時に取るべきパーフェクトな対処法である。
いや、パチンコで負けなくてもこのアルバムは本当に良いんだけどさ。
『Thelonious Himself』/Thelonious Monk
リリース:1957年
録音:1957年4月12-16日(ニューヨーク)
レーベル:リバーサイド
1. April In Paris
2. Ghost Of A Chance
3. Functional
4. I'm Getting Sentimental Over You
5. I Should Care
6. 'Round Midnight
7. All Alone
8. Monk's Mood
(執筆者プロフィール)
福島剛/ジャズピアニスト
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1979年東京都出身。青春時代のすべてを柔道に捧げた後、京都府立大学在学中の20歳の頃よりピアノを始める。故・市川修氏に師事。2006年より「ボク、ピアノ弾けます」という嘘とハッタリによりプロの音楽家となる。プロとしての初めての仕事は故・ジョニー大倉氏のバンド。07年、活動の拠点を地元、東京江戸川区に移す。各地でのライブ、レコーディング、レッスン、プロ野球(広島カープ)観戦、魚釣り、飲酒などで多忙な日々を送る。
主なアルバム作品に映画作品のサウンドトラック『まだあくるよに』(2012年 ※iTunesの配信のみ)、お笑いジャズピアノトリオ「タケシーズ」による『みんなのジャズ』(2013)、初のソロピアノアルバム『Self Expression』(2015)がある。座右の銘は「ダイジョーブ」。
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