壮大な人気レースに巻き込まれる怖さ

「ブロマガ」はプラットフォームになり得るのか

 

リアル vs バーチャル

まず始めに、ふんわりした話を具体的にするため、このコラムで言うところのプラットフォームの意味を定義しておこう。僕がこれから語る「プラットフォーム」とは、消費者にモノを届ける現場という意味だ。そしてそれは、社会の中に一定の居場所を見つけて、定着する流通・供給システムである。

ついでに「メディア」というのは、パッケージ、梱包、包装というニュアンスで語ることにする。本メルマガの場合は、コンテンツの中味は「思考」であり、それが文字データ化されたものがメディアで、それがメルマガというプラットフォームに載せて皆さんのお手元に届いている。

さて、メルマガの話をする前に、活字コンテンツのプラットフォームとして今大きな転換点を迎えているリアル本屋とネット上の電子書籍サイトを比べてみたい。

電子書籍云々は、もうかれこれ4年か5年はグズグズ言っている話なのだが、当時からリアル本屋の強みは、すぐ手にとって中味が確認できるという点と、本という体裁やページをめくるというリアルな体験ができることだ、と言われてきた。今風の定義に直すと、購入前のコンテンツへのアクセシビリティと、メディアそのものへの価値観、ということになる。

だが僕が考える本屋のアドバンテージはそこではない。いわゆる「本読み」の店員が居て、その人の目利きによるポップだったり分類だったり棚づくりだったり、といったところじゃないかと思う。本をキュレーションできる人材こそが、本屋の価値を決めていると思っている。

綺麗に本が整理された本屋は、たいてい面白くない。綺麗に見えるとは、たとえば並んだ本の背の高さが揃っているとか、背表紙の色が揃っているとか、そういうことだ。これはすなわち、本屋が出版社に棚の整理を丸投げしているからである。出版社は自分ところの本をまとめるので、当然高さも揃うし背表紙の色も揃う。当たり前だ。だが買い手にとって、同じ出版社の本が固めてあるメリットは何もない。我々は出版社のファンではないのだ。

そのことに気づいたのは、結婚してすぐに新居を構えた、京王線つつじヶ丘の駅前にあった本屋に出会ってからである。今ストリートビューで見たら、すでにそこに店はなく、ネカフェになっていた。残念だ。

その本屋は、本当に雑然としていた。通路にまで本があふれ出していることも珍しくなかった。だが、自分が読みたい本が最短で見つけられるのである。なぜならば、そこは出版社や本の判型に関係なく、テーマや内容別に分類して棚を作っていたからである。同じ作者の本なら、出版社が違っても同じ場所においてある。当たり前のようだが、普通の本屋はそうはなっていないのだ。

通路にまで本があふれていたのは、しょっちゅう店員さんが本の分類のためにいったん全部通路に出すからである。その積まれている本を漁っていて、面白い本に出会うこともあった。これが本屋というものか、と改めて思ったものである。

ただそういう目利きというアドバンテージも、次第に発揮できなくなっている。本屋そのものが減ったり変質していったりして、人が気軽に立ち寄らなくなっているからだ。今個人的にアクセスできるリアル本屋は、イオンの中にある子ども向け書籍がやたらと充実している本屋か、駅中にある流行り物を扱う本屋ぐらいになってしまった。

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