甲野善紀
@shouseikan

「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」

「10年の出会い、積み重ねの先」〜日本唯一のホースクリニシャン宮田朋典氏による特別寄稿

甲野善紀メールマガジン「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」Vol.131より

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<ホースクリニシャン宮田朋典氏の特別寄稿に寄せて>

甲野善紀

私が、この夏の初めの7月3日に、初めて馬に乗ったことは、このメールマガジン「松聲館日乗」で2回にわたって、その時の様子を報告したが、この生まれて初めての乗馬をするのに、これ以上の指導者はちょっと見当たらないのではないかと思うほど、私の乗馬に関して情熱を傾けて事前にいろいろと指導法を研究してくださったのが、日本で唯一のホースクリニシャン、宮田朋典氏である。

宮田氏は10年以上も前から私の武術の指導法に関心を持たれ、御自身の馬術に関する様々なテクニックに私の武術の技をいろいろと応用して成果を挙げてこられた方である。今までにも私の武術の技をそれぞれの専門に生かしてくださった方は何人もあるが、私に一度も会うことなく、私の本を読み込み、DVDを克明に観察していただいて、これほどまでに御自身の専門分野に役立ててくださった方というのは宮田氏以外ではちょっと思い浮かばない。それほど熱心に私の技を研究してくださっていたのにも関らず、直接私に会うことには大きなブレーキがかかっていたようで、その理由として宮田氏は、御自身の未熟を挙げられていて、私としては恐縮の至りだった。

その宮田氏と、なぜ直接ご縁がつながったかというと、私がほぼ月一回BULINK主催で、綾瀬の東京武道館で行なっている講習会に来られたKI女史が、宮田氏から馬術の指導を受けられており、話の流れでこのKI女史が間に入って宮田氏と私をつないでくださったからである。KI女史は私と縁がつながったことで、いつかは宮田氏と私の間をつなぎたいと思われていたようだが、話が急に具体化したのは、7月の初めに私が那須の板室温泉「ホテル大黒屋」で森田真生氏と「この日の学校」を行なう翌日、やはり那須にある「那須野が原農場」で、宮田氏が馬術の指導に来られるという不思議な偶然が起きたからである。確かに九州の宮崎県に住まわれていて、日本中を駆け回られている宮田氏と、私も年に一度の「この日の学校」以外訪れたことのない那須に同じ日にいるというような事は、よほどのご縁がなければ起こらない事である。

これらの事については、すでに「松聲館日乗」で触れているので、ここであらためて詳しく触れることはしないが、宮田氏にお目にかかって、宮田氏の馬術にかける情熱は、ただ馬術の技術に関してというだけではなく、「人が人として在るにはどう育っていくべきか」という事についても及んでおり、多くの人達にとっても、生きて行く上で少なからぬヒントがあることを深く実感したので、思わず「共著を出しましょうか」という言葉が、私の口から出ていた。

そうした流れで、今回宮田氏が私との出会いについて、大変な情熱を傾けて書いていただいた寄稿文があるので、その御好意に深く感謝し、ここに紹介させていただくことにした。

読まれれば自ずから伝わると思うが、宮田氏は馬術への情熱と共に、「生き物がどう生きていけばいいのか」という根源的なテーマを探らずにはいられない情熱が迸り出ている方である。書くことはあまり得意ではないとの事だが、今回いただいた寄稿文には宮田氏のお人柄がそのまま表れているように思う。読者の方々も是非、この宮田氏の情熱を味わっていただきたいと思う。

 

特別寄稿「10年の出会い、積み重ねの先」 
文・宮田朋典

 

■10年の出会い、積み重ねの先 2016.7.3 ~10年後の私が出会えた甲野先生~

 
私はホースクリニシャン宮田朋典と申します。甲野先生のメルマガ購読者の方、初めまして、よろしくお願いします。馬の心理学や行動学をベースとして、馬の悪癖(とは言っても人の問題が殆どなのですが…)などを矯正していく仕事をしております。

馬の悪癖とは使役に向けた人と馬との関わりの日頃の積み重ねで、プレッシャー(クリニシャン用語における)に向かう為の段階的な鍛錬のステップが壊れた状態とでもいいましょうか、そんなことが結果的に悪癖に繋がると思います。

初期症状として典型的なのは、登校拒否ともいえるような症状。厩舎から出そうとロープで引っ張っても踏ん張り、力づくでも動かない。どのくらい動かないかと例えるなら、「ウインチで引っ張ってもダメ」なくらい。餌で釣っても、なだめすかしても、ちょうどいいところのお互いの合意が取れずに馬がモンスター化したり、力づくで決着をつけた結果、双方の心と思考、メンタルの怪我が起き、トラウマが生まれます。そして、事故へとつながることも起こりえる。

まさに、窮鼠猫を噛むでは無いのですが、追い詰められた馬は、平均体重500キロ以上の身体での体当たりや、噛み付いてきたり蹴ってきたり、蹄で殴ってきたり、また騎乗していても、乗っている人間を振り落としたりと様々で。

あちらも生きているわけで、知恵も悪知恵もついてゆくのです。そんな馬たちは更に、馬同士でも問題行動を増加させていきます。そもそも、本来の馬の自然な状態というのは、草原で集団生活を営んでいる状態です。それが、人間の目的で独房のような孤立した環境で飼われるのです。厩舎から外に出た環境では、他馬との接触さえ強く制限されるのですから、問題行動も、環境によって飛躍していくわけです。

例えば、競走馬ゲートに入らなくなったり、立ち上がって騎手を振り落としにかかってきたり、競走中にも集中力を人馬で合わせることが出来ず、この時とばかり他の馬に干渉する。

そこに人の目的と思いが加わり、更に問題を悪化させてゆきます。本来であれば、親と子を「離乳期」を経ることなく引き離した人間が、その親がやるべき躾をやらなければならないのですが、そこが一番難しく、また、仕事の分野として評価もされにくい。数えればキリが無いのですが、そんな中で、馬と人との間に立って躾の再構築の仕事をさせていただいております。

10年ほど前から先生の本を読んで、「馬術に転用ができないか」といろいろ試しているうちに、沢山の気づきや学びがあり、そこから多くの転用方法を発見し、講習会で活用してきました。(人馬のクリニックを、プロ・乗馬愛好家それぞれを対象に、手掛けております。)

7月3日、尊敬してやまない甲野善紀先生に、幸運にもお会いする事ができ、乗馬の体験をして頂きました。それも、今回、先生のほうから来てくださった……。なんだか、こそ泥していた自分を現行犯で逮捕される様な心境で当日を迎えたのですが。先生に体験して頂いた乗馬の事、そこからの広がりを書きたいと思います。

事前の連絡で、おそらく袴か何かで乗られると思っていました(先生のジーンズ姿や乗馬服はイメージもつかず)。

もちろんこちら側でも、「和」でいこうと、そのつもりだったのですが、和鞍(わぐら)の準備をする事ができず(※ 現在の日本の乗馬は、西洋式が主流であり、和鞍をおいている乗馬倶楽部は、なかなかない)、西洋の鞍の英国式か米国式、どちらで行うか、少し悩みました。

ただ、流鏑馬馬のトレーニングで、小笠原(次代)宗家との付き合いもある当方、和鞍のイメージに近い、米国式の鞍を選出しました。カウボーイは鞍に立って乗ることがあります。投げ縄で子牛を捕まえるローピングという動作と、和鞍で流鏑馬をするのとは、共通項が多いので、先生に見合っていると考えました。もう一つ、もしも袴で英国式の鞍に騎乗すると、馬とふくらはぎ(袴)が直接あたるため、馬の汗と臭いがダイレクトに袴に染み込んでしまい、お帰りの際、ご迷惑をおかけるかもしれない。その点、米国式には、フェンダーというカバーがあるので、米国式にしました。

その他、地下足袋で乗られることを基準に、判断をしました。いくつか、お話をしますと、鐙(あぶみ)があまりぶれない方が安全性が高いこと。英国式の鞍は、鐙のあおり革がブーツを履いていないと固定できずにふくらはぎを挟んでしまう可能性があること(これがブーツを履いていない素足だと、まるでペンチに摘まれた様に猛烈に痛い)。また、かかとのない地下足袋での騎乗は、鐙に足が入って緊急時に足が抜けなくなってしまう可能性が英国式では高いので、鐙の位置が変わりにくい米国式の方が良いと判断しました。

前日、私も地下足袋で馬に乗って、感覚を確かめ、先生をお迎えする前準備をしたのですが、流鏑馬と少し感覚が違う。足全部を乗せて鐙の角を使い馬に指示を出す和鞍であれば、地下足袋で安定できた姿勢が保持できるのですが、米国式は、本来、鐙の角の部位をブーツでかばっているので、かかとのない地下足袋は足の可動域そのままに近いため、土台となる鐙が少し細く、痛い。しばらくはバランスをとるのが、少しだけ道具に頼れない感じがしましたが、直ぐに慣れてきた為、米国式で、よいと感じ、騎乗時のすべての動作環境と安全上のチェックをしました。

 

◇そして、当日―先生の本の転用や活用についてお話をする

 

当日、緊張の中、先生を迎え自己紹介。しばらくの間、馬の躾や、馬具の話で盛り上がりました。

最初に先生が興味を持たれたのが 馬銜(ハミ)でした。馬銜とは、馬の口に入る金属性の道具です(この道具が、どういう意味合いを持ち、どのように扱うものなのか。長くなりますので、別の機会があれば、お話したいと思います)。

仕事柄、ハミの使い分けのため、数千年も変わらぬ形状の分析・解析をするとき、先生の本が非常に参考になりました。この「普遍の形」について、私の解析を先生に伝えたところ、そこからまた、いろいろな話が先生と広がりました。

ハミの解析のために、甲野先生のDVDや書籍から得たヒントの転用から、結果的に、さらなる変容が生まれ、馬への扶助(指示)のメカニズムを体現化して理論化する事へとつながったこと。私のひとつのテーマであり、私の馬術の講習会の基本「無意識を意識化して、さらに無意識になる」は、先生の本の転用や活用が、いきていること。先生のさまざまな出版物にふれ、沢山の転用を考え、馬の調教を再検証し、多くの人馬を社会復帰させてきたこと。(このことは機会があれば詳しく書きたいです。)

馬に乗る前に、馬の心理や行動、調教理論や概念を説明。先に、私が少し騎乗し、馬の基本扶助を説明しました。

その中で、「互(ぐ)の目歩き」の転用を見ていただきました。甲野先生の「互の目歩き」の考え方が、馬の動きにシンクロする場合が多く、この転用は、私の生徒の中で上達に苦しんでいる方や、馬の調教で、馬自身が理解してない時の打開策に、非常に役に立っている事を先生に伝えました。

「互の目歩き」については、皆様、ご周知のことかと思いますが、詳しくは、甲野先生の書籍等を、ご参照いただけましたら、幸いです。

最近のものでは、DVD『甲野善紀 技と術理 2015 重心側から動く』(夜間飛行:刊)にも多くのヒントが隠されていて、人馬の重心が双方ぶれているときの修正などにも活用しています。転用した技術は、馬の操作方法でスランプに入っていたプロのJRAの騎手や、全日本の競技に参戦するプロ、技術が伸び悩んでいると思い込んでいる方にまで幅広く役に立ち、私の講習会でスランプ脱却をした現役ジョッキーや調教助手も、何人もいるのです。

 

◇確信と実践へ

 

甲野先生は、早い上達で、馬に乗れると思っていました。そして、先生から「何が起きても大丈夫です」との一言。その言葉もあり、この日のレッスンは「行くところまで行ってみよう」という気持ちになっていきました。

・甲野先生の騎乗―常歩(なみあし)の体験

まず、常歩 (歩きのこと)で、馬の動作と扶助(馬への合図)の確認と危険回避の方法を、それぞれ馬のパーツごとに説明。その後、ブレーキなどの理論を説明し、常歩から体験して頂きました。

先生の技術が、先生にとっての初騎乗の様々な状況下で、ご自身で、転用できそうに感じました。必要な事を、乗馬の基本技術に照らし合わせて頂けるよう馬の動きを体験して頂きました。馬の歩いている時(常歩)の方が、落ち着いて馬の動きが体に入ってくるだろうから、しばらくの間、多めに常歩で、乗って感じていただきたいと思いました。

・甲野先生の騎乗―速歩(はやあし)の体験

しばらくして、速歩 (ジョギングの様な)で、その2拍子のリズムの拍の上で、反動を抜く練習と、鞍に乗ったままで、反動を抜く練習をしました。

普通、もうこの時点で、初心者は体力も集中力も限界になる方が多く、レッスンは終わるところなのですが、先生は、何かを探求されている様に、一瞬 、空を見て体の軸とバランスを整えたり、何かを猛スピードで検索している様な表情や間をとっていらっしゃいました。

それは、初心者とは違う感覚だと見て取れ、「このまま騎乗を続けていただこう」と思うひとつの理由となりました。

この速歩という馬のリズムは、初心者には特に難しいものです。自分自身のバランスを保ち、馬から他動的に発信される反動を受け止められる体幹軸が必要で、程よい体の抜き(脱力ではない)ができ、自分の意思を最小限で馬に伝え続けなければ成り立たない歩様(ほよう)です。そのため、誤作動も多く難しい。

が、さすが甲野先生は、初めから、その歩様からくる反動についていっていました。何かを猛スピードで検索していた様に見えながらも、別のことも、ご自身で模索し体感されつつも。

そもそも乗馬の極意というのは、馬からの反動を、受け身でできるだけ整え、瞬間的な判断をこちら側から馬へ伝えていかなければならず、その為には前傾とも、後傾とも違うバランスが必要になる。この最初の時間、先生は鞍に座る様な感覚で、騎乗されていました。

・甲野先生の騎乗―駈歩(かけあし)の体験

速歩までを、今日のメニューと思っておりましたが、当然と言えば当然、この速歩でも先生の余力を感じました。

「まだまだ行ける、この感じだと今日は駈歩まで体験して頂けるのではないか」という気持ちになり、まさかの時のために緊急停止できる状況を整えるべく、馬のハミには長いロープをつけて、駈歩を、こちらのコントロール下で体験して頂きました。(駈歩とはいわゆる『暴れん坊将軍』の海岸シーンを思い浮かべて頂きたいと思います)

今までの乗馬指導の中で、広い馬場で1日でこの状況まで説明して実行できた人は.記憶に無い。さすが身体操作の達人。改めて「凄い」と思い、だからこそ、乗馬技術に先生の技術が転用できるのだとも思いました。

・甲野先生の二度目の騎乗―驚きの出来事

先生に一度、下馬を促しましたが、まだ余力があり、まだ何かを探されている様な気がしてなりません。

もう一度先生に、先生の体験された「常歩・速歩・駈歩」を、私の騎乗で見て頂きました。そして、「もう一度乗られますか」と問うと、もう一度騎乗されるとの事。

その時の先生の顔が、明らかに変わっていました。なんと次の瞬間、鞍に跨った時には、もうある程度の経験を積んだであろう人の出す雰囲気、今日が初めてとは誰が見ても信じられない様な、“鞍はまり”の良さを感じるような姿勢に、一瞬で様変わりしていたのでした。

その様子とは、前記の「鞍に座る」というより、「鞍にまたがる」という感じ。それは例えるなら深く座ることでも前傾でも無い、先ほどの解説の位置。

明らかに2回目の騎乗は、先とは違い、乗馬姿勢の基本形になっていました。これには驚きました。今まで沢山の人を見て来ましたが、こんな経験は今までに無い。前段階まででも凄いと思ったのに更に変化して、甲野先生は、一目見て修正されていたのです。

もちろん「常歩(歩き)だからできたのかも」と、一瞬考えました。速歩でも試したくなってしまい、先生にうかがってみました。

お互いの同意のもと、速歩をしてみる。速歩でもその姿勢がほとんど壊れることなく、ロープを外しても、どうにかできそうな雰囲気に見ていて思えました。

「ロープをはずして、速歩での方向指示まで体感して頂きたい」私は、馬を私のコントロール下に置くロープをはずしてレッスンを継続しました。

その時である…。

馬が1秒ほど右脚を蹴り一瞬跳ねた。それを見ていて、ヒヤリとしたその時だった。先生の体と馬がまるで落雷にでも打たれて入れ替わるかのように、その瞬間に先生と馬は繋がり、先生が主軸で馬が動き始めた。いうなれば、それが「馬術」なのです。その瞬間から先生は馬と繋がったのです。

それからしばらくの間、先生は馬と2人で?、馬場を走っていらっしゃいました。

まさに、先生のDVDそのものの展開です。最初に解説、実施、そして瞬間の動きをデモで見せてくださるそのもののプロセス。馬で、同じものを見た気持ちでした。全てはその一瞬の為にというべきか……。

先生は、「習うのは考えないので、自由な応用が利かない」(まったく習うことなしに技を会得することは、大変困難ではあるが、ただ習ったことを覚えるだけでは、自得する過程で身に付いた思考がないため、さまざまな場面に自由に対応することが難しい)と、おっしゃっています。まさに、このプロセスもそのことの体現であったと思います。

馬が跳ねた事で、それまでの緩やかなプロセスが、サバイバルモードで繋がり、出来るようになる。動作と意識を、意識化させてやっていた事が、この短時間で、しかもこの緊張をもって無意識になり、おこなえるようになる。

 

◇親馬の子馬の躾―躾や生活からの学びは、追い詰められた時や緊急時に活きてくる

 

先生の二度目の騎乗の驚きの出来事、ここからいろいろな事を思いました。

馬は、集団生活を営む草食動物です。子馬たちは、日々の緩やかな営みのなか、親馬に躾られる。肉食動物に襲われる草食動物ならではの、草原で草をはみながらも、小さな異変をすばやく察知する感覚が、日常のすべてに溶け込んでいる。

「馬は、逃げる動物」だと、私は、よく講習会で説明するのですが、危機や追い詰められた時の行動は、実は、毎日の肉食動物の奇襲訓練を想定して繰り返し訓練する訳でなく、気づかない日常の生活の中に溶け込んでいるのです。

それは、母馬の子馬への厳しい躾の中に、宿っている。集団で暮らすほかの馬たちとのやり取りの中にも、宿っている。ときに、躾の中、子を叱る母馬は、まるで、肉食動物のようである。例えるなら、子馬同士、時に度を越えたはしゃぎすぎの騒ぎになることもあるが、それを許してしまっては、肉食動物から発見され自分たちの身に危険が迫ることもあるので、親は、本気である。やっては、いけないことは、いけないのだと、身を以て叱り、子馬は、そこで何かを知り、それによって母馬から、許され、受容されながら、集団の中での約束事までも、身に付けながら、子馬は成長してゆく。自然の営みはそういうもの。日常のなかの躾や生活から身についたものは、追い詰められた時や緊急時に活きてくる。我々の知っている「練習」は、そこには、ない。

「出来ない理由はその頑張りと努力にあった」。先生の本のタイトルの言葉が、ここに浮かび上がります。訓練する訳でなく、気づかない日常の生活のなかに、それは、ある。

今まで多くのプロや、伸び悩んでいると勘違いしている乗馬愛好家をコーチしてきたけれども、その多くの改善ヒントは、甲野先生の技術の転用から生まれ育ててきたものでもある。今回のこと(先生の驚きの出来事)は、改めて考えてみれば、先生の乗馬の上達のスピードとプロセスを見れば納得がゆきます。

是非とも、これから先生に、乗馬の講習会などで身体使いや、その為の新しい気づきや学びの為に、お力を借りて、展開できないものかと、その思いを強くしました。

 

◇先生の紐と、私のロープ

 

それから下馬をしてしばらく休憩時間をとりました。

先生に私の「無意識を意識化させて無意識にする」という乗馬指導概念を、お話したところ、直ぐに、丸紐(小関勲氏が創案され、甲野先生も一緒に研究されている)を取り出し、その無意識と意識化の凄いところを説明してくださいました。その紐も状況によって多少質感の違うものを使われるようですが、その中の一つが、なんと、馬の悪癖矯正に使う「ホルター」(頭絡 -とうらく-。馬の頭部につける道具)のなかのひとつと、同じ径であり、同じ硬さや質感だったのに驚きました……。先人たちが試行錯誤して、そのホルター用のロープに行きついたものと、ほぼ、同質の同じ径の紐。

物事は奥深く、馬といえども、人と同じ生命体であり、共通項はあるはずだと思うし、この先生の見せてくださった丸紐の径や質感が、いろいろ試して、この紐が一番よいという事をうかがい、「人間での反応は、必ず馬で転用が効く」と信じている私にとって、この紐とロープの共通項について、先生と語り合いたいと思い、これからの馬への転用や活用に、さらなる発見がありそうで、喜びを感じました。

乗馬業界の多くは、馬の保定道具として無口(平ひもの頭絡)を使っているのですが、馬の問題行動を矯正していくには断然丸い径のロープの方が良い。実は私の仕事の馬の悪癖矯正では、無口をこのロープのもの(ロープホルター)にただ変えるだけでも、多くの馬をコントロール下に置くことができるのです。

ほとんどの乗馬倶楽部は、道具ひとつをとっても、受け売りの継承がされていて、平ひもの無口は、そのまま問題提起もされずに使われている。発想の転換や温故知新の考え方で、現状の見直しをする調教師すら皆無なのです。

もちろんロープホルターでの躾の済んでいる馬には、従来の平ひもの無口でよいのですが。躾の出来ていない馬を再教育していく時に使うホルターには数種類のロープの質があり(馬の躾に使うものと矯正に使うものでも、やや径と質感が違うなど多様でそこにそれぞれの意味と効果があります)、それぞれの馬の性格や状態で、変えていくだけで効果を出す。そのことを、甲野先生や小関氏にも深く話してみたいと、思いました。

 

◇今後のひろがり

 

先生との話は、ゆとり教育の弊害とも言われる世代に多い、頭でっかちな知識と、指一本で全てまかなおうとする、若者が増えていること。その弊害がこれからの世界をもっとおかしくしてゆくと思う事を先生とお話ししました。

先生と、馬本来の集団生活に見られる馬の躾のあり方を、人間世界に照らし合わせて、現代の教育に一石投じ、そこからの跳ね返りで検証立証してみたいと思い始めている自分がいました。

また、技術の継承、これから先の日本人のものづくりの職人の勘や感覚、熟練した職人のエピソードなどに話は膨らんでいきました。生活が便利になり、道具を使わなくなってしまったことによる現代人の不器用さと、固定枠を超えられない不器用な思考には深い関係があるという話になり、これから先の日本人が心配だと改めて感じました。

 

◇私の理念の一つ「馬の再社会適応から学ぶ」

 

これは、先生の本に出合い、武術を介護に使ったり、多くのスポーツに転用している前例から、ヒントを得たのです。

「馬×甲野善紀」で、私にとって多くのイノベーションができて、今、馬を使った心の教育という新たな「馬の社会再適応」を応用して、とある医療財団と組んで、毎月医療スタッフの研修を行っています。これもすべて、先生の武術(古武術の社会適応ともいえるような)を、馬に照らし合わせ、化学変化させてきたことの積み重ねからの発展でした。

今後は、ここにも早期に先生の力をお借りして、医療や、子育て、教育、心の在り方をバージョンアップして発信して行きたいと思っています。(「馬の社会再適応」とは、なにか。この事もお話をしたいのですが、これも長くなりそうですので、また機会があれば詳しく…)

 

◇「馬×甲野善紀×人×学び」で多くの人馬が救われ、馬が社会適応していき、馬を使った新たな心の教育が生まれていく

 

今回の先生の騎乗のプロセスから、多くを感じ学び、このことに、確信を得ました。この業界の一番の劣等生の私ですが、10年前、先生を知り、多くの問題を切り開く知恵や、考えをいただき、今に至ります。

これからは、この出会いをきっかけに、ひとつは、馬の再社会適応の為、また、私が馬から学んだ知恵を人の心の教育に活かしていく為、人と人とを「甲野善紀×馬×人馬心の感じ方・学び方とその知識の活用」から得たアイデアでつなげて行きたい。馬を介し、私にできることをしていきたいと、先生との出会いから、思いを新たにしました。

本当にお忙しい中、甲野先生のほうからおいでくださり、今の私を受け入れてくださったこと、多くのお話ができた事、馬に乗ってくださった事、さらには共著のお誘い、本当にありがとうございました。これからの展望と、新しい馬術の気づきに胸が高まります。

先生の武術からなる技術の馬術への転用と、馬とのイノベーションが、人馬と私のいるこの業界の次世代の為にも必要です。

「武術と馬術と医療と、人の心と体の感じ方・学び方」のコラボレーション、そしてそこから、さらなる馬の社会適応を発信していきたいと思いました。

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プロフィール

宮田朋典(みやた・とものり)

ホースクリニシャン。Road to the Horse Tootie bland family認定クリニシャン。1971年5月4日生まれ。 米国などで馬の心理学、行動学、装蹄学、ロジックトレーニングを学ぶ。バイオメカニクス理論をベースとして、 競走馬、乗用馬、競技馬や、馬場馬、セラピーホースなどの調教や、悪癖矯正を行っている。 初心者から、プロのドレッサージュライダー、競馬ジョッキーに至る騎乗者を対象としたクリニック指導、体使いのコーチングレッスンも行っている。ウィスパリングを軸にしたナチュラルホースマンシップの講習会などを、全国各地で開催する。元看護師の経験と馬の経験を元に医療財団の職員に対し研修を行っている。

○執筆・翻訳監修

・「リアルライディング 人と馬の真の調和を学ぶ」
著:PERRY WOOD、出版社:テラミックス
 
・「イラストでわかる障害馬術の基本―障害飛越のテクニックと問題行動への対処 」
著:JANE WALLACE、PERRY WOOD 出版社:緑書房

・「イラストでわかるホースコミュニケーション―ウィスパリングとハンドリングと安全に騎乗するための秘訣」
著:PERRY WOOD イラスト:CAROLE VINCER、出版社:緑書房
「EQUUS」(休刊中)
「馬と人との共生メソッド」を連載。付録DVD「馬と人との共生メソッド」連載

○その他:看護師(救急病院と眼科勤務経験)免許有。大のスターウォーズ好き。

 

甲野善紀メールマガジン「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」

2016年9月5日 Vol.131
00 <発売開始>最新作DVD『甲野善紀 技と術理2016―飇(ひょう)拳との出会い』
01 稽古録<技が大きく変わる前兆か、思いがけない体験が続く>
02 宮田朋典氏特別寄稿<10年の出会い、積み重ねの先>
03 小林晋平×福岡要対談・第9回<言葉には「質量」がある>
04 風向問答
05 活動予定

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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