甲野善紀
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真っ正直に絶望してもいいんだ

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※甲野善紀氏からの第一信が読めるバックナンバーはこちらから → 第21号

 

<田口慎也氏から甲野善紀氏への手紙>

甲野善紀先生

お手紙を拝読いたしました。こちらこそ、先日は京都にて先生と直接お話しさせていただく機会に恵まれ、本当に幸いでした。

先日のツイッターで、甲野先生は「『強くない』『自信もない』『ただ素直なだけ』というのは、思いもかけない世界を拓くのかもしれない」「自信がないという事はいい事かもしれない」と仰っていました。私も「身体」や「環境問題」、「信仰」などについては「専門外」であり、この往復書簡を通して私にできることは、「ただ素直」に、「自分の想いを、自分の言葉で紡ぐ」ことだと思っています。

私は今まで、「人が生き、そして死ぬとはどういうことか」ということについて、自分なりに考えてきました。今回は、何故私がそのようなことを考えるようになったのか、そしてどのようにして甲野先生に「出会った」のか、その経緯について書かせていただきたいと思います。

 

強迫性障害

 

私が「人が生き、そして死ぬとはどういうことか」ということを切実な問題として考えるようになったのは、14歳の時に強迫性障害を発症し、その後3年近く、ほとんど家から出られないような生活を送っていたときです。強迫性障害とは、「わかっちゃいるけどやめられない症候群」と呼ばれることもある病気で、要するに「いったん『気になったこと』にこだわり続け、その結果日常生活が立ち行かなくなる病気」のことです。具体的には、「手が汚れているのではないか」という不安が頭から離れずに、1時間近く手を洗い続け

たり、「鍵が閉まっていないのではないか」という不安に取りつかれ、何度も何度も鍵がかかっているかどうかを確認したりしてしまいます。

私自身、そのような症状に執拗にさいなまれました。精神科に通い薬物療法を試みましたが、全くと言ってよいほど効果がなく、そのうちに精神的にだけではなく、肉体的にもボロボロになっていきました。その時に、「何故『この私』が病まなければならないのか」ということについて、切実に悩み、考えるようになりました。そしてその問いはまもなく、「そもそも、私が生まれ、生きている意味などあるのか」「ないとすれば、何故このような苦しい思いをしながら、『いずれ必ず死ぬ』のにも拘らず、何もできないまま生きていなければならないのか」という問いに変化していきました。

その後、私は強迫性障害の世界的権威であるジェフリー・M・シュウォーツ博士が書かれた『不安でたまらない人たちへ』という本に出会いました。この本によって私は、強迫性障害の治療には「自らが恐れている対象」に自分を敢えて曝した後、強迫行動を抑え、不安が自然に治まるまで待つことを繰り返すことによって脳内(具体的には大脳基底核の一部である尾状核周辺)の過剰に反応している回路を鎮静化させる「暴露療法」が極めて有効であり、それは自分自身のみの力で行うことができるということを知りました。その後、自分自身で毎日毎日「暴露療法」を繰り返しました。そして半年ほど経つと、問題なく日常生活が送れるレベルにまで強迫性障害の症状は改善しました。

しかし、一度「人生の意味とは何か」「人が生きて死ぬとはどういうことか」という問いに取りつかれてしまうと、そのことについて考えることをやめることはできなくなってしまいました。いわゆる「信仰」に関心を持った方がよく語られることでもあるのですが、そうなると、何故周囲の人間が自分の人生の「意味」も「根拠」もわからないまま、やがて老いて病み、死んでいくという事実に対して「平気」なまま日常生活を送っていられるのか、全く理解できなくなりました。こうなってしまうと、もう他のことなど考えられなくなってしまいます。「人生の意味」や「生と死」のような問いは、時間が経てば自然と消えてなくなる類の「悩み」ではなく、いつまでもいつまでも考え続けてしまうものなのです。

宗教への不全感

そのような状況のなかで、私は半ば必然的に宗教的なものに関心を持つようになりました。「自分が置かれた状況を、自分なりに受け入れ、納得する」ためです。しかし、かなり強く惹かれた教えや、一時的には「救われた」と思えた教えもあったのですが、本当の意味で「これだ」というものには、私は出会うことができませんでした。まさに、以前甲野先生がお手紙に書かれていたように、ある宗教の教えを「『絶対にそれが正しい』『それ以外の在りようなど考えられない』とは、どうしても思う事が出来なかった」のです。実際に、当時読んでいた宗教関連の本に救いを求めても、「『神』だの『生きる意味』だの、そんなことを言われたって、根本的には信じられない。それを『完全に信じきる』だけの証拠・根拠がないではないか」という不全感が、常に私に付きまといました。

一方、いわゆる仏教的な「あるでもなく、ないでもない」という(いわゆる「空」の)思想にも惹かれはしましたが、そこに完全に「惹かれ切る」ということも当時はありませんでした。

といいますのも、「あるでもなく、ないでもない」と書かれている方の文章を丁寧に読んでみると、実際には(心の底では)「神」のような「超越者」であれ、「魂」のような存在であれ、そういったものを「ある」と「信じきっている」か、「ない」と「否定しきっている」ということが伝わってくる場合が多かったからです。もちろん、実際には高僧の方などで「空」ということを「体感」され、実感として「あるでもなく、ないのでもないのだ」と「悟られて」いらっしゃる方もいるのかもしれませんが、多くの場合は「口ではそうはいっているが、実際は『どちらか一方』の『考え』を持っている」のではないか、という疑いを持ちました。そうであれば、内面的な立場としては結局「ある」か「ない」であり、「空」を理解していることにはならないのではないか……。当時の私には、それを(そういう方が仰る『空』や『仏教』を)「信じる」ことができませんでした。

思考を揺すり続けるしかない

ただそうはいっても、ならば「科学」によって自分が「救われるか」というと、そういうこともまた、ありませんでした。当時の私は自分の病気自体に興味があり、精神医学や大脳生理学、薬物療法や薬学関係の本を片っ端から舐めるように読み漁っていました。これらの分野について学んでいれば、いずれ「自分の精神を根底から安定させる」方法が見つかるのではないかと、10代の頃の私は期待していたのです。

しかし、ありきたりの言い方になってしまいますが、科学は「何故私がこのような病気になったのか」「何故私がこのように苦しまなければならないのか」といった問いについては、何も答えてはくれません。結局私は、「信仰」によって「人生の意味」などを納得することもできず、さりとて「科学」によって「救われる」こともないという状態のまま、その両方について考え続けることになりました。

一時期は毎日毎日、朝から晩までそのことについて考え続けるという日が数か月以上続いたこともありました。そのうちに、自分が「狂い」、やけになって「狂信」に走るのではないかという恐怖感が頭をもたげるようになりました。そこでなんとかバランスを保つために、以前も書かせていただいたように、とにかく「相反する考え方に同時に触れよう」「自分自身の思考を徹底的に揺さぶり続けて、精神的に居つかないようにしよう」と思い定めました。とにかく、当時の自分から見て相反する思想、たとえば「徹底的な無神論を説く書物」と「信仰や宗教を礼賛する書物」とを同時に読み、自分の思考を揺すり続けました。10代の頃の私には、それ以外に自分の思考・思想のバランスを保つための方法が見当たらなかったのです。

甲野先生との出会い

強迫性障害の症状がある程度落ち着いた頃、思いもかけぬご縁があり、通信制の高校に進学することになりました。そこでも特に「やりたいこと」「夢中になれること」などなく、とにかく「人が生きて死ぬとはどういうことか」「信仰を持つとはどういうことか」「科学と宗教を同時に引き受けることは可能か」といったことを、自分なりに、切実に考え続けていました。

甲野先生の存在を知ったのは、この高校時代のことでした。甲野先生と養老先生の共著である『自分の頭と身体で考える』を読ませていただいたことが、甲野先生を知る最初の機会だったと思います。それまで武術には全く関心がなく、甲野先生のことも存じ上げなかったのですが、この本のなかで先生が『もののけ姫』についてほんの数行ですが語られている部分を読ませていただいたときに、はじめて先生に関心を持ちました。このときの感情を上手く表現することができないのですが、「『結局人間はこの地球上でいったいなにをやってきたんだろ』というどうしようもない絶望感がずっと尾を引いています」という箇所を読んだ際に、私は「真っ正直に『絶望』していてもいいんだ」ということを学んだように思うのです。

『もののけ姫』という映画は公開当時14歳の自分が鮮烈なショックを受けた映画でした。どこにショックを受けたのか、それは未だに上手く言葉にならないのですが、私の感情とは異なり、当時、私の周囲では「映画でそんな『真面目なこと』を問うて何になるんだ」といった、私の関心からは「外れた」意見ばかりが多くありました。そして、「ある『問題』に対して、切実に『問う』」ということ自体が「恥ずかしい」ことであるかのような雰囲気を、当時の私は感じていたのだろうと思います。

そして自分自身の問題意識についても、「『科学』だとか『信仰』だとか、そんなことを執拗に問うていること自体が間違っているのではないか」と考え、自分が「狂って」いるのではないかと考えるようになっていました。しかし、甲野先生の発言を読んで、「絶望しても『良い』のだ」と思ったのだと思います。それが切実な問いであるならば、他人からどのように言われようと、「絶望」してよい。「問うだけ問うてよい」、「真っ正直に絶望してよい」ということを、私は甲野先生の発言から直感的に学んだのだろうと思います。

それから甲野先生のご著書を読ませていただくようになりました。そして、以前も書かせていただいたことなのですが、「矛盾を矛盾のまま両立させる」という言葉に出会い、「これだ」と思ったのです。信仰に対する関心と拒否感、科学に対する興味と違和感……こうした「矛盾」を、安易に妥協せず、両方共に抱え込んだまま両立させること。それが可能かどうかが私の関心であり、武術ではないのですが、そうした「矛盾を矛盾のまま矛盾なく扱う」ということが、「科学」や「宗教」、「生」と「死」を「扱う」際にも可能なのかもしれない、と思ったのです。この発見は当時の私にとって、大変大きなものでした。

高校卒業後も、私は自分自身の抱える問題について考え続けてきました。そのことについても書かせていただきたいことがあるのですが、ここまででかなりの字数となってしまいましたので、その後の私が現在までどのようなことを考えてきたのかについては、また機会を改めて書かせていただきたいと思います。

田口慎也

 
※この記事は甲野善紀メールマガジン「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」 2012年02月20日 Vol.022 に掲載された記事を編集・再録したものです。

 

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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