あなたもきっと数学を好きになれる

『数覚とは何か?』 スタニスラス ドゥアンヌ著

思考を紙に記録したのではない。紙の上で思考したんだ

1995年以来、MITではマグロのロボットをつくろうという研究が熱心に進められてきた。なぜマグロのロボットかといえば、とにかくマグロの水泳能力がとてつもなく高いのだ。クロマグロに至っては最大で時速80kmまで出せると言われていて、そのあまりのエネルギー効率のよさは「力学的な矛盾」(つまりマグロの筋肉でその速度を出すことは理論的に不可能)とまで言われている。

マグロがどのような原理でそのような驚くべき「泳法」を実現しているのかを解明し、潜水艦や船の設計に生かそうというのが、このプロジェクトの当初の狙いだったのだが、その過程で、ひとつの興味深い仮説が浮かび上がってきた。

マグロは自らの尾ひれを使って、周囲に大小の渦や水圧の勾配を作り出し、そうした水の流れの変化を生かして、推進力を得ているというのだ。

普通、船や潜水艦にとって海水の存在はあくまで「克服すべき障害物」であるが、マグロは周囲の海水を、泳ぐという行為を実現するためのリソースとして積極的に生かしているというわけである。

周囲の環境と対立し、それを克服すべきものと捉えるのではなく、むしろ環境を問題解決のためのリソースとして積極的に行為の中に組み込んでいくという方法は、実際にはマグロに限らず、自然界の多くの生物が採用しているものであって、生物の一員としての私たちヒトも、その例外ではない。

例えば私たちが論理的な思考や科学的な思考をする、というときに、ともすると環境から切り離された脳みその中で閉じた思考、ということをイメージしてしまいがちだが、実際には脳の中に論理エンジンが組み込まれているわけでも、直接科学理論が書きこまれていくわけでもなく、身体を介した脳と環境とのやりとりの中ではじめて論理や科学は可能になるのである。実際、論理的思考や科学は、文字言語あるいは音声言語の使用なしでは不可能であるし、情報の記憶や伝達を担う様々な外部メディアや制度なくしては成立しえない。マグロが周囲の水の流れをうまく利用しながら巧みな泳法を実現しているのと同じように、私たち人間も周囲の環境の能力をうまく生かしながら「思考」をしているのである。

リチャード・ファインマンはあるとき、自分の研究ノートを見た友人が「これはファインマン氏の思考の記録ですね!」と言ったのに対して、「僕は思考を紙に記録したのではない。紙の上で思考したんだ」と答えたそうだが、さすがに世界史に残る物理学者だけあって、ファインマンは人の思考過程の本質をよく心得ていたわけである。

1 2 3

その他の記事

【高城未来研究所】「海外に誇る日本」としてのデパ地下を探求する(高城剛)
9月は世界や各人の命運が分かれる特異月(高城剛)
先進国の証は経済から娯楽大麻解禁の有無で示す時代へ(高城剛)
江東区長辞職から柿沢未途さん法務副大臣辞職までのすったもんだ(やまもといちろう)
AirPodsから考えるBluetoothの「切り換え」問題(西田宗千佳)
祝復活! 『ハイスコアガール』訴訟和解の一報を受けて(編集のトリーさん)
日本人は思ったより働かない?(高城剛)
食欲の秋に挑むファスティング(高城剛)
東京と台北を比較して感じる東アジアカルチャーセンスの変化(高城剛)
除湿、食事、温灸……梅雨時のカラダ管理、してますか?(若林理砂)
学歴はあとから効いてくる?ーぼくは反知性主義的な場所で育った(岩崎夏海)
ロシアによるウクライナ侵攻とそれによって日本がいまなすべきこと(やまもといちろう)
古い日本を感じる夏のホーリーウィークを満喫する(高城剛)
「日本の動物園にできること」のための助走【第一回】(川端裕人)
空間コンピューティングの可能性(高城剛)
Array

ページのトップへ